2009/03/31

apprendre

更新が止まってしまっていたのは、立て続けに東京を離れていたから。

京都に行った次の週は福岡に里帰り。

その次の週は大学の前半を共に過ごしたクラスで卒業旅行@松島。

帰ってすぐに、今度は卒論・院試のために数ヶ月お休みしていたオーケストラに復帰すべく
合宿に参加@河口湖。

そうこうするうちに今年度も終わり、気づけば卒業でした。

卒業式の後の懇親会で突然挨拶を頼まれ、大急ぎで大学生活を振り返ってみて何より思ったのは、
考える楽しさや、知る喜びを覚えたのは大学時代だったということ。

大学に入ってからも例えばどの学部に進学するかとか、留学するかとか、その先のこととか、
岐路はたくさんあって、
その度に自分の生き方を問い直したり、
果てはもっと普遍的な人のあり方にも考えを巡らせたりもして。

考えすぎると混沌の中に迷い込んでしまってなかなか抜け出せないのだけど、
それでも考えるのをやめることができないくらい、
それはもう私の一部というか、私が私である証、まさにcogito ergo sum.

まっさらな紙を折ったり広げたりを繰り返す作業に似ていて、
折ってまた広げて、次は別の方向に折りなおしたりするのだけど、
最初に折った跡があるから次はもうちょっと複雑な折り方ができたりするわけで。
あるいは折り重ねすぎると分厚くなって先に進めなくなったり、
でもそれを1つ1つ広げていくと、次は折りやすい。
そうやってこの作業を重ねるほど、紙にはたくさん折り目がついてやわらかくなるのだ。

だからこうして考えたことは、
答えが見つかったかどうかを抜きに、
その行為自体がきっと糧になると私は信じている。

そういう機会をたくさん得られたことも、
そして時に考えを語り合える人と出会えたことも、本当に大きな収穫でした。

2009/03/13

kyoto




学科の友だち4人で卒業旅行と称して(4人中3人は進学だけど。。。)
京都弾丸旅行してきました。

1泊という短い旅行だったけど、嵐山方面を中心に観光面でも充実してたし、
何より2年生の冬からずっと切磋琢磨し合った仲間と一緒に旅行ができたことが
個人的にはとてもとても嬉しかった。

夜行バスで着いた早朝の京都駅で、喫茶店で朝ごはんを食べながらおしゃべりしたこと。
寒い寒いと、気の向くままに、お土産屋さんに寄り道したこと。
龍安寺で感動して思わず買ったおそろいのキーホルダー「我唯足知」。
半日かけて、鈍行を乗り継いでの帰路。浜松の駅弁屋さん。

なんというか、陳腐な言葉だけど、本当に「良き思い出」となったなぁと。

進振りのとき、迷いに迷って、この学科を選んだ決め手の1つは雰囲気だったりした。
そんな雰囲気に包まれて充たされたのでした。

2009/03/08

repetition

三越でやっている土門拳の写真展に行ったついでに、
隣ビルで展示してある三井家のおひなさまを見てきました。

それで、ふと思い出して久しぶりに読んでみた、石井桃子作『三月ひなのつき』

  

小学生のころ、たぶん主人公のよし子と同じ年のころ、本棚に見つけて読んだ本。
母に話したら、自分の成長と共に、年々違った捉え方ができるから、毎年おひなさまの頃に読んでごらん、と言われ、そんな本の読み方があるのかと新鮮だった覚えがある。
というのも、当時の私にとって、新しい本を読むことはいいことで、
気に入った同じ本を何度も読むのは、なんとなく怠惰な後ろめたいことのような気がしていて、
毎年繰り返して読むことを推奨されるなんて、なんだか特権的な感じがしたのだ。

それでも結局すっかり忘れて全然読まなかったこともあったけれど、
時々こうして思い出して、もう何度も読んだ。

一年前の3月3日に父親を亡くし、お母さんと二人でつつましく暮らす小学生のよし子が、学校の帰りにデパートのショーウィンドウでおひなさまを見た、というところから話は始まる。
よし子のお母さんは昔木彫りのとても素敵なおひなさまを持っていたのだけれど、
それが戦争で焼けてしまって、でもそのおひなさまがあまり素敵だったので、
規格品を買い与える気になれず、よし子はまだおひなさまを持っていないのです・・・

本の紹介には「ひなまつりを通して母と子の心の交流をすがすがしく描いた童話」と書かれている。

昔読んだときは、よし子の気持ちを毎年いろいろな角度で捉えていたのが、
今はもうお母さんの気持ちを考える部分が多くなった気がして、ちょっと感慨深い。


「ママは、あなたが大きくなるまで、毎年おひなさまのころにこの本を出して読んでほしいと思います。きっとママの気持ち―何故この本を読んでほしかったかという―が段々にわかってくれると思います。」
忘れていたけれど、巻末には祖母から母へ、こう書き添えられていた。

母も何度も読んだのだろうか。
私も自分のおひなさまって持っていないのだけど、
この本をこうして母娘で読み継いでゆくことがその代わりをなしてるみたい。