2014/06/24

marcher avec son temps

書きかけていた記事もあったのだけど、気づいたら1年以上も間が開いてしまいました。
思えば前回の投稿は、セネガル/ガーナに向けて発つ直前のこと。
その滞在を終えたあと、めまぐるしくパリで新年度を迎え、今、再びセネガルに来ています。

セネガルも、もう5回目。
西アフリカを数カ国まわってから、ダカールに着くと、
こんなにエネルギー過多な街に、不思議なほどスムーズに潜りこんでいける気になる。

その一方で、ここは来るたびに、変化の勢いに圧倒させられる場所でもある。

第一、空港エリアが中も外も、はじめて来たころに比べて、
どんどん「近代国家」的に整備されていっているのを、まず目の当たりにする。

2012年の大統領選前後は、お決まりのようにインフラ工事が大幅に行われていた、
というのもあるかもしれない。
今、この国は変化の途にあるのだ。

そんなことを思わされたのは、大学向かいのカフェ。
ここは、いつからか、知識人たちの集いの場となっていた。
ちょうど、ひと時代前の、パリのカフェのように。

独立期に学生だった彼らは、その後政治家となり、大学教師となり、そして引退してからも、意見を交わし続けていた。
大学向かいのカフェは、いつしか引退した彼らが、ときには現役のものも交えて、
朝のひとときを過ごす場であった。

彼らに研究調査の一環として、インタビューを申し込むために、
私もよく、このカフェで待ち伏せしたものである。

ところがそのカフェが閉まっていた。
正確には工事中で、改装するのか、ほかのものになってしまうのかはわからないけれど、
かつてのあの場はもうなくなってしまった。

と、同時に、そこで知り合った当時の証人たちとの面会も年々困難になっている。

「世代」が変わろうとしているのだ。

セネガルをはじめ、この大陸の多くの国は若年比率が非常に高い。
そしてやはり、この街の「勢い」は若者からきていると思う。

先達のあとを追いながら、生まれ遅れたとよく思ったりするのだが、
この変化を肌で感じることができるのは、私の世代の特権かもしれない。

時代と共に歩む、ということを、フランス語では所有形容詞を使って、「その人の」ときと共に歩むという表現をする。

私は私の時代と共に歩んでいくということなんだなと、バスの窓から工事現場を眺めながら考えていたら、折りしも今日は、6月23日、セネガルの若者が、前大統領の違憲立候補に声をあげ、反対運動M23を結成した日だった。

これからこの国は、どう変わっていくのか。
共に歩んでゆくのが楽しみだ。

2013/02/17

anniversaire

フランスでは誕生日のお祝いは迎える本人が主催する。
ホストという意味での主役。

そんなわけで私も今年はパーティーを企画してみました。

15㎡の小さな我が家にはなかなかお客さんも呼べないので、
学生寮(国際大学都市)に住んでいる友人にサロンを借りてもらって、
12~3人で持ち寄りのパーティー。

私はちらし寿司や、セネガル料理ヤッサもどきなんか作ってみたり。
ちなみにこのヤッサ、パリで食べるなら北駅の近くのNiourmeというお店が格別。


セネガル第一言語のウォロフ語で、
たまねぎっていう意味のこの料理、
その名のとおり、大量のたまねぎをひたすら炒め、マリネするだけで、比較的簡単に用意できるので、
外国人にも人気の入門料理らしいのだけど、
やっぱり本場の味はなんかパンチが違うのよね。

(ちなみに写真は本場も本場、セネガルのお家で撮影)
 
あ、日本でも、浜松町にカラバッシュというお店があります。


話を戻して、
フランス式誕生日パーティー、自分が主催するので、
自分の誕生日を口実に好きな人を呼べるという、なんとも贅沢な企画なわけです。

日本の大学時代のクラスメイト、大学院の仲間、留学先の大学院で専攻を同じくする“同僚”たち、
仕事場(=図書館)に一緒に通ったり、
土曜日は、ジョギング×映画で一緒に息抜きしたりした友だち。

よく考えてみたら、みんな私の人生のいろんな側面を、共有したり、リードしたり、影響したりしながら、一緒につくってきてくれた存在なわけで、
つまり、私がこうして新たに年を重ねるという、まさにその過程を支えてくれている人たちを招くというのは、ある意味筋の通ったお祝いの仕方なのかも。

ちょうど集まったお友だちの多くが、それぞれ新たな「出発」を控えた時期で、
私も初めて留学が2サイクル目を迎え、自分の「出発」に思いを馳せながら、
フランスでは「若者」でなくなる境界線に足をかけたのでした。

お招きできなかった読者のみなさまにも、感謝をこめて。

2013/01/31

Aux Archives, Citoyens!

わたしがよく訪れる公文書館はエクスにあるわけだけど、
その本館ともいうべきパリ館がこの度、大掛かりな移転を行っていて、新館がセーヌ・サン・ドニ県 ピエールフィットについ先日オープン、一般公開しているというので見学に行ってきました。

公文書館の設立はそもそもフランス革命まで遡ります。
というのも、革命で没収された教会や貴族たちの文書が、国の文化遺産とみなされ、 保存・管理の必要が生じたから。
つまりフランス国立公文書館は、近代の公文書館そのものの祖であるというわけ。

で、新館オープン・イベントのスローガンも
Aux archives, citoyens!
(市民たちよ、いざ、公文書館へ!)

(革命賛歌、もといフランス国歌、
ラ・マルセイエーズの歌詞、
Aux armes, citoyens!
(市民たちよ、いざ、武器を取れ!)のパロディ)



公文書の保存だけでなく、市民への公開も公文書館の大事な任務なのです。

だからパリ第八大学のすぐ側という立地もアクセスのよさから選だのだ、ということになっているけど、パリの中心マレ地区から、郊外サン・ドニへの移転に対する評として、この論旨が果たして「市民権」を得られるのか、やや疑問は残りますが。

ちなみにポスターの奥に見えるのが、アルマーニ銀座タワーも手がけたマッシミリアーノ・フクサス設計の建築。

とはいえ、特別公開ではなんと2週間で3500人もの来館者があったとか。

たしかに普段から、作業をしていても、歴史研究者が利用者の大半、ということは全然なくて、
たとえば自分の家系図をたどりに来ているひとのほうが多い印象なのだけど、
そうして考えてみると歴史は国の遺産であり、そしてそれは当然市民に属するものだというロジックを、かなりはっきり辿ることができる。そしてこんなところでも、フランス人の意識の根幹には、やはり革命なのか、と思えてならないのです。

2012/12/29

normalisation

たしかに、滞在許可証の取得は数あるフレンチ・アドミニストレーションの関門のなかでも
難関のひとつである。

しかし、今回これだけ私が忠誠心テストを課せられているのは、
私が執拗に「通常」の権利を主張し、異質であるはずの私のノーマライゼーションを要求しているから。

許可証の申請者の立場は低い。
しかもアドミニの理由なきいじめにあったりすると、無力に、
「許可証ちょうだい。いい子にして、言うこと聞くから。」と白旗をあげたくもなる。
そして、それが許可証取得の近道かもしれない。

でも申請者にも、サン・パピエ(不法滞在者)にも、権利というものはある。

だから、たとえば

外国で行われるフォーラムに招待されたので行きたいと思ったとき、
お金を借りずに自力で生活財源を証明したいと思ったとき、

こういうのは波風を立てない申請方法では避けられる手間なわけだけど、
今回、私はフランス式に等身大の存在を主張してみることにしたのだ。

ちなみに波風を立てないとか、凹凸のない、滑らかな状態を表わすlisseという形容詞は
フランスにおける日本社会のイメージに対応する言葉らしい。
滞在許可証の申請に来ている日本人学生の横には、「仲介業者」のひとが付き添っていた。
とても日本人受けしそうな業務である、と思うと同時に、
きっと私の「わがまま」はこういう業者には「前例がありませんね」と嫌がられるのだろうと思った。

でも、これは私の意地である。
私にとって、フランスの滞在を求めるということは、
「正常者」と同等に共存するということにほかならない。

それでも「正常者」になるわけではないから、当然、さまざまな仕方で権利は制限されるだろうし、肩身のせまい思いもするだろう。
でも、自分から凹凸を減らして、平穏を装ってあげなくてもいいのではないか。
権利は主張し、正当であれば認められる、べきなのではないか。

もちろん自分の権利なんて誰も説明してくれないから、
それを主張できるだけしっかり把握するのはけっこう大変である。
でも、自分の権利を知っておくなんてこと、本当は当然のことだ。
それが徹底されにくい体制も徹底されないメンタリティもどちらも問題だとは思うけど...。

そんなわけで、今回私が挑んだ+αのひとつが「労働許可証」の添付。

厚生・労働・雇用省と経済・産業・財務省の共同の管轄下にDireccte(Direction régionale des entreprises, de la concurrence, de la consommation, du travail et de l'emploi:企業、競争、消費、労働、雇用担当地方局)という地方組織があって、外国人学生の労働許可証というのもここが発行している。それ以上詳しいことはわかりましぇん・・・

で、パリのあるイル・ド・フランス県のDireccteはAubervilliersという郊外我が校の将来の移転先)にあるのだけど、行き方を調べたらなんと、 
メトロの駅から連絡船が運航していますと書いてある。

というわけで、乗ってみました。

この連絡船というのがちょっと面白くて、サン・ドニ運河を渡るだけなのだけど、渡った先にある巨大ショッピングセンターを経営するICADEという不動産会社(でも預金供託金庫の系列なので、半官半民らしい)が、社員の足にと、SODETRELというこれまた半官半民のフランス電力系列の電気運輸開発機関と共同で開発した100%電気で動くフェリーなのだ。
電気だからとても静か。快適。しかも無料。 

申請、受領、更新とやはり何度も通わなくてはならなかったDireccteでしたが、ちょっと楽しい遠出だったのでした。
まあこうやって、フランスの知らない部分に触れたりもするというのは、不思議な縁だけど、
こういう経験を通して、この土地に滞在し、生活するということを体感している気がする。

振り返ってみると2012年は350日くらいをフランスで過ごしたことになる。
それは異邦人としてかもしれない。
それでも居場所をここに拓く必要があったのだ。

2012/12/03

administrations

日本大使館から電話がかかってきた。
2ヶ月前に申請した在外投票のための選挙人登録が完了したという知らせだった。

「通常ですと、こちらの負担で、書留で選挙人証をお送りすることができるのですが、
今回は、数日後に衆議院選挙が公示となりまして、翌日から在外投票がはじまります。
もし大使館にお越しいただいて投票なさるということでしたら、こちらで選挙人証をお預かりしまして、
お越しいただいた際にお受け渡しと、その後の投票の手続きをそのまま続けて行うことも可能ですが、いかがいたしましょうか。」

その丁寧さと、行き届いた配慮に感心してしまった(笑)

フランスにあっても日本大使館は間違いなく日本である。

フランスだったらたぶん機械的に郵送にまわされ、郵送に時間がかかり、届いたころには在外投票は締め切られていて、もっと早く申請しないあなたがわるい、ということになるだろう。
あるいは届かないから連絡したら、できてたのに、取りに来ないあなたがわるい、というところだろうか・・・

顧客=私のタイミングに合わせようという発想。
二度手間をさせないという配慮。

行くたびに新しい要求を持ち出して、
前の担当者には要求されなかったというと、前の担当者は私ではないといい、
電話で確認しようとすると、窓口の担当者がなんて言うかは知らないけどね、といい、
おかげでかれこれ5回も滞在許可証の更新手続きのために通っているフランス警察庁にはどちらも完全に欠如しています。

ビザ発行条件のひとつに違いないこの忠誠心審査 クリアまであと1回くらいかな、というところで、「次回は○○と××と証明写真を3枚持ってきなさい。」と言われた。

更新手続きに必要な書類のリストのなかには、証明写真3枚とある。

しかし、すでに3枚提出したうちの1枚は受取証という滞在許可証発行までの間の仮証明のような書類に貼って、残りの2枚を返却されたばかりだった。

そうか、もう1枚用意しなきゃいけないのか。

幸いもう1枚証明写真が手元に残っていたので、あわせて3枚にして、他の書類と共に次の回に持っていったら、案の定、というべきか、その1枚は返却された

つまり2枚しかいらなかったので、もう1枚追加する必要などなかったのだ。
前回受取証に使用した1枚とあわせて合計3枚。必要書類リストの通りである。

さて、このブログの読者なら、ここまで読んで、フランス生活あるあるだなと思ったに違いない。
ええ、私もそう思いました。

必要書類リストには証明写真3枚。
受取証を発行した人には残り2枚。

こんなことマニュアル化してしまえば済む話じゃん。

そこで私はふと気づいたのです。マニュアル化、しないのがフランスなのもしれない、と

前の担当者は私じゃない(から知らない、責任とらない、私は悪くない・・・)というくらいだから
文字通り人によって対応はさまざま。

でもたしかに対応しているのは人なのだ。
顧客を前に、対応者が制度の背後に存在を消すということはフランスではまずありえない。
だからこそ、これでもかというくらいに、等身大の個人が存在している。

それは暑苦しく、労力のいる社会である。
そりゃそうだ、制度というのは、未知なものを既知化していくためのルールなのだから、
未知の世界は刺激が多く、消耗するものである。

でも制度化が過度に進行すると、それは息苦しい。
行き場がないから、結局存在を消すことになる。
制度化が進行すると自律的行動能力が低下するというのはそういうことだ。

しかもたとえば日本の場合、制度化のために仕事量が増えてる。
サービスのクオリティは圧倒的に高が、犠牲も少なくない。

この、自分を犠牲にする、姿を消す、という発想はフランス社会には乏しい。

サービスのクオリティは低くても、仕事量を抑える。
そして何よりも自由を謳歌するのだ
    
フランスが誇りに誇っている人権宣言のうち、唯一辛うじて達成されたと思われるのが
この自由かもしれない。

この国に生活するひとたちが幸福であるかどうか、は別として、
この国のひとは自分の幸福を追求する自由を固持している。

等身大の個人、というのがミソで、
これは前にも触れた「ありのままの自分を受け容れる」ことに価値を見出す生き方にも通ずるものがある。 それぞれが勝手に社会に自分の場所を確保していっている、と書いたけど、
つまりそれは、勝手に自分の幸福を追求している、ということでもあるのだ。

その勝手さには、まあ呆れる。
でもこの国にいると、一生懸命幸せになろう、という気にもなる。

そして願わくば、私の投じた一票が、幸せを追求する自由を奪おうとする暴力に少しでも歯止めをかけるものとなってほしいもの・・・ 

2012/11/10

culture cosmopolite

ふとした思いつきで図書館の帰りに友だち4人で
エチオピア料理を食べに行ってきました。

エチオピア料理といえば、
昔ケニアに住んでいた友だちが、
アフリカ料理のなかでもエチオピア料理は洗練されていておいしい!と言っていたのが印象的でしたが、未体験の各国料理に誘われて私が乗らないわけないよね。

しかもいろんな国の本格的な料理が食べられることこそ、コスモポリタンなパリの魅力。
フランスに住んでるっていうと、
 o○*:.。..。.。o○*:.。 *~○☆○~* フランス料理、グルメ *~○☆○~**~ ○。~*:._.:*~。○o..。.o○*
 みたいなイメージを持たれるみたいだけど、

フランス人って普段何食べてるの?といわれると
その辺のカフェのメニューといえば、ステーキ+フライド・ポテト(フレンチ・フライというやつ)
とかだいたい茹ですぎ気味のタリアテッレとかであって、
決して洗練されてるわけではない。

もちろんフランスの家庭料理は幸せ度満点だし、
よそ行きであればビストロとかおいしいお店もたくさんある。

でもパリで気軽に外食するなら、だんぜん移民たちの経営する各国料理がおいしい。

西アフリカだけでもこれまでパリで、セネガル、コートジボワール、 カメルーン料理のお店に行きましたが、今回東アフリカ進出

というわけで、みんなでおすすめの定番メニューを注文しました。

セネガルに行ったときもそうだったけど、
エチオピア料理は基本的には大きなお皿をみんなで囲んで、手で食べます。

インジェラというクレープのようなものが主食で
これに野菜や肉を包んで食べるという感じ。

だけど熱くてなかなか難しい
  
でもエチオピアは野菜の種類が豊富で、
それをいろんな香辛料を使って調理してあって、 友だちの言っていた「洗練されている」の意味がわかった気がしました。

以前レユニオン料理を食べたときにも使ってあって、おいしかったの小さな唐辛子。
小さいけれど、小さいからこそ、辛味が強くておいしいやつ。
ちょっと沖縄の島唐辛子に似ているような。

似ているといえば、
このお店にかかっていた音楽は、エチオピアの音楽でしたが、
これがなんと演歌にそっくり
上にリンクを貼ったお店のサイトでも聞けるけど、音階が同じ。
そんなわけで、エチオピアで流行った演歌もあるとか。

ルーツは諸説ありそうですが、文化圏の重なりかた気になるところです。

2012/10/08

conservatoire

前にも触れたとおり、史料収集のために何度も訪れている南仏の町、エクサンプロヴァンス。
何度行っても、平日はだいたい滞在先と史料館を往復するだけなので、
今回は少し街を歩いてみることに。

すると、とある建築計画にぶつかりました。
設計はなんと、隈研吾氏。

大学院の友だちと旅行で訪れた長崎の街を歩いていて、
やはり偶然、とても惹かれた建物が隈氏設計の長崎県美術館。
空間のつくりかた、風通しのよさに、私は中を通り抜けずにはいられなかったのでした。

エクサンプロヴァンスでは音楽・ダンスのコンセルヴァトワール を新しく建設する計画みたい。
2013年度竣工予定とあったので、建造物はまだ見えなかったけど、
その代わり、隈氏の建築理念を説明した文章が掲載されていました。

いわく、氏の建築法の本質は、「光に満ち、開かれた空間をつくり出す」こと。

これはまさに私が長崎県美術館を見て受けた印象と同じでした。

既存の空間を使って、建造物を設置するのではなく、
建築そのものが新しい空間を作り出しているという感覚。

さらに面白いなと思ったのが、素材についてのくだり。
素材は「閉ざされた塊」(masse fermée)では活かされないが、
ひとたび粒子として捉えられれば、それは動きに満ち、光や見るひとの小さな変化に応じて、
さまざまな表情を見せうるのだという。

この開放的かつ動的という空間のコンセプトが好きだ。

エクスはとても「きれい」な街だけど、なにかチャームに欠けるものがあるという気がしていたのだけど、友だちにこれは「美術館のような街だ」といわれてそれがわかった。

美しいけれど、動いていないのだ。

新しいコンセルヴァトワールは、他のさまざまな施設と併せて新たな文化活動の拠点となることを目指しているらしい。

コンセルヴァトワールって、文化遺産を保存(conserver)するための機関 という意味を持ちながら、
実質的には、新しい芸術家を育てる教育機関という機能を果たしているわけで、まさに文化の本質はここにあると思う。

つまり、新しい風をとりこむことで、文化は変化を重ねながら生き続けることができるのだ。

だからこのコンセルヴァトワールは、「開かれて」「動きに満ちた」空間であってほしいと思う。

近くにはやはり建築と芸術活動を融合させる試みとして、ヴァザルリ財団もあったりして、
実際ここには、文化活動で町おこしをしているナントのような、ポテンシャルがあるのではないかと私はひそかに注目しているのです。

ちなみに滞在中、このヴァザルリ財団で、"un ange à ma table"という劇をやるというので、まさかニュージーランド作家ジャネット・フレイムの小説『エンジェル・アト・マイ・テーブル』かしらと思って観に行ったら全然違いました。