少し前後してしまうのだけど、ここ数週間ほどノーベル賞について改めて考えるような話題が相次いだ。
まず1ヶ月ほど前のル・クレジオの来日。
クレジオはフランスの作家で2008年のノーベル文学賞受賞者だけど、
モーリシャスの出身だったり、お父さんが軍医でアフリカに長く駐在していたり、
自身も中南米に滞在していたりして、franco-français(“純”フランス的というのかな)とは一線を画す作家ということで前から興味を持っていたのです。
今秋に来日の予定がある、との情報を耳にしてから一度話を聞いてみたいと楽しみにしていたところ、
ノーベル文学賞受賞者の対談という企画を見つけて、
応募してみたら運よく抽選に当たったので聞いてきました:大江健三郎とル・クレジオの対談。
私の先生が通訳をするという話だったので、イヤホンをつけて勉強しようかとも思ったのですが、
やっぱり文学者の生の言葉が聞きたいと思ってはずしてしまいました・・・
でも彼のフランス語はとても明晰で、
そして力があった。
本当に言葉の力というものを、実感させられる語りでした。
同世代の二人の対談ということで、
自らの時代をどのように位置づけるかということが共通項として語られていて、
当然、戦争についても言及があったのだけど、
クレジオがインカの格言を引いて
"le vaincu est vaincu, le vanqueur est perdu" (被征服者は制圧され、征服者は失墜する)
よって戦争には負けることしかできない (on ne peut que perdre la guerre) と述べていたのが
すごく印象的だった。
そんな戦争について書かずにはいられなかった、という。
いわく、「多彩性が織り成す世界において、人々が理解し合える場を提供するのが文学である」と。
彼にとって書くことは、内的真実に近づこうとすること。
それがサルトルとはまた別のかたちでのアンガージュマンの仕方なのだ。
そのサルトルは、実は唯一ノーベル文学賞受賞を辞退した人物。
理由はノーベル賞の政治的偏向とか。
1960年代という時代背景は今よりも強かったのだろうけれど、
(サルトルより前にソ連のパステルナークは政府の意向で受賞辞退を強いられているし、
反対に受賞したソルジェニーツィンはソ連国外追放になっている)
やはりそうやって権力構造と闘い続ける姿勢を貫く勇気は立派だと思う。
ノーベル賞の政治性をさらにうかがわせるのは平和賞。
例えばベトナム戦争の終結を理由にアメリカの国務長官が受賞するというのだけでも首をかしげたくなってしまうもの。ちなみに平和賞唯一の辞退者はこのキッシンジャーが受賞したとき、同時にオファーがあったベトナム側のレ・ドゥク・トで、「ベトナムにはまだ平和は訪れていない」と言ったらしい。
平和という概念と政治性を切り離して捉えることができるのかというのは、それだけでとても大きな問題なのかもしれないけれど、私にはレ・ドゥク・トのほうが真の平和を追求する者のあるべき姿に思えてならないのです。
そんなわけでオバマの受賞スピーチには少しがっかりしてしまった。
"the instruments of war do have a role to play in preserving the peace"
「平和を維持する上で、戦争という手段にも果たす役割がある」
アメリカの大統領は何にも先立ってアメリカの大統領であるということか。
アメリカの大統領として彼が推進する平和は、政治的な平和でしかないのかもしれない。
政治的な平和は、戦争のあとに訪れるのか。
オバマの引用するキング牧師やガンディーの非暴力という響きが空虚に感じられてしまう。
ちなみにガンディーは、ノーベル平和賞の内定を数度にわたって固辞し続けたらしい。
ところで、私が対談を聞きに行った11月27日はノーベル賞制定の日らしいのだけど、
奇しくも同じ日に、イランのノーベル平和賞受賞者シリン・エバディさんがイラン当局にメダルを押収されたのだよね。反政府デモの鎮圧を彼女が批判したことへの圧力とか。
そして今度は12月27日の反政府デモに関わったとして彼女の妹が逮捕されてしまった。
でも、こうして当局が圧力をかなり強めているということは、それだけ民衆の動きが無視できないものになっているということで、本当に近々、2月の革命記念日ごろまでに、大きく変わる潜在的な可能性を秘めた社会なんじゃないかというのが伝わってきます。いつか行ってみたいなぁ。
2009/12/29
2009/12/07
chasse aux feuilles rouges
授業のない平日を利用して、大学院の友だちと、鎌倉に行ってきました!
目的は紅葉狩り。
思い立ちさえすれば、鎌倉は都心から1時間くらいで着くし、
でも高校のときに遠足で来たことなどを思い出して、ちゃんと非日常を味わうのにちょうどいいところで、
朝乗る電車だけ決めて、あとはほとんど行き当たりばったり、気の向くままに、
お散歩しながら、一日を過ごすという、贅沢な楽しみ方。
ちょうど前日も翌日も雨だったのに、当日だけはすごく天気もよくて、寒すぎず、紅葉はピーク、でも平日だからそこまで混んでいない、という最高の条件でした♪
朝からハイテンションな二人は、
電車の中でも1時間喋りっぱなし笑。
お昼前に着いて、しらす丼を食べながら、作戦会議。
とりあえず鶴岡八幡宮へ。向かうも小町通りで雑貨屋さんに寄り道。
途中で勧誘してきた人力車のお兄さまから名所だけ伺い(・・・だって学生には高いんだもん)
鎌倉幕府の中心だった一帯を周ることに。
①鶴岡八幡宮
②荏柄天神社(学問の神様!)
③鎌倉宮
そしてお目当てはこれ。
④覚園寺

あまりメジャーではないけど、紅葉のピークとネットに書かれていて、写真がとてもよさそうだったので少し中心をはずれて奥まで行ってみたところ、案の定色づきかたが一番鮮やか。
そういえば卒業旅行の京都も嵐山を中心に周ったけれど、こういう少し外れた観光ポイントが好き。
あまりの天気のよさに、ついつい一日中歩いて周ってしまったけど、
甘味処に入って一息。
日も暮れてきたところで、江ノ電に乗り込む。
最後のイベントは、
⑤長谷寺のライトアップ

境内に上の方に登っていくように順路が設けられていて、鎌倉全体の夜景も見渡せたり、
写真にはうまく収められなかったのだけど、ライトアップされた赤が水に映えていたのもとてもきれいでした。
たまにはこうして一日をフルに使って、「いかにも」な気分転換をするというのも、
リフレッシュされて爽快なものです。
目的は紅葉狩り。
思い立ちさえすれば、鎌倉は都心から1時間くらいで着くし、
でも高校のときに遠足で来たことなどを思い出して、ちゃんと非日常を味わうのにちょうどいいところで、
朝乗る電車だけ決めて、あとはほとんど行き当たりばったり、気の向くままに、
お散歩しながら、一日を過ごすという、贅沢な楽しみ方。
ちょうど前日も翌日も雨だったのに、当日だけはすごく天気もよくて、寒すぎず、紅葉はピーク、でも平日だからそこまで混んでいない、という最高の条件でした♪
朝からハイテンションな二人は、
電車の中でも1時間喋りっぱなし笑。
お昼前に着いて、しらす丼を食べながら、作戦会議。
とりあえず鶴岡八幡宮へ。向かうも小町通りで雑貨屋さんに寄り道。
途中で勧誘してきた人力車のお兄さまから名所だけ伺い(・・・だって学生には高いんだもん)
鎌倉幕府の中心だった一帯を周ることに。
①鶴岡八幡宮
②荏柄天神社(学問の神様!)
③鎌倉宮
そしてお目当てはこれ。
④覚園寺
あまりメジャーではないけど、紅葉のピークとネットに書かれていて、写真がとてもよさそうだったので少し中心をはずれて奥まで行ってみたところ、案の定色づきかたが一番鮮やか。
そういえば卒業旅行の京都も嵐山を中心に周ったけれど、こういう少し外れた観光ポイントが好き。
あまりの天気のよさに、ついつい一日中歩いて周ってしまったけど、
甘味処に入って一息。
日も暮れてきたところで、江ノ電に乗り込む。
最後のイベントは、
⑤長谷寺のライトアップ
境内に上の方に登っていくように順路が設けられていて、鎌倉全体の夜景も見渡せたり、
写真にはうまく収められなかったのだけど、ライトアップされた赤が水に映えていたのもとてもきれいでした。
たまにはこうして一日をフルに使って、「いかにも」な気分転換をするというのも、
リフレッシュされて爽快なものです。
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