2009/01/08

sept herbes


せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ

春の七草で七草粥。

それにしても1月はいわゆる「日本的」な習慣がたくさん残っている気がする。やはり1年の初めだからなのか。

お正月らしいことはあまりしなかった我が家でも、
祖父母から送ってもらったつきたてのお餅と、叔父からもらったナマコと、
子どもたちの好きな紅白なますは食べました笑。
以前フランス人の先生に「ナマコって何?」と絵を描かされたのだけど、
絵に描いて説明するモノでは決してない気がする。。。

年末に近所を歩いてみると、見る家ほとんどが松飾りをつけていたり、
授業が再開して学校に行けば、みな口々に「おめでとう」と言う。
やがて成人式には振袖姿の新成人が街にあふれ、皇居では歌会始。

歌会始って今でこそ天皇は燕尾服、皇室の女性たちはカラフルなドレスで、テレビ中継だけど、
お題を決めて持ち寄った歌を披露し合うというのは、よく古文とかに出てきた世界ですよね。
文学的才能がステータスになるというのは風情があっていいなと思ったり。

そういえば先日、学部長が荒川洋治を引いて
「実学偏重の世の中だが、文学こそ実学である。」という話をしてました。
今の世界情勢ではいわゆる実学の脆弱性が露呈したようなものだが、言葉というのはときに
その人の世界観を変えるほど大きな影響力を持つという点で真に力を持つといえるのではないか、
というようなお話。

彼の詩は読んだことないので、コンテクストはわからないし、学問云々という観点では疑問も残るけど、
ことばの力は実によく表現されていて共感する部分もあるなあと。
ことばの力に気づくときが何よりも感動するもの。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

宮沢賢治論が
ばかに多い 腐るほど多い
研究には都合がいい それだけのことだ
(中略)
このいまの目に詩人が見えるはずがない
岩手をあきらめ
東京の杉並あたりに出ていたら
街をあるけば
へんなおじさんとして石の一つも投げられたであろうことが
近くの石 これが
今日の自然だ
「美代子、石投げなさい」母。

ぼくなら投げるな ぼくは俗のかたまりだからな
だが人々は石を投げつけることをしない
ぼくなら投げる そこらあたりをカムパネルラかなにか知らないが
へんなことをいってうろついていたら
世田谷は投げるな 墨田区立花でも投げるな
所沢なら農民は多いが
石も多いから投げるだろうな
ああ石がすべてだ
時代なら宮沢賢治に石を投げるそれが正しい批評 まっすぐな批評だ
それしかない
(中略)
「美代子、あれは詩人だ。
石を投げなさい。」



荒川洋治の書くものは結構好きだな
上の詩と、たまに見かけるエッセーしか知らないけど。
逆説的にものをいう人だから、「疑問が残る」
って受け取り方でいいと思う。
「ことばの力は実によく表現されていて共感する部分もある」
って確かにそうだねー

匿名 さんのコメント...

うあっ
僕です。

因みに、上の詩は
http://uraaozora.jpn.org/po9403.html
に全文ありました

petit.printemps さんのコメント...

>ikuさん
あ、この詩!前にいくさんブログに載せてましたよね?
最初は違和感、なんですが、改めて読むとけっこうすっと入ってきます。

ことばの力ってずっと気になりながらうまく表現できないんですよね。サンゴールに興味を持ったのも、政治家であるより先に詩人だったというのもありますし。