夕方、サン・ミッシェル橋を渡っていたら人ごみに遭遇した。
よく見るとアルジェリアの旗を掲げている。
そう、10月17日は「セーヌの罪」といわれる、フランス警察によってアルジェリア人が虐殺された日なのだ。
1961年10月17日。
つまりアルジェリア戦争の只中である。
当時フランス、とりわけパリでは在仏アルジェリア人の「動員」をめぐって
独立派FLNとフランス当局が激しく対立していた。
独立戦争は当然「本国」でも戦われていたということになろう。
当時警視総監だったパポン氏はFLNの活動を弾圧すべく、
「イスラーム教フランス人」(=アルジェリア人)に限定して夜間外出禁止令を発令、
この差別的措置に抗議して、FLN側がデモ行進を行ったのが10月17日のことでした。
しかしこのデモを当局は激しく弾圧、何十人あるいは何百人ものアルジェリア人が
セーヌ川に投げ込まれるなどして虐殺されたのです。
当局が直接関与した虐殺、つまり国家的犯罪になるわけですが、
記憶の復元はようやく始まったばかりというところ。
このパポン氏というのは、
実はVichy政権時代にジロンド県知事としてユダヤ人の強制収容所移送に関与した罪で
80年代に起訴されてからかなり長い間係争が続いて、メディアでも大きくとりあげられた
「パポン裁判」で有名な人物なのだけど、
97年にようやく裁判がはじまってから、関連してこの事件についても国家機密が公開されることになったらしい。
このあたりの時差が「記憶の政治」における地政学を反映してる気がしてならない。
良し悪しの評価を抜きにして、例えばユダヤ系ロビイングが強いのは確か。
パポンの一件が報道されたのも大統領選前夜のことで、
政権交代を実現した社会党は、この一件でユダヤ人票を獲得したといわれている。
(パポンは前政権で大臣を務めていた)
そもそも80年代に起訴されるまでパポンは政治家だったのだということ、
そしてド・ゴールによって勲章レジオンドヌールまで授けられているということ自体、
「共和国の罪」の根深さを感じさせるのだけどね。
2011年は50周年にあたるので、集会の規模も大きかったみたい。
前日社会党の代表選に勝利したばかりのオランド氏も献花に訪れたとか。
・・・再び政治利用のにおいがしなくもないが、
記憶とは常に演出されることによって現代に留まることができるのだとすれば、
政治性はまぬがれないのかもしれない。
1961年10月17日をめぐってよく引用されるのがカテブ・ヤシンというアルジェリア人作家の詩。
Peuple français, tu as tout vu フランス人民よ、きみはすべて見た
Oui, tout vu de tes propres yeux. そう、すべてを、きみの目で見たのだ。
Tu as vu notre sang couler きみはわれわれの血が流れるのを見た
Tu as vu la police きみは見た、警察が
Assommer les manifestants デモ行進する者たちを叩きのめし
Et les jeter dans la Seine. セーヌ川に投げ込むのを。
La Seine rougissante 赤く染まったセーヌ川は
N’a pas cessé les jours suivants それから幾日もとめどなく
De vomir à la face 吐きつづけた
Du peuple de la Commune コミューンの人民の顔に
Ces corps martyrisés 殉教者の身体を
Qui rappelaient aux Parisiens その身体は パリ市民たちに
Leurs propres révolutions 彼ら自身の革命
Leur propre résistance. 彼ら自身の抵抗を想起させる。
Peuple français, tu as tout vu, フランス人民よ、きみはすべて見た、
Oui, tout vu de tes propres yeux, そう、すべてきみ自身の目で見たのだ、
Et maintenant vas-tu parler ? さあ、きみは話すのか。
Et maintenant vas-tu te taire ? さあ、きみは黙るのか。