2011/12/23

retour

一週間の冬休みをつくって「帰省」してきました。



おかえり、と迎えてくれる場所があるのは癒されます。

高校のときの留学先・・・フランスにおける私の原点、故郷です。パリより好きです。
ロータリークラブの交換プログラムで留学していたわけですが、
クラブの会員は、私のホストファミリーを含め、地元のちょっとした名士的な存在で、
地元のバスケット・チームのスポンサーになっていたりします。
そんなわけで留学中はよくバスケットの試合につれってもらったのだけど、ちょうど今回の滞在中に年内最後の試合があったので観戦してきました。



このチーム、去年はなんと、国内リーグで優勝したの!!!!

・・・人口6万人の小さな町だからってバカにしちゃダメよ(笑)

2011年も勝利で終えて、今シーズンも暫定首位。
決勝戦はパリなので、今年も勝ち進んでくれたら応援に行きたいなぁ。

この町もきっといろんな変化を経験したのでしょう。
でも当時言葉もわからず、世間も知らなかった私が見ていた町を、
何年もたってあらためて歩く新鮮さは、たぶん町の変化よりも自分の感覚の変化を反映していたような気がします。

2011/12/16

Barcelona

まだ学期中ではありましたが・・・
授業を終えてその足で空港に向かいスペインまでひと飛び・・・2泊ほどバルセロナに行ってきました♪

今回はオルリー利用だったので空港までも30分ほど、飛行時間は1時間半ほど、
先学期の韓国旅行よりもさらに気軽な小旅行でした。

私のバルセロナのイメージはこんな感じ。
 
道幅が広くて風通しがよい、開放的な都市。
19世紀中盤の都市計画がもとになってるらしいから、パリと同時期なのね。

一方、この幾何学的な都市設計に抵抗するように建っているのが
ガウディに代表されるモデルニスモの建築。
   
といっても直線を極力排した設計も「幾何学的」に計算されたものなのだろうけど。

この両者が共存して、モザイクみたいな街になってるのだ。
   

ちなみにカタルーニャの歴史もとても興味深いのだけど、
たとえばガウディのような建築家は、資本家をパトロンに持っていて、
資本家はどこで資産を蓄えていたかというと、植民地だったりする。

中央と地方の対立は植民地帝国における覇権争いという背景とも切り離せないという議論も耳にしたことがある。

ガウディが設計したミラ邸という個人の邸宅でみつけた2枚の広告がとても象徴的。
    
ネグリタというびっくりな名前のラム酒、知らなかったのだけど、
ココア・パウダーのバナニアくらい有名なコロニアル製品みたい。
(赤い帽子がシンボルのセネガル狙撃兵が幼児語で「オイチー」と言っている様子を象ったバナニアのかつてのあからさまな広告は一応禁止処分となったものの、当時のデザインのブリキ缶など「レトロ製品」としてよく見かける。)

・・・この「レトロ趣味」という名のネオ・コロニアリズムの根強さはけっこう信じがたい。
もう1枚の広告は、Paul Colinの描いたジョゼフィン・ベイカーのシャンゼリゼ劇場公演のポスターなのだけど、このポスターの複製はあとで調べてみたらコレクターがいる。

ジョゼフィン・ベイカーといえば、パリで大ブレイクしたアメリカ出身のジャズ歌手だけど、植民地博覧会で人間を展示していた当時のパリの舞台で彼女がどのような役を演じていたかを考えると、
その賞賛者の一人にやはりバルセロナで活躍したピカソがいることは、じつに絶妙な一致だ。

そんなわけで、フランスとスペインはやっぱり近いのだなーと改めて感じたのでした。

2011/12/07

Pasteur

パスツールといえば、学校に行くとき、乗り換えでいつも通る駅の名前だ。
もちろん、あの細菌学者、パスツールのこと。
そしてここには、パスツール研究所がある。

ちなみにパリの駅名にはほかにも、植民地総督のひとり、ガリエニとか(!)
フランスにジャガイモをひろめた農学者パルマンチエとか
作家のアレクサンドル・デュマとか・・・人名がついてることはよくあるのだけど、
駅名とか通りの名前とかって政治的なもので、けっこう問題含みの選択もある。
名称として使用されるだけで、名前そのものだけが実体とは切り離されて大衆化するから。

というわけで、降りてみた。

というのも、高校のときの友だちが私がパリに来ていると知って連絡をくれたのだ。
いわく、「パスツール研究所で働いてるから会いにおいでよ、案内してあげる」と。

研究所付属の図書館および美術館の案内員をしているらしい。
普段は予約団体の案内を担当してるみたいなのだけど、特別にプライベート見学ツアーを組んでもらいました♪

3000人近くが働いているという研究所だけあって、かなり敷地もひろく、
築120年以上になる建物の荘厳さも併せて、研究所の当時から続く名声の高さを物語っている。
実際、最初の狂犬病ワクチン接種を成功させて以来、世界中から支援が集まって、研究所の創設にいたったらしい。

近代における科学の権力の強さだなーと思う。
まさに「帝国の時代」なのだ。

そういえば、ダカールにもパスツール研究所あったな、と思って調べてみたら、
みごとに、世界にある研究所のほとんどが、この時代に、植民地に創設されたものでした・・・
感染症が「熱帯病」とよばれていたのもよくわかる。

どのような状態をどう判別するか、
医学は「正常」という暗黙の前提を設置するわけで、
最近では帝国医療研究というのも盛んになってますが、
パスツール研究所という組織も例外ではないということでしょう。

ところで、パスツールの生きた時代は、アール・ヌーボーの時代でもあって、
美術館で印象に残ったのは、ガレ作の花瓶。
パスツールの70歳の誕生日に弟子たちがオーダーしたもので、
彼の業績を象徴するデザインがほどこされているのを、こっそり友だちが手にとってみせてくれたのです(笑)
パスツール研究所を見学してみようという発想はなかったけど、新発見でした☆