このブログを読んでくれているひとなら、もしかしたらニュースを追ってくれてたかもしれないけれど、
セネガルに新政権が誕生しました!!
独立セネガル4人目の大統領にして、初の独立後世代、1961年生まれ。
推定85歳以上といわれていた前任のWade氏の再選を免れたことで、随分と若返りを果たしたわけ。
初代大統領サンゴールが高齢を理由に早期辞任したその同じ年齢で、
初の政権交代を実現して大統領に当選したWade氏は、実はセネガルで複数政党制が許可されてから初めて、そして当時大勢を占めていたサンゴールの社会党に対する唯一の対立候補として長年立候補し続けてきた闘士だったから、2000年の政権交代は独立セネガルの大きな転換点だったのかもしれない。
そもそも独立前夜の1950年代、急進的独立派の学生団体の一員として既に活動していたことを考えると、独立移行期、あるいは草創期の統治に対する反体制派の台頭という流れのなかにセネガル政治は納まっていたともいえる。
その意味で、新しい政権の誕生は、セネガル史のページをめくる可能性を秘めているはず。
でも何より歓迎すべきなのは、
結局政権にしがみつこうともがき始めていたWade氏の3選を防げたということ。
政権交代を果たした際にWade氏が前任Diouf氏から受けたように、投票終了後、早々に(公式結果の発表を待たずして)Wade氏は敗北を認め、後任Sall氏を祝福したのだ。
私が初めて訪れた2009年の時点で既にセネガルは3年後の大統領選の話題でもちきりでした。
というのも当時大統領だったAbdoulaye Wadeの息子Karim Wadeが、首都ダカールの市議会選で落馬したのち、大臣に任命されたばかりだったから。
息子の政界進出で、大統領の職を継承させようとしているWadeの意図が見え隠れしはじめていたのでした。
Karimの落選はセネガル市民からのサインだったはずなのだけど・・・
結局それでも聞く耳を失ってしまったWade氏は息子に当選の見込みがないとわかると、自らの出馬に方針転換、その後息子に譲渡(?)するため、決選投票を廃止するとか、副大統領職を創設するとか、なんだかんだと憲法改正に着手しはじめたので、ついに市民社会もM23運動という反体制運動を結成。
大規模なデモや集会を重ねて、改正法案の提出を阻止したり、
かなり大きな勢力を形成していって、
文字通り国をあげて大々的な攻防戦が展開されることとなったのです。
そんなわけで今回の大統領選の最大の争点は、
Wade氏の再選防止という呈をなしていた。
一方で、反Wadeの声が強くても、我こそは、と、候補者が続出した分、
票が割れて結局再選っていうシナリオも大いにありえそうな状況でもあった。
何より野党に決定的な対立候補が欠けていたわけ。
そんななか、もうひとつ注目を集めたのが、
超有名歌手、ユッスー・ンドゥールの出馬表明。
セネガルを知らない人でもユッスー・ンドゥールは
日本ですらわりと有名なんじゃないかな。
その知名度と人気で、強力な対立候補が登場したのではないかと、
けっこう話題をよんでいました。
ところが結局投票1ヶ月前にして憲法評議会は、Wadeの出馬を正式に承認すると同時にYoussou N'Dourの登録を却下する決定を発表して、いよいよ緊張が高まったのでした。
権力確保をWade氏があの手この手で画策しはじめてからは、最も確実な再選阻止の方法と思われた、出馬そのものを断念させるという道もここで閉ざされてしまったからには、反Wadeという民意をきちんと票に反映させることができるか、すべては投票にかけられたわけ。
今度はどんな手で再選を正当化しようとするのだろうか、でもそうなったら、市民の抗議はいよいよ激しくなるんじゃないか・・・心配されただけに、敗北を認めざるを得ないほどWade氏に大差をつけることができたのは民意の大勝利だったのでした。
ちなみにユッスーの出馬が注目を集めたのは、単にその知名度だけではなく、
彼がいわゆるエリート層に属していなかったから。
というのも、西アフリカには伝統的にグリオといって、王族に仕えてその栄華をたたえた詩を詠うことを生業とする人たちがいて、彼らは特定の家系、さらには特定の社会階層に属しているのだけど、ユッスー・ンドゥールはまさにこのグリオ出身なのです。
演奏行為はどちらかというと卑しいものとされ、グリオは被差別階層に位置する一方で、
ある意味では言葉の力を操ることのできる彼らは、特に王族の繁栄には欠かせない特別な存在でもある。
この社会階層は実は現在も残っていて、結婚式をはじめとする祭典ではグリオが呼ばれるし、
たとえばサンゴールにも有名な女性グリオがいたり、あるいはユッスー・ンドゥールがグリオの出身だということももちろん、セネガル人はみな知っている。
で、グリオはグリオ。
サンゴールさまは例によって「階層差別はなくなりつつある」と仰せだったけど、
政界に特定階層の出身者が極めて少ないのもある程度事実なのだ。
だからもし、ユッスーが出馬していたら、そしてその場合はかなりあり得たことだと思われるけど、
もし彼が当選していたら、グリオが国家元首になる、というのは恐らく大きなタブーをひとつ壊す出来事になったに違いなかった。
その出馬が却下されたことは、有力候補を退ける大勢側の策略という以上に、
そういった社会的要因が作用した結果だったのではないか、という分析もされている。
そんなわけで新しい大統領は純・政治家。
まあもともとはWadeの側近で、首相も務めたことがあるくらい。
でもやはり独立後世代ゆえに可能だったであろう新しさは、有力者の家系、エリート階層、ではないこと。
もしもM23の抵抗によって憲法改正が阻止されていなかったら、
第一回投票で25%以上獲得していたWade氏が決選投票にかけられることなく再選していた今回の選挙。そう考えるとやはりSall氏は大衆の力で大統領の座にのぼりつめたといえるのかもしれない。
そんな大衆の期待の高まるなかで、どこまで民主的な大統領像を築き上げることができるのか。
あるいは、どこまで大統領像というものを崩して、民意を体現できるのか。
セネガルは民主主義の伝統(“優等生の名誉”)を守りぬいたという「国際社会」の歓迎をよそに、
本当に新しいページをめくることができるのか、大統領に向けられたセネガル市民の視線は厳しそうです。
2012/03/21
2012/03/07
Aix en Provence
私の今通ってる学校は授業が11月に始まったので、
前期と後期の間は休みなく連続して授業が行われる・・・という説明に納得していたのは、
やはり日本の概念に囲まれて生きてきた証拠でした(笑)
そんなわけで特に説得的な理由はないような気をよそに、
授業のない空白の期間が突如として出現したので、
その機会を利用して南仏はエクサンプロヴァンスまで、調査旅行に行ってきました。
Aixというのは水の街、水源があるので石畳の小道のあちこちに噴水があって、
地中海の香りのするきれいな街ですが、
植民地関係の行政文書を保管している史料館のある場所でもあり・・・
後者の理由で訪れたわけです。

アーカイブっていうのは集中して連日通う場所なの。
だから係のひともいつも「また明日」って言う。
それで時期が重なったひととは顔見知りになる。
だいたいエクスのような小さい街で、しかも中心街は徒歩圏外だったりすると、
お昼を食べる場所までみんな一緒だったりして(笑)
今朝は収穫なしだよ・・・なんて友だちと話してると
隣の席に座ってた先輩研究者が、あるある、って同意してくれたりするのだ。
アーカイブという特殊な空間に篭って一次史料とにらめっこって
歴史家のもっとも地味な作業の象徴という感じなのだけど
その分こういう交流はとてもありがたかったりする。
そして今回は同じ西アフリカ研究の友だちと日程を合わせて同行、
着いてみたら偶然(というか上記の理由に鑑みるとある程度当然)同じ学校の別の学生ももう1人来ていたので、いちいちフィードバックができて、
留学したての私にとっては、ようやく自分の立ち位置を少しずつ実感できる体験でもあり、
そういう意味でもとてもいい滞在となったのでした。
前期と後期の間は休みなく連続して授業が行われる・・・という説明に納得していたのは、
やはり日本の概念に囲まれて生きてきた証拠でした(笑)
そんなわけで特に説得的な理由はないような気をよそに、
授業のない空白の期間が突如として出現したので、
その機会を利用して南仏はエクサンプロヴァンスまで、調査旅行に行ってきました。
Aixというのは水の街、水源があるので石畳の小道のあちこちに噴水があって、
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だから係のひともいつも「また明日」って言う。
それで時期が重なったひととは顔見知りになる。
だいたいエクスのような小さい街で、しかも中心街は徒歩圏外だったりすると、
お昼を食べる場所までみんな一緒だったりして(笑)
今朝は収穫なしだよ・・・なんて友だちと話してると
隣の席に座ってた先輩研究者が、あるある、って同意してくれたりするのだ。
アーカイブという特殊な空間に篭って一次史料とにらめっこって
歴史家のもっとも地味な作業の象徴という感じなのだけど
その分こういう交流はとてもありがたかったりする。
そして今回は同じ西アフリカ研究の友だちと日程を合わせて同行、
着いてみたら偶然(というか上記の理由に鑑みるとある程度当然)同じ学校の別の学生ももう1人来ていたので、いちいちフィードバックができて、
留学したての私にとっては、ようやく自分の立ち位置を少しずつ実感できる体験でもあり、
そういう意味でもとてもいい滞在となったのでした。
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