2012/01/23

dimanche parisienne

親友がパリに戻ってくるというので1日お出かけ。

彼女とは、シアンスポ時代によく一緒に美術館めぐりをした思い出があって、
久しぶりに文化的なことしなきゃね、といって
改修したばかりのオルセー美術館に行ってきました。



色彩、空間、配置で、作品の印象はだいぶ変わるんだな、というか
久しぶりに訪れたということもあってか、今までとは違う作品が目にとまることが多くて、
常設展が充実してるフランスの美術館の醍醐味を思い出しつつ、
学生特権のあるうちにもっと来ようと改めて思ったのでした。

帰り際に喫茶店によって、絶えないお喋りに花をさかせ続けているうちに、
去年フランスで大ヒットした映画の話に。
"Intouchables"という映画、『最強のふたり』という邦題で実は東京国際映画祭のグランプリにも輝いてるみたいですが、とにかく笑える!という評判とは裏腹に、
「郊外に暮らす黒人青年が介護することになる全身不随の白人富豪との交流」といういわば陳腐な設定が、「黒人奴隷が白人の主人を笑わせる」という古典的な人種差別のテーマ系におさまってしまうといった指摘もあって、評価が二分されているのです。

私も最初はその設定ゆえに素通りしてたのだけど、
異例のヒットで、あまりにも「お勧め」されるので、気になり出していたこの映画。
やっぱり自分の目で確かめなきゃ、ということで、そのままカフェをあとにし、映画館へ。

結論からいうと、個人的には気になるところもありつつも、それなりに楽しめました。
たとえば「人種」の設定は、たしかに演出のひとつにはなっているけど、それは舞台装置にすぎないと感じられる程度に背景におさまっていたからかな。
でも本当に考えるべきなのは、映画そのものよりも、この映画が大ヒットして、フランスで暮らす人びとが「大いに笑った」という事実のほうだと思う。
私は背景におさまっていると感じた、つまり別の装置でも同じように目立たないものであれば違和感はないだろうと思うのだけど、
本当は装置は前景にあるのに、自分のイメージのなかにある装置と一致しているために意識されなかったということだとしたら・・・
しかも大衆受けするということ、それもコメディとして、というのは後者の可能性が高い。

経済危機にもかかわらず、あるいはそれゆえに(?)
去年フランスでは映画館、美術館ともに観客数が大幅に増加したという事実と併せてちょっと考えさせられる現象かも。

もしかしたら自分もその現象に乗りつつ、
それも含めて文化的なパリを旧友とともに1日満喫できたいい休日でした☆

2012/01/19

en paix avec soi

こっちに来てからずっと気になってる表現に"être en paix avec soi"というのがある。
paixは英語のpeaceに相当するので、直訳すると自分自身と平和な関係にある、ということ。あるいは、自分と仲良くする、といった感じでしょうか。

要するにありのままの自分を受け容れるということなのだろうけど、
これがフランスではとても大事な価値基準になっている気がします。
個人主義の国といわれる所以だけど、
この価値観を体現している友だちの生き方はけっこう説得力がある。

社会的評価に左右されるべきではない、なんてよく言うけど、
実際は他人の目というのはある程度内在化されているもので、
だから自分のなかで葛藤が起きたりするわけだ。

フランスにだってもちろん一定の風潮を生み出す「社会」というのがある。
それでもいろんな人がそれぞれに堂々と生きているように見えるのは、
みながどこかで「好きにすればいい」と思ってるからのような気がする。
社会が寛容で多様な生き方を受け容れているというよりは、
個人個人が自己の生き方を受け容れることで
それぞれが勝手に社会に自分の場所を確保していっているのだ。

こういう生き方に接するのは、まあ疲れることもあるけど、人生を楽しむヒントを得られたりもする。

葛藤を乗り越える、あるいは無効化するという発想、
つまり現実から理想に向かって進んでいけばいいのであって、
理想と現実とのギャップに悩まされる必要はないということだ。
これって単なる視点の転換なのだけど、研究生活においても大事なことなのよね。

2012/01/04

resolution

日本から友だちが鏡餅を持ってきてくれて、パリの部屋にもお正月が訪れました。ありがとう!

とはいえ、大晦日も元旦も、なんというか、同じ365分の1にすぎないと思うのだけど、それでも新しい年が始まるという意識を持つことになにか意味があるとすれば、それはひとつの区切りや契機になりうるからでしょうか。

友だちの表現を借りるなら「ひとつの扉を閉めて、新しい戸を開ける」ということ。

過去がなければ現在には至れないのだから、
どんなことがあっても、過去を否定する必要はないと思うけど、
ときが来たら扉を閉めて、区切りをつけることも大事だ。

(という私はどちらかというと過去が好きなのだけどね
・・・別にだから歴史をやってるというわけではありません

新年の決意をフランス語ではrésolutionというのだけど、
この単語、数学の「解」と同じ語で、動詞にしても解きほぐすという意味がある。
日本語の決という字にも決断、のように切るという意味があるのと似てるのかしら。

絡まっていたものをほぐして「解決」するということは、
つまり答えにつながる紐をひっぱり出して、
そのほかのものと引き離すということかな。

昨年はいろいろな意味で変動の大きな年だったといえるに違いない。
その過去を否定するのでも忘れるのでもなく、そっと扉を閉じられるだろうか。
あたらしい環境のなかで歩いていけるように、私も小さなrésolutionをしてみよう。


ところで・・・
新年早々、ユッスー・ンドゥールがセネガルの大統領選に立候補するというニュースが入ってきたのだけど、うーん。