2008/04/29

relax

というわけで、人口6万人の小さな街に来ています。
自分のパソコンからネットに接続することに成功したので、ちょっとリポート。


フランスはクリスマスと夏の長期休暇以外は地域ごとに休暇の時期をずらしているので、
今回はパリとシャロンは入れ違いということもあって、
一人悠々とヴァカンスを満喫させてもらっています。。。


どのくらい癒されているかというと、

 
こんな感じ(笑)

3匹の猫とラブラドールに囲まれて楽しくやってます。
ちなみに写真の猫はかなり怖がりなのでなかなか姿を見せないんですが、
日向ぼっこしているところを発見してパシャリ。
この後速攻で逃げられました。。。(邪魔してごめんw)

2008/04/24

repos

都会の喧騒を離れてしばしお休み。
金曜の授業が休講になったので、木曜の夜から休暇を利用して
10日ばかり元ホストファミリーのもとへ里帰りしてきます☆

中間試験漬けの日に、実はホストマザーから電話が入っていたのです。
「パリもそろそろお休みの時期じゃない?帰ってきたかったらいつでも言うのよー」
という心優しいメッセージを試験の合間に聞いて元気付けられ、
今回の休みは充電に費やすことに決めました。(←単純)

長期貸し出しも利用して、休み用に本も借りだめしたし。
最近やっと春らしくなってきたから、のんびりと庭で本でも読もうっと。
帰ってきたらまた更新します。

2008/04/22

jour J/ d-day

ただいま中間試験シーズン。
試験は例によってだいたいの場合4時間なので、
4月末にある1週間の休みの前後2週間くらいの土曜日を使って
授業ごとに日程が割り振られているんですが、

中間試験がない科目もあるなか、
私はなんと、同じ日に2つも試験が重なってしまった。。。
朝の9時から夜18時まで。計10ページ以上書き続けて手が疲れました。

幸い(?)朝の試験は4時間ではなく2時間だったのですが、
2時間で2つも小論を書かなきゃいけなくて、時間との闘い・・・若干敗れましたw
この科目、期末試験は3時間で3本らしい。きゃぁー。。。

朝の試験がそんなだったから、午後は逆に4時間使えることが嬉しくて(笑)
6ページ丸々埋めたのは初めてかも。
まぁ長さじゃなくて、もちろん中身、なんですが、フランス人は平均的に6枚くらいは書くんですよね。
そのくらいの長さがあったほうが、論拠が強化されるというのも確か。
やっと4時間試験にも少し慣れてきたかな。。。

そんな長い1日の締めくくりは、
別の授業のクラスで集まってDVDの上映会。
『アフリカと開発』という授業に関連して、
お父様が国連人間居住センターで働いているという子が、その事務所が制作した
ケニアのスラムについてのドキュメンタリーを特別に(DVD自体は非売品)見る企画をしてくれたのです。
スラムの外観や生活の様子はどこの地域でも不思議とかなり似ている気がする。

2008/04/18

condoleances

以前に書いたように、入院していたエメ・セゼールが亡くなった。
偶然にも、今日オーケストラの本番で、
黒い衣装に身を包んでヒンデミットの“Music of Mourning”を演奏している間のできごと。

彼をパンテオンに祀ろうという話があがっているらしいけれど、
①セゼールに面会を拒否されてマルティニク訪問のキャンセルを余儀なくされた過去を持つサルコジがこの要請を受け入れるか。
②そもそも、エメ・セゼールは、フランスの英雄としてパンテオンに入ることを望んだだろうか(要は家族がこの要請を受け入れるか。)

という問題があると思う。特に②、サンゴールもそうだけど、英雄なのか優等生なのか。
中間試験が終わったら掘り下げようっと。
En attendant, je presente toutes mes condoleances...

2008/04/16

misanthrope

Comedie françaiseでモリエールが見られる!ということで、
『人間嫌い』を見てきました。
 
 


Lukas Hemlebの今回の演出は実は前評判がよくなくて、
実際私も粗暴な感じがイマイチ入りこめない部分はあったのですが、
(残念ながら主役があんまり好みでなかった。。でも相手役(っていうのかわからないけど)のCélimèneがけっこうよかったです。)

それよりも改めてこの作品の面白さに感銘を受けました。
モリエール、天才(笑)
ザ・フランス語の美しさにも納得してしまう。。。

初めてこの作品と出会った高校のときは、人間嫌いな主人公=変わり者といった感じで、
ぜんぜんわかっていなかったけど(笑)
率直さのみを求め、表面的なお世辞ばかりの人間を信用できない「人間嫌い」なAlcesteと
お世辞も名誉や友好的な人間関係の形成に必要だとするお人好しなPhilinteのやりとりは、普遍的なテーマなんじゃないかなぁ。

私の考え方は完全にAlceste、だけど幸か不幸か彼のようにきっぱりと人間嫌いにはなれない。
むしろ根本的には私はphilanthropeというか、人間という生き物にはすごく興味を持っているし惹かれもする。
なんてことを考えながら・・・
これで当日券5ユーロはやっぱりお得です☆

2008/04/14

la vie

最近写真を載せてなかったのでいくつか付け足してみました。
ようやくspring has come!といった感じで花が咲き誇っているので、
ちょっとカメラを持って出歩くことに。

  これは、桜なのかなぁ。アーチが見事。

こっちは家のすぐ側のアジャクシオ広場。

春はやっぱり生命力に溢れているなぁって思います。

一方で気になるのが入院中のエメ・セゼールの容態。
「詩人としては絶対を語り、政治家としては相対を捉えようとした」人という形容をされていてちょっと感動してしまった。
フォールドフランス市民がインタビューで、彼が入院していらい怖くてニュースを聞いていないって言うくらい、本当に「愛された」人なんですね。
94歳というだけでもかなりすごいけれど、快復を祈ります。。。

2008/04/12

memoires endormies

久しぶりにまた、闘ってきましたw
しかも相手はアドミニはアドミニでも政府。。。

ことの始まりは1通の不吉な手紙でした・・・

フランスには住宅手当というのがあって、
申請が認められると政府が家賃を一部負担してくれることになってるのですが、
滞在許可証の発行を待って申請が終わったのが12月。
年末になってやっと最初の支払いが済んで安心していたら、
ここ数ヶ月なぜか支払いが止まっているではないか。

と、思っていた矢先の手紙でした。

中に書いてあったのはおおよそ、

「あなたは権利がない300ユーロを受け取っているので速やかに返金してください。」
(要は計算間違えて多く払いすぎちゃったから返して、ってことなんですが笑)

さらに、この手紙に対する異議申し立ては以下の方法で行うこと。①・・・と妙に法律的な文章が続く。

しかし、問題はこの300ユーロとやら、私は受け取ってないのです。
何しろ支払いがなぜか止まってるので。

それに、国が計算を間違えるってスキャンダルじゃないですか?
しかも、今さら、返す義務があるのか、シアンスポの友だちに聞こうかと思ったけど、
とりあえず、受け取ってないものは返せないので(笑)事務所に確認に行くことに。

幸い事務所は家からさほど遠くないところにありました。

入ってみると、見事に移民系ばかり。滞在許可証の申請時のよう。。。

意外にスムーズに順番が周ってきて、
事情を説明しようと思ったら、私の情報を確認した受付のおばさん、
「あなた、滞在許可証の更新を提出してないわね。滞在許可証出してちょうだい。」

あぼん?(た、滞在許可証、ですか)

「だって、あなた支払い滞ってるの気づかなかったの?」
「いや、それを確認に来たんですが」
「でしょ、滞在許可証更新してないからよ」
「更新なんて要求されてませんが」
「いちいち要求なんてしないわよーあなたが提出しにこなくっちゃ」

っていうかそもそも更新、じゃないんですが。

というわけでよくわからないけれど言われるままに滞在許可証を提出して、
「これで支払いが再開するわよ」らしい。

で、問題の手紙について聞いてみると、
「あーそれは、支払うはずだったけど、支払わなかったのよ、だから±0」

え。じゃあこの恐ろしい手紙は何。。。

「じゃあ、もう手続きはないんですか?」
「もう何もしなくていいわよ。」だそうですw

受け取っていないことを証明するために口座明細まで持ってきたけれど出番なし笑。
いろいろ面倒な法的手続きで何度も往復することになるんだろうなーと思っていたから、
思わぬ展開に拍子抜けなくらい。

気分が軽くなったところで、
久しぶりに天気のいいパリを散歩してきました♪
大通りに沿ってセーヌ岸まで行って、Bir-Hakeim橋を渡ってトロカデロ広場へ。

そういえば高校で留学中にパリに来たときもトロカデロ広場を通ったんだったことが急に思い出されました。よく考えたらそのときもちょうど春のはじめだったから、紅茶に浸したマドレーヌならぬ、春の風が思い出させてくれたのでしょう。

シャイヨ宮に刻まれたヴァレリーの詩を拝みつつ、
久しぶりの日光があまりにも気持ちいいので、広場のベンチに腰をおろして
エッフェル塔を眺めながら、しばしもの思いに耽るという至福のときを過ごしました。

家に帰ると高校留学時の友だち(現在パリでインターン中)から電話があって、
「今晩暇だったら家寄らない?」
というので、久しぶりの再会を果たしノンストップで喋り続けました☆
人口6万人の小さな町で高校時代を共にした友だちは本当に貴重です。
しかもこの子は、大学の交換留学を1年経験し、今度はパリ生活を始めたとあって、
共感することがいっぱいで楽しいひとときでした♪

2008/04/09

musees

ちょっと家のネットの調子が悪かったので
(そしてこういうことはもちろん発表の前日とかに起こるのですが・・・w)
前後してしまいますが、この前の日曜日は月の第一日曜日!ということで、
今月も美術館(=無料)に行ってきました☆

本当は発表が迫ってたのだけど、もう第一日曜日も何回かしかないし、
せっかく天気もよくなってきたので、
逃すのはもったいない!ということで、活発な友だちにプッシュされてなんと、

①ドラクロワ美術館
②ピカソ美術館
③Cognacq-Jay美術館

の3つもハシゴしてしまいました笑。

①ドラクロワはサンジェルマン教会の裏の雰囲気のいい小さな広場に面したところにある、元アトリエで、中庭もとてもきれい。ドラクロワ自身「仕事が捗って気に入っている」と言ったアトリエらしいです。
 

②ピカソ美術館も実は初めてで、やはりかなり充実していてよかったです。
ピカソの作品を撮ったブラッサイの作品とも再会を果たして大満足♪
 

先月は日本の春休み中で観光客が多かったのか、かなり人が多かったのですが、
(ちなみにそのため、私も友だちも知り合いにばったり会いました笑。私が会ったのはこっちで勉強している修士の先輩ですが。)
今月はなぜかここまで並ぶことなくかなりスムーズに周れたので、
近くに発見した③Cognacq-Jayという市立の、18世紀のパリの芸術品を集めた美術館にも入ってみることに。

あまり一気に周りすぎて消化できないのも嫌だったし、課題が気になって、
「帰る~!」と言っていた私も、
アンティーク調の部屋と家具に囲まれてすっかり機嫌を直し(笑)
 

ワトー、フラゴナールといった18世紀の絵画やマイセン焼きなどなど、
小規模ながらなかなか充実したコレクションでした。


ちなみに発表(リスボン条約について)も無事終わりました♪

2008/04/06

democratie

有名人ネタが続くけど、
今日は学校まで行く途中で赤ちゃんを抱いて
ミルクをあげながら歩いているお父さんとすれ違う。
よく見たらDavid Pujadasでした。
といってもわからない人がほとんどだと思うけれど、
フランス2の人気メインキャスターです。
毎日20時のニュースを担当していて、私はBSを通して高校のころからお馴染みのおじさん(笑)

さて、ジンバブエ選挙。
ついに野党のTsvangirai氏が大統領選でも勝利宣言をしたらしいです。
TsvangiraiはMugabeに「新しいジンバブエはあなたの安全を保障します」と言っているらしいが、
Mugabeは亡命するのだろうか。。。
イギリスがどこまで出てくるのか気になるところ。
ケニアの後を追わずに、無事政権交代が行われるといいです。

2008/04/04

Yasukuni

私が表現の自由についての投稿をした直後に、
日本での映画をめぐる大問題を聞いて悩ましく思っていたら、
ついにル・モンドにも記事が載りました。。。

私はネットで見たのですが、トップ記事のすぐ下だったからかなり目立つ位置。
関連する別件もけっこう丁寧に分析してあるので、ちょっと訳してみます。(フランス的な表現が面白いから直訳で・・・)けっこう長いけれどル・モンドの視点はなかなか興味深いです。

「安全のため」として東京と大阪にある5つの映画館が在日中国人の李纓監督の映画『Yasukuni』の上映を中止した。日中共同制作のこのドキュメンタリーは香港国際映画祭で入賞したばかりだ。
日本中の他の映画館もいくつか既にこの映画を上映しないと公表している。映画館が懸念しているのは、多くがやくざとつながりがあると言われている右翼団体の抗議行動の的になることだ。4月2日水曜日付けの新聞はそろってこの表現の自由の侵害を問題視していた。国旗を掲げ強力なスピーカーを備え付けた黒いトラックから、この団体は呪いの言葉をわめきちらして映画館をデシベル爆弾で攻撃する。表現の自由のもと、警察は介入できずにいるのだ。表現の自由を制限する最近のいくつかの問題に続いて、右派から「反日的」との評価を下された『Yasukuni』の上映自粛は、また1つ民主主義の根本的な自由の侵害することになる。

1869年に建設された靖国神社は、祖国のために亡くなった人を偲ぶために、奉納されている。
1970年代の終わりからは1948年に東京国際裁判で戦犯として処刑された7名も祀られている。このため、日本の高官の参拝は日本の過去の軍国主義を水に流す行為であるとして中国や韓国との間に頻繁に物議を醸している。

李纓監督は作品の中で主に過去10年を集中的に取り上げている。というのも、戦争の解釈について議論の焦点があたることになったのは、2001年から2006年にかけて小泉首相が繰り返し参拝したことがきっかけとなったからだ。映画は8月15日の敗戦記念日に旧兵士たちが軍服を着て頭には日の丸を巻き神社に祈りにやってくる様子を描いている。他にも映画には1937年の南京における民衆の虐殺の写真なども使われているが、この事件に関して右派は、中国側が公表する規模(死者20万以上)を否定し「ささいなトラブル」にすぎないとしている。歴史修正主義者の立場からすれば、こうした写真の信憑性は疑わしく、映画は事実を操作しているという。しかし監督は映画の中で戦争について様々な意見を持った人々にインタビューを行っている。「2007年の12月から翌3月までの3ヶ月間にわたって私たちは何度も日本で記者会見を行ってきました。映画館の経営者や配給会社の方々も私たちもこの映画を公開することが1つの挑戦であるという認識は持っていたはずです。右翼が抗議行動を起こすことは珍しくありませんから、今回もそうであろうことは明らかでしたが、皆が私を励ましてくれていました。私たちはお互いに支えあっていたのです。」と李纓監督は語る。

現在政権を握っている自民党の議員の一部は映画の内容に疑問を抱き、この映画が一部助成金を受けている(750万円=4万7千ユーロ)ことを理由に映画の上映会を申請し、文化庁はこの要請に応じた。稲田朋美議員は、この映画は「イデオロギー的メッセージ」を含んでおり「中立性は疑わしい」として、助成金の対象にはふさわしくないと考えている。

文部科学大臣の渡海紀三朗氏は「圧力やいやがらせがこのような状況を招いたこと」に対して遺憾の念を表明している。メディア側は中道右派の読売新聞(1300万部)ですら、助成金の問題は映画の上映とは別に扱うべき問題であるとして表現の自由の尊重をうったえる社説を掲載している。
「議員上映会以後、状況は一変しました。政治家たちがあらゆる圧力をかけているのです。多くの議論が映画の中身とは無関係なのに非常に残念です。私にとってこの映画が上映できないなんて考えられないことです。このことは日本にどれだけ保守主義が根付いているかを露呈していますし、日本社会が中国に対して、アジアに対して、そして世界のそれ以外の国々に対してどのような立場を取っているかについても問わずにはいられません。 私の目的は日本人とコミュニケーションをとって、可能な限りの手段を使ってこの映画を観てもらい、このことについてよく考え議論を交わしてもらうことなのです。」


あまりメディアではとりあげられていないが、最近、表現の自由に対する様々な圧力による問題が他にも日本で起きている。高等教育に携わる教師が20人程、2003年から義務化された国歌斉唱を自分たちの生徒に適用することを拒否したという理由で処分(10%の減給、6ヶ月の勤務禁止、非常勤の場合は契約の不更新)を受けたのだ。以来、400人もの教師がこの指令に従わなかったために処分あるいは“再教育”の対象となっている。
ゆったりとしたテンポで荘厳な日本国歌は、天皇への頌歌である:「君が代は千代に八千代に、細石の巌となりて、苔の生すまで」("Que ton règne dure mille vies, huit mille vies, jusqu'à ce que le caillou soit devenu rocher et ait été couvert de mousse.")国旗の日の丸(白地に赤い丸)と共にこの国歌は、知識人たちから軍国主義のイデオロギーに結びつくものとして抗議されながらも、1999年に国家のシンボルとして法律で認められた。これらの国家シンボルは最近ではもう議論の的とはなっていない。スポーツ競技と勝利の歓喜によって若者たちの間にはお祭りの気分が喚起され、戦前のコノテーションは切り離されたのである。
それでも国歌についてはその斉唱が強制されているのであるから、信仰の自由についての議論の中心をなしている。
2006年9月東京裁判所は卒業式での国歌斉唱を拒否していた教員の主張の正当性を認めた。判決理由として裁判所は、「教員が君が代を歌う義務はない」とし、「誰であれ斉唱を強制することは思想・信仰の自由に反する」とした。さらに東京都に対し原告の損害賠償として1200万円(8万ユーロ)の支払いを命じた。
2003年10月の条例において東京都教育委員会は教育機関の校長に対し、教員に演奏開始と共に起立し、生徒に国歌を斉唱させることを義務付けるよう通達した。この条例は違反者に対しての罰則を用意しており、400人が東京裁判所に訴えを提出していた。裁判官は、君が代の罰則を伴う義務化は政府に教育への「あらゆる過度の介入」を禁止している教育基本法に反すると主張した。
戦争とその解釈は日本において戦後ずっと大きな争点となっており、議論や裁判を呼び続けている。3月末、司法は今度は歴史上の出来事についての判決を下した。1945年3月のアメリカ上陸の際、軍隊が命じた、沖縄における民衆の集団自決である。
大阪裁判所は『沖縄ノート』(1970年)の作家であり、1994年のノーベル文学賞作家の大江健三郎氏と出版社岩波書店の主張の正当性を認めた。彼は事実を操作したとして旧軍人たちに訴えられていたのだ。裁判所は軍の司令部がこの自決に「深く関わっていた」と結論付けた。
大江健三郎氏は座間味島と渡嘉敷島の2つの島で起きた430人の自殺について触れていた。日本の領土の中で太平洋戦争の最も残忍な闘いの場(12万人の死者、うち大半は民間人であり、人口の4分の1にあたる)となった沖縄での集団自決における軍の役割は、教科書では過小評価されている。映画『Yasukuni』の上映が再開されるためにも、司法の介入が必要なのだろうか。

Philippe Pons

荒訳で申し訳ないです。本文が読みたい人は言ってくださいね。
ちなみに、一応5月から上映再会が決定したようで一安心。

2008/04/01

homme/femme politique

MSF(国境なき医師団)、MDM(世界の医師団)の創立者であり
現フランス外相のBernard Kouchnerが大学に講演しに来たので聞いてきました!

しかもテーマは「外交における人権」


講演自体はかなり前から企画されていたのかもしれないけれど、
よくこの時期に公衆の容赦ない質問攻めに曝されうる講演を引き受けたなぁと思う。
今期シアンスポで授業を持っている元外相のHubert Vedrineも彼の姿勢を評価していたくらい。

立場上ある程度「外交的」な発言も多かったけれど、
それでも「私はサルコジには投票してない」とはっきり言ってしまったり(笑)
会場からのかなり挑戦的な質問にも「必ずしも答える必要はない」とする司会者を遮って答えていたり、
講演後も車に乗る直前までインタビューに応じていたり、
思っていたよりも肩書きに囚われず、さすがに人道主義者として第一線で活動してきたときの動機は忘れていないなという印象を受けました。

講演会に来ていた数人と話したけれど、Kouchnerは大半の中で好感度を上げた模様。

で、翌々日、今度はアフリカと日本、中国についての講演会があるというので、授業時間まで少しでも聞きに行こう、と思って講堂に入ると・・・

あれ?講演会もう始まってる?!

でも喋っているのは女の人だからメインスピーカーではないのかな?

ん?どこかで聞いたことある声だ?!

と思ったら、なんとSégolène Royalでした。

実は私が講演の教室を間違えただけなのですが、

ちゃっかり入れてしまったのでアフリカについての講演会に移る前に

彼女の話の後半だけ聞いてきました。