個人的には昔チューターした子たちが2人ともこの街から来ていたので機会があれば行ってみたいとずっと思っていたのです。
グルノーブルの名所といえばバスティーユの丘。
「バルーン」とあだ名のついた、丘にあがるための
まーるいケーブルカーが写真にうつってるのがわかるでしょうか。
ところでバスティーユというのはもともと城塞という意味の普通名詞ですが、定冠詞のついた大文字の固有名詞ラ・バスティーユといえばパリのバスティーユ広場を想起するひとも多いはず。ここも牢獄になる前はもともとパリの外につくられた城塞だったのよね。
でも実はグルノーブルにあるもうひとつのラ・バスティーユは革命で有名になったパリのバスティーユにちなんで名づけられたのだそうです。
というのもフランス革命の中心となった一派がグルノーブルから来ているから。
革命の起きた18世紀末のフランスは財政難で税制の改革が争点になっており、特権階級を擁護する高等法院と貴族からも徴税したい王室は対立していたのだけど、税制改革を推し進めるために高等法院の権限を大幅に制限する司法改革を王室が発表すると、特に強く反発したのがパリとグルノーブルの高等法院だったのだ。
高等法院は特権階級だけど、全国三部会の召集という点では民衆と要求は同じ。
というわけでグルノーブルに向けられた国王軍に対し、市民は屋根瓦を投げつけて撤退に追い込む。バスティーユ襲撃前年のこの「屋根瓦の日」は革命の前兆として位置づけられているというわけ。
このあとにグルノーブルのあるドーフィネ地方三部会、そして全国三部会と続いていくのですが、
そのなかにいたBarnaveやMounierといった人物の名前が革命におけるグルノーブルの中心的役割を象徴してるといえるのでしょう。
史学科の学生がこんなおおざっぱな歴史を書いたら怒られそう・・・
で、グルノーブルのバスティーユは19世紀にサヴォアからの攻撃に対する砦として建設されたのだけど、結局ナポレオン3世時代にフランス領となったために一度も砦として使われることはなかったみたいです。