書きかけていた記事もあったのだけど、気づいたら1年以上も間が開いてしまいました。
思えば前回の投稿は、セネガル/ガーナに向けて発つ直前のこと。
その滞在を終えたあと、めまぐるしくパリで新年度を迎え、今、再びセネガルに来ています。
セネガルも、もう5回目。
西アフリカを数カ国まわってから、ダカールに着くと、
こんなにエネルギー過多な街に、不思議なほどスムーズに潜りこんでいける気になる。
その一方で、ここは来るたびに、変化の勢いに圧倒させられる場所でもある。
第一、空港エリアが中も外も、はじめて来たころに比べて、
どんどん「近代国家」的に整備されていっているのを、まず目の当たりにする。
2012年の大統領選前後は、お決まりのようにインフラ工事が大幅に行われていた、
というのもあるかもしれない。
今、この国は変化の途にあるのだ。
そんなことを思わされたのは、大学向かいのカフェ。
ここは、いつからか、知識人たちの集いの場となっていた。
ちょうど、ひと時代前の、パリのカフェのように。
独立期に学生だった彼らは、その後政治家となり、大学教師となり、そして引退してからも、意見を交わし続けていた。
大学向かいのカフェは、いつしか引退した彼らが、ときには現役のものも交えて、
朝のひとときを過ごす場であった。
彼らに研究調査の一環として、インタビューを申し込むために、
私もよく、このカフェで待ち伏せしたものである。
ところがそのカフェが閉まっていた。
正確には工事中で、改装するのか、ほかのものになってしまうのかはわからないけれど、
かつてのあの場はもうなくなってしまった。
と、同時に、そこで知り合った当時の証人たちとの面会も年々困難になっている。
「世代」が変わろうとしているのだ。
セネガルをはじめ、この大陸の多くの国は若年比率が非常に高い。
そしてやはり、この街の「勢い」は若者からきていると思う。
先達のあとを追いながら、生まれ遅れたとよく思ったりするのだが、
この変化を肌で感じることができるのは、私の世代の特権かもしれない。
時代と共に歩む、ということを、フランス語では所有形容詞を使って、「その人の」ときと共に歩むという表現をする。
私は私の時代と共に歩んでいくということなんだなと、バスの窓から工事現場を眺めながら考えていたら、折りしも今日は、6月23日、セネガルの若者が、前大統領の違憲立候補に声をあげ、反対運動M23を結成した日だった。
これからこの国は、どう変わっていくのか。
共に歩んでゆくのが楽しみだ。