2008/12/25
memoire
論文の下書きを先生に見せて、ダメだししてもらうとやる気がでるもの。
というわけで、先生方、先輩方からのアドバイスと自分の実感から、
執筆の道標を記録しておくことにします。
・行き詰まったら、初心に帰って、一次資料にあたる。
さらには、もっと根本の情熱を再認するのも原動力になる。
・読んだ量がけっこうものをいう。
やっぱり急がば回れで、いかに着実に蓄積できるかが論の厚みになる。
何をしていいかわからなかったら、とにかく読むこと。
・もやもやしてきたら、とりあえずブレイン・ストーミング。
・ある程度形になってきたら、一度突き放す。
客観的に何が足りないかをどんどん挙げていく。
・最後にキーワードで流れを追えるような縦のラインをつなぐと筋が通った論文になる。
論文書くのって料理をつくるのに似てると思うのだけど、
料理器具の質も多少は出来に関係してくる。
私の使ってる器具はあまりいいものではないかもしれない。
とはいえ、器具の質も高すぎると私には使いこなせないものもある。
材料はちょっと足りないものもあるけど、比較的いいものを揃えられたかなという感じ。
あとは私の腕次第。
今あるもので可能な最高の出来を目指さなくては。
細かいところをどこまで丁寧に扱えるか、が勝負ですかね。
☆☆☆
久しぶりに近くの教会でクリスマスのミサに預かって、
いつも私のために祈ってくれる人のために祈ってきました。
私は信者ではないけれど、カトリックだった中高で習った印象的な話があります。
“『足あと』のプリント”と私たちは呼んでいたもので、苦しいときに思い出しなさい、と言われていました。
人生を振り返ったときに2種類の足あとが刻まれている、
1つは自分の歩んできたもの、もう1つは神さまのもの。
ところが足あとが1種類しかない時期がある。思えばそれは自分が一番苦しかったときである。
そこで「なぜあんなに苦しかったときに、あなたは私の側にいてくれなかったのか」と神さまに聞くと、
その足あとは、苦しい自分を背負って歩いていた神さまのものだという答えが返ってくるという話。
つまり、苦しいときもあなたは決して一人じゃありませんということ。
すごくキリスト教的だけど、救いに満ちてるなあと思うのだ。
2008/12/21
pourquoi Afrique?
なんでアフリカ?ということ。
「でもなんでアフリカなのー?」
ってこの前先生にも聞かれてしまいましたが、なかなか端的に説明するのは難しいんですね。
というわけで、ざっとここに書いてみようかと思います。
first contactは、高2でフランスに留学したときのこと。
ちょうどコートジボワールで内戦があった年で、私の行っていた学校にも、
戦火から逃れて渡仏した難民の子が転入してきたわけです。
彼女の語る体験は壮絶たるもの、
長女の自分が面倒を見なくてはと言って
街に遊びに行くときも、いつも小さい弟、妹たちの手を引いていた姿がとても印象的でした。
今まで遠く離れた地の話としてしか捉えられていなかったことが、
身近な現実として容赦なく私の脳裏に刻まれてゆきました。
そんな中、私の意識をこの大陸に向かせる決定打となった文章がある。
受験勉強のために読んでいたフランス語の教科書に載っていた『ギニアの少年の夢』という文章。
ものすごく簡単にまとめると、
ヨーロッパの空港に着いた飛行機の荷物室からギニアの少年2人の遺体が発見され、
彼らのポケットには、勉強する機会を求めて渡欧を夢見たが、お金がないのでこのような形で密入国を図るしかなかった旨が記され、自分たちの死を祖国の教育環境改善に役立ててほしいと結んだ遺書が見つかったという話。
教材費にたくさん投資をしてもらっていた私には、当時行きたかった大学の先生が書いたこの文章に
出会ったことが何か示唆的に思えてならなかったのでした。
自分がたまたま恵まれた教育環境にあったことで得られた知をどうやったら還元できるか、
大学で学ぶことを見つけた瞬間でした。
勉強していく段階で必然的に浮かび上がってくるのが植民地支配とその後遺症の問題。
フランスは昔から文化大国を名乗るだけあって、文化による統治がかなり強力。
よって独立後もその影響力は衰えにくく、既存の関係からの脱却は困難なものとなりやすい。
なかでも、フランスがアフリカ大陸で一番最初に目をつけ、
以後支配の拠点として「優等生」的役割を担わされたのがセネガル、というわけ。
ちなみに、無事合格した大学で、なんとフランス語の担当だったのが、かの文章を書いたPDV先生で、
私はアフリカに興味がある、と言い続けて、何かと面倒を見てもらい、今に至ります。
アプローチの仕方としては、
出発点は教育問題だったので、その原因となる貧困を解消するために何ができるのか、という
いわゆる「開発援助」の切り口をまずちょっと覗いて、紆余曲折を経て、
今は、現在の状況に関わるあらゆるアクター(自分も含みうる)がそれぞれ現状をどのように捉えているのか、
さらには、なぜそのような考えかたをするようになったのか、というもっと根本的な部分を解明したいというのが専らの関心事。というのは1年半くらい前に知り合った社会心理学の先生の影響大なのですが。
そんな感じで卒論も書いてます。
外国研究をやる人にはつきものの、「部外者」という立場。
でももちろん、部外者だからこそわかることというのもあるし、
それに何より、こうして根本的な部分に光を当てていると、自分に返ってくる部分はかなりある。
たとえばサンゴールの葛藤と自分の葛藤にだって、
信じがたいかもしれないけれど、共通項はあるのです。
なんでアフリカ?の疑問符の裏には、なぜそんなところに、という思いがこっそりくっついている。
別に侮蔑とか、そういうことではないけれど、まだまだ未知のものという共通認識が成り立つことは確か。
だからその「未知」を少しでも減らせたらいいなとか思ったり。
L'Afrique n'est pas plus loin que l'Europe. アフリカはヨーロッパより遠くはない。
2008/12/11
magic words
私の作文の内容だったけれど、今から考えてもわかるところがあるというか、
そんなに見当はずれなことは言ってないような気がする。
ちょっと前に「今自分が必要としている言葉に気づいてもらえる」ことの大切さっていう話を読んで
すごく共感していたのだけど、
それができる友だちっていうのはとても貴重なのだ。
数日前が留学時の友だちの誕生日で、久しぶりにメールをした。
一年前はその子と出会って間もないころで、誕生日も知らなかったのだけど、
冬休みを前に学校の隣のカフェに座っておしゃべりしていたのを覚えている。
留学の意義みたいなことを話してたっけ。
今回の留学の成果は、正直まだわからない部分の方が大きいと思う。
でもこのくらい時間が経ってやっと最近、去年の経験が今につながってることを実感できるときがある。
その話はまたいつかするとして。
それ以上にこの1年を肯定してくれるものがあるとしたら、それは出会いだと思うのです。
といっても、いい出会いがいっぱいあって、交流を大切にしていた、とかそういう華やかなものではなくて、
やっぱり高校のときと比べて大学での留学はつながりも希薄だし、
パリという街の性質もあるし、
「今回留学の収穫のひとつは、たくさんの友だちができたことです」
とは決して言えない。
それでも、たった1人でもいい、自分のことを
「本当に大事にしたい友だち」と言ってくれる人と出会えたこと、
それだけで留学してよかったなって思える。
メールの返事に書かれた、あまりにもストレートなその言葉は、
私の心の奥深くまで届いたのでした。
"You do not know how much they mean to me, my friends,
And how, how rare and strange it is, to find
In a life composed so much, so much of odds and ends,
[For indeed I do not love it ... you knew? you are not blind!
How keen you are!]
To find a friend who has these qualities,
Who has, and gives
Those qualities upon which friendship lives.
How much it means that I say this to you—
Without these friendships—life, what cauchemar!"
2008/12/02
world aids day
フランスではそれこそテレビ番組なんかを通じて募金を集めたり、
高校でもレッドリボン売ってたり、運動はわりと盛んだったけど、
日本ではあまり見ないよなあ。
そういえば先日、日本のニュースは情報量が少ない、という話になった。
いわば歳時記である、と。
平和であることをアピールしたいのか、と言った人がいたけれど、確かにそうかもしれない。
フランスでは意図的に使ってるだろうと思われる生々しいショッキングな映像というのは、
日本では少ない、というか恐らく避ける方向にある。
この傾向は戦後作り出されたものなんだろうか。
悪の日常化(banalisation)というのはもちろん問題だけど、
問題意識を養うことは必要だと思う。
たとえば・・・ジンバブエはコレラの蔓延で500人以上死者が出ていて
非常事態宣言をしたばかりだということ、日本ではどれだけの人が知ってるのだろう。
2008/11/27
sensibilisation
という法則はいろんなことに当てはまると思うけど、最近これをよく痛感します。
たとえば言語なんかはその最たる例ですね。
というわけで、ちょっとご無沙汰してたrfi(radio france internationale)にアクセスして
ニュースを聞くことにする。
ところが、なぜかリアルタイムでも収録でもニュースの代わりに音楽ばかり流れてくる。
ニュースのフランス語を頭に注入したかったのに。
とてもじゃないけど、ポップミュージック聞く気分じゃないのに。
ってことで必死に他のサイトを漁る。たとえばfrance culture.
で、耳に飛び込んできたのは、フランス国営テレビとラジオ局のストライキのニュース。
国営といってもNHKと違って広告のスポンサーを受けてるのだけど、
それを廃止するという法案に反対してのこと。
そういえば、この件に関しては私がフランスにいたころから随分問題になってました。
で、もうピンと来た人もいると思うけど、rfiは国営ラジオ局。
だからストライキでニュースの枠に音楽を流していたのだと思われます。
日本にいながらにして、ちょっとだけフランス恒例(笑)ストの雰囲気を久しぶりに味わった気分。
さて、慣れってこわいのもう1つはガラっと変わって同時多発テロのこと。
テロという言葉を耳にする回数は9.11以降圧倒的に増えたんじゃないだろうか。
9.11の衝撃は大きかった。
でも以後なんというか、テロという言葉が蔓延してるような気すらする。
明らかに、今日聞いた同時多発テロという響きは、7年前に聞いたのとは違う響きを持っていた。
ある言葉が普及、あるいは蔓延して、やがて潮流が生まれる。
これはちょっとこわいことでもある。
言葉は潮流の中で飲み込まれてしまうかもしれないし、
あるいは潮流に押されて本来以上の力を持つこともあるかもしれない。
①今回のムンバイでのテロと7年前の9.11のテロはまったく違う性質のものかもしれないということ。
②しかし一方で、人々の死傷という事実に変わりはないということ。
③いずれにせよ、比較しえない。
この③がけっこう重要で、何人しか死んでないとか、さらには「いい人だったのにかわいそう」とか、
そういう発言はものすごくひっかかるのです。
規模がどのくらいであろうが、亡くなったのがどんな悪人だろうが、
1つの死は1つの死で絶対的なものであり、それは決して比較という行為の対象たりえないものだと思う。
世界といちいち向き合うためにも
感覚を常に鍛えておかなくては。
2008/11/21
contours
私もんじゃの本当の姿を知りませんでした。
学校のすぐ側にあるお好み焼き・もんじゃのお店。
そこに先日卒論執筆中の友だち4人で気分転換にご飯を食べに行ったのだが、
そのうちの1人がなぜかお好み焼き・もんじゃ作りのプロで(?!)
鍛えられたたくましい腕をぶんぶん奮って焼いてくれたら、
今まで「なんとなくあるようなないような」を食べてたもんじゃが、
しっかりと「存在」してたのだ!
うーん、このニュアンス伝わるのか不明だけどw
しかも何でもないようなお店だけど、けっこうおいしかったと思う。
ちなみにこのお店は2階で1階にあるのはお蕎麦屋さん。
1年の頃、夏休みにテニスして、このお蕎麦屋さんに入ったら、
高校野球がテレビで流れてたのが懐かしい。
学校の側だからご飯を食べてまた研究室に戻っても、あんまり時間もかからなくてちょうどいい。
お昼にはお隣のキャンパスに最近できたイタリアンにも行ってみたり。
こっちは校内の並木道を抜けて、立派なお家が立ち並ぶ街並みを眺めながら
ちょっとしたお散歩にもなって楽しい感じ。
ときどき、だけど、あまり時間もかけず、ちょっとしたアクセント。
留学中のみんなも帰ってきたら行こうねー☆
2008/11/16
espaces arts
けっこうのびのびとやってます。
寒い日でもタートルネックの上にマフラーしたりして、ポカポカにして出かけると幸せだし、
晴れた日は朝日を浴びるだけで元気になれるから、
外の空気が入るスペースはちゃんと心にはあるみたい。
とはいえときどき気分転換してリフレッシュすることも大切。
細々と続けてるオーケストラの練習もその1つだけど、
今週は練習がなかったこともあって違う予定を入れてみました☆
1つは仏文の講演会。
Jean-Philippe Toussaintという現代フランス作家がいるんだけど、
彼がときどき映画も撮っていて、
今回は文学と映画の「越境体験」みたいな話。
彼は前に駒場でnouveau romanについて講演してたのを聞いたことがあって面白かったし
今回は短編映画の上映もするというので興味を持ったのと、
もう1つ、彼の講演のときはよく、彼の作品の翻訳を手がけているN先生が
逐次通訳をされていて、それがなんとも「感動的な」通訳なので、それも楽しみに行ったわけです。
どれも期待を裏切らず、
久々に文芸の世界にどっぷり浸かって至福だったのですが、
中でも印象的だったのが、Toussaintが映画と小説の分野をきっぱりと分けたいと主張していたこと。
「無意識的な影響は避けられないにしても、相互のつながりはなるべく断ちたいと思っている」というのです。
ボードレールにおけるsynesthesie(共感覚)のような、領域横断的な呼応にハマる私としては、
けっこう意外な答えでした。
オケの中でソロ弾きをするな!みたいな感じなのか?笑
楽器ってソロで弾くか、室内楽で弾くか、オーケストラの中で弾くかによっても、
それからもちろん演奏する作曲家によっても弾き方は変わってくるわけですが・・・ときには意外な発見も。
というのは、教養学部学生選抜コンサート♪というのを聴いてきたのだけど、
モーツァルトのピアノソナタの演奏に予想外に感動させられたのです。
予想外に、というのは失礼ながら、モーツァルトはオケ曲は好きだけど、ピアノなんてーと思っていた節があって、だけど実は学科の先輩だけどなぜかまったく知らないMさんという人の演奏は、
こんなにやさしい弾き方があったんだ!という感じで、
モーツァルトの浄化作用がピアノから溢れてくる、という純粋な感動を覚えたのでした。
こんな感想を持ったのは私だけかもしれなくて、たまたまピンときたということなのかもしれないけど、
そういう演奏ができるって素敵なことだと思う。
で、私はというと、単純に室内楽やりたくて仕方なくなってしまった。
2008/11/05
RDC
ブラザビルを首都に持つ旧仏領コンゴ共和国と区別して、よくこの略称を使ったりします。
私がフランス語を習っていたネイティブスピーカーの先生が2人もここの出身の人だったこともあり、
なんとなく気になる、アフリカの真ん中にある大きな国。
世界がアメリカ大統領選一色の今、地球の反対側のこの地域は危機真っ只中なのを知っていますか?
ルワンダをはじめ、この地域情勢は本当に複雑で、ことの発端、といって説明しきれないのだけど、
Laurent Nkunda率いる反政府組織CNDP(National Congress for the Defence of the People)が、数日前からRDC東部のGoma地方を占拠していて、人々の生活状況は悪化、
難民も多数出ているし、(英外相Millibandによると160万人にものぼるとか)
コレラの発症も確認されているらしい。
NkundaはRDC内で少数派民族のTutsiが抑圧されていると訴えているのに対し
RDCの現大統領のJoseph KabilaはRwandaが反乱軍を支援していると非難。
といっても、Tutsiの名前でわかるように、この抗争はルワンダの虐殺、2回のコンゴ戦争とも関連しているわけで・・・。
先週末には、英仏外相がそろってRDCのキンサシャ、Rwandaのキガリ、
さらにはアフリカ連合のトップKikweteのいるタンザニアを訪れたり、
国連もオバサンジョ前ナイジェリア大統領を特任大使として任命したりして、
解決に向けての対策が重ねられているようですが、
話し合いに応じないというKabilaに対し、Nkundaはその場合はクーデターも辞さないという様子で、
事態は予断を許さない感じ。
仏外相Kouchnerは国連軍の増員の可能性を示唆していたけれど、
英仏をはじめとする先進国の利害が絡んでいることはルワンダの虐殺を見れば明らかで、
とても楽観的にはなれない。
Nkundaなんて、武器輸送をしたということで、国連の「制裁対象者」なんていう恐ろしいリストに載っちゃってて、
どうも「世界の悪者」的な感じらしい・・・けどその武器だってどこから来てるのやら。
ちなみに彼のモデルは「他国に支配された民衆に向かって外国からレジスタンスを呼びかける」あの人。ド・ゴールの“精神”(エスプリ)だというのがまた皮肉。
あとはルワンダの時と比べてアフリカ連合がどこまで発達しているかなのだろうか。。。
いずれにせよ、純粋に「人道的」などということは、果たしてあり得ることなのか、とか。
「日本では比較的無条件に肯定されがちな国際機関やNGOを、その活動がより身近で実用的と言われるヨーロッパで、別の視点から捉えなおす」などといって、フランスで見たものは、
何よりもNGOの政治性の強さだったかもしれない。
2008/10/29
en secret...
本当は夏から「中間発表終わったら」ってことで、ひそかに企画していたことではあったのだけど、
旅行してる場合じゃない気もするので、誰にも言わずにこっそりと行ってきたわけです。
箱根って小さいころによく行った思い出の場所で、
鈴廣かまぼこの看板とか、おみやげ物屋にある寄木細工とかが懐かしかったり、
登山電車でスイッチバックのために車掌と運転手が入れ替わるときの様子を見るのが楽しかったり
するのですが、
今回の目的は
ラリック美術館。
アール・ヌーヴォー、アール・デコの時代のガラス工芸家ラリックの作品が、
宝石、香水瓶から、部屋の装飾(後にオリエント急行の装飾も手がけている)に至るまで展示してあって、
かなり充実してました。
私は別にアール・デコのファンというわけではまったくないのだけど、
それでもなかなか気に入った作品もあったし、
少しずつ葉も色づき始めた山の空気にふれて、満足な旅でした☆
2008/10/22
pose café
イスラーム文化にコーヒーが入ってきたとき、それがコーランに反さないか大問題となったという話を
この間聞いたけれど、やはりそれなりの効果はあるようで、
集中がきれてきたら、コーヒーブレイクをはさむと、もうひと頑張りするぞという気になるわけです。
といっても寝る前にコーヒー飲んでも平気な私だから、これはもう気持ちの問題かもしれないのだけどw
写真は先日祖父母家へ行ったときのもの。
透明のカップにエスプレッソマシンで淹れてくれた泡がきれいで思わず撮影。
こっちは学科の研究室で勉強中。
私の好きなMt.Rainierシリーズの新商品(?)プレミア。
このターコイズに惹かれて思わず買ってみたら、さすがプレミア。美味しかった。
高いからあんまり買わないけれど。というかこの部屋ではコーヒー淹れられるのです。
図書館で眠くなったらここへ来てコーヒーを飲みつつ、
先輩方と交流するもよし。
夕方以降はほとんど誰もいないので、広い部屋、豊富な資料を独り占めして勉強もできる。
最近無線LANもつながるようになったし、最高の環境です。
2008/10/18
cosmos d'automne
実は秋ってけっこう華やか。
雨が続くと自転車に乗れないので、
学校まで歩いていくことが多く、そうすると道端の草花にも目がとまる。
中でもやはり一目で秋を感じさせてくれるのは秋桜。
あの細い茎が風にゆれる様子は小さいときからいろんな世界を連想させるんだよね。
だからコスモス(=宇宙)っていうのかなぁとか勝手に思ったり。
もうひとつ、秋といえばやっぱりお月様のきれいな季節。
月も、かぐや姫とか、メアリー・ポピンズの一話にも出てきたような、不思議な世界を持ってる気がする。
でもお月様って、万国共通なわけだけど、
同じものを見てるのにフレームが違うだけでなんだか大分違って見えるなあとも思う。
2008/10/09
communication
きれいに晴れた秋空が気持ちいい。
いつの間にか金木犀が香ってるし、高校ではそろそろ夏服から冬服への移行期間で、
長袖のボタンを留める感覚が懐かしかったり・・・
やっぱり早く起きるのっていいですね。
これから当分図書館中心の生活になるのだし、自分でうまくリズムをつくらなくては、と思うこのごろ。
こういう生活だからもう1つ心がけようと思うのがコミュニケーション。
中間発表が終わってちょっと一段落ついたことと、新学期が始まったことで、
最近人と会って話す機会が比較的多かったのだけど、
やっぱり論文を書こうと思考をめぐらせたりしていると普段どうしても内向的になりがちだから、
まったく違うことをやってる人と話して新しい空気をどんどん取り込んでいくのってけっこう大切だなと感じたわけです。
巧みに弁の立つ人って、私はちょっと警戒してしまったりするのだけど、
今はいろんな抵抗を取り払ってぐいぐい視野を広げていく時期だと思うし。
ちなみにこっちからも、「私の知り合いにサンゴールを知らない人はいない」ってくらいにしたいなぁ笑。
何を隠そう今日はサンゴール様の誕生日なのです。
フランス語界では今日はル・クレジオのノーベル賞受賞のほうがずっとメインなんでしょうけど。
あ、でもル・クレジオの次の作品はサンゴール追悼らしいですよ。
サンゴールというのは私が卒論のテーマにしている人で、
フランス語詩人、セネガル初代大統領といったところかしら。
最近亡くなったエメ・セゼール(4月の日記参照)と一緒に黒人文化の価値を積極的に評価するネグリチュードの概念を提唱した人です。
セネガルを独立に導いたのだけど、受けたのはフランスのエリート教育で、
彼の思想、葛藤がどんな意味を持つのかっていうようなことを日々勉強しているわけ。
Senghorという名前覚えてください;)
2008/10/01
renaissance
7月の帰国をもってその役目は終了したのだから、記録も同時に完結、というつもりだったのですが、
周囲のすすめもあって検討した結果、更新を続けることにしました☆
というのも、私の帰国は1つのサイクルの終わりなわけですが、
同時に新しいサイクルが始まるわけで、
各地で学ぶ同志の情報交換の輪に加わっていられるのはとっても刺激になるのです。
それに、まだまだこれから生活していくなかで、
少しずつ向こうでの経験を消化、体得していくという意味では留学記は続くといえるかも。
というわけで、新しい日常を通して、過去の非日常を振り返っていこうかと。
それをいかに今に取り込んで日常化していけるかが課題なのですが。
前に人生を螺旋階段に譬えたことがあったけど、
現在というのは常に過去を引き受けて発展させてゆくものだと思う。
ルネッサンスというのはそういうことなんじゃないかな。
さて、一応近況報告をしておくと、
帰国してからしばらくは「社会復帰」でバタバタとしてたらあっという間に過ぎてしまい、
8月はけっこうオーケストラの練習に通ったりしてたので
9月は20日以上図書館に通いつめて卒論中間発表の準備をして、気づけば10月!という感じです。
図書館で眠くなったり、イマイチ身が入らないときに聞くのが、フランス語のラジオ。
rfi(radio france internationale)という局のアフリカニュースを聞いて頭を卒論モードにするのです。
最近聞いたのは、ラマダン明けの話。
ちょうどギニア共和国では今年独立50周年を迎えるのでラマダン明けのお祝いと併せて盛大なお祭りが行われたのだとか。
アフリカ諸国の独立が相次いだ1960年はアフリカの年と呼ばれていますが、
セネガルをはじめとする旧仏領の国々が仏大統領を元首とするCommunautéを形成して自治国となる中、セク・トゥーレ率いるギニアは1958年に国民投票で他に先駆けた独立の道を選んだのです。
そして意外に知られていないのが西アフリカにはイスラーム国が多いということ。
ギニアも85%がムスリムだし、セネガルは9割以上。
なんでセネガルばっかり引き合いに出すかというと、卒論の舞台がセネガルだからなんですが、その話はまた今度・・・。
あ、ちなみにギニアの国旗は左から赤・黄・緑の三色旗。
左右ひっくり返して緑・黄・赤の三色旗はマリ。その真ん中に緑の星を足すとセネガルです;)
2008/07/12
epilogue
前日に大家さんにご挨拶にうかがうと、
「明日の朝、空港行きのバスの出るオペラまで車で送ってあげてもいいわよ?それで一緒に朝ごはんでも食べてから行きましょう。」
と、なんともご親切なお申し出。
とはいえ気まぐれマダムなので、明朝うまく行くかなかなか心配でしたが、
なんとか友好的なお別れをすることができました(笑)
個性は強かったけど、悪い人ではなかったかな。
しかもすごい量の荷物だったので、車でバス停まで送ってもらってかなり助かったのでした。
問題の荷物量。。。
いかに追加料金を払わずに検査を突破するかが最後の難関でしたw
まずトランクは上限20kgのところ23kgまでは目を瞑ってもらえると聞いていたのでなんとか23kgに抑える。(というのも、手荷物は12kgまでで、それはどう頑張ってもオーバーするとわかっていたので、
トランクでひっかかって、手荷物の多さを指摘されたら共倒れと思ったので・・・)
カウンターで恐る恐る預けると、なぜか表示された重量は17kg。
というか、私の荷物乗せる前から17kgって表示されてたよね?(笑)
多分前の人の重量をリセットするのを忘れたか、機械が壊れてたかだと思うけど、
そんなわけですんなりとパス。(むしろもっと入れておけばよかったw)
で、手荷物検査へ行こうとすると・・・
「その荷物ちょっとこの中へ入れてみて」
と、荷物の大きさを測るカゴに入れさせられるも、入るわけはなく、見事カゴの上にのっかってしまう。
「いやいや、上じゃなくて、中に入らなきゃダメだよ」
「・・・中に入るかやってみ・・・(てもいいけど、入れたら最後、絶対出せないだろうなw)」
「あ、でもあなた、他にリュックとパソコンもあるんじゃ、どっちにしろ多すぎですね。1つ追加登録してきてください。」
といって追い返されてしまったのでした。
うーん、トランクがすんなり通っただけに、これは悔しい。
大人しく追加登録の列に並びながらも恨めしそうに手荷物検査の列を眺める私。
そして思った。
検査に行く人をチェックしているのは列の前。
蛇行した列の奥の方を見ると、横はバーとベルトで仕切ってあるだけで、見送り客と接している。
ベルトの下から簡単に荷物の受け渡しもできるw
友だちと同じ便で帰国することにしていたので、
先に列に並び始めた友だちを呼びとめ、こっそり荷物を渡す。
私は何食わぬ顔をして、登録してきましたーといわんばかりに検査の列に並ぶ。
蛇行する列が交差するところで友だちから荷物を受け取る。
↓
パスポートコントロール
↓
X線検査
↓
搭乗
というとんでもないことを仕出かして、計50kg近い荷物をすべて当日中に持ち帰ることができたわけです。。。フランス留学で何を学んできたんだか(笑)
そんなドタバタのお陰でパリとのお別れを悲しむ暇もなく、
無事帰ってこられたことと、日本のサービスの細かさに妙に感動しつつ帰宅したのでした。
さて、留学志願当初の目的は達成できたか、というと
正直なところはっきり肯定することはできない。
ただ1つ言えるのは、この1年ゆっくりと考える時間はけっこうとれたということ。
だから初期目標達成に疑問が残るのは、目標自体が少しずつ変化したからでもある。
それと、大事なのはきっとこれから。
いっぱい考えたことをどうやって活かして形にしていくか、留学の成功は帰国後にかかっているといっても過言ではないんじゃないかな。
最後に、この留学を支えてくれたすべての読者のみなさんに感謝の意を示して留学記を終えたいと思います。
一人で頑張るのは難しい。
でも応援してくれる人のことや一緒に頑張っている人のことを考えるのはかなり励みになるのです。
日本にいる人たちはただいま&これからまたよろしく。
まだ留学中の人、これから留学する人は今度は私が応援します。
そして何よりやっぱり一番の支えであった家族のみんな本当にありがとう!!!
2008/07/09
faits divers
・Ingrid Betancourtの解放。
6年間コロンビアで武装グループFARCの人質になっていた彼女。
特に今年は頻繁に話題に上がっていたように思ったけれど
(それは私のいる環境が変わったせいかもしれないけれど・・・何しろ彼女の母校に通っていたわけだし)留学中に解放に漕ぎつけるとは思わなかった。
旅行中に飛び込んできたニュース。
彼女が政治的闘争心を忘れていないのを見てなぜかほっとしてしまったけれど、
子どもは6年ぶりに帰って来た母親が、人質となった危険な世界にまた戻ると言ったらどう思うのだろう。うーん、自分だったら止めるだろうか。。。
フランスー南米の地政学的な面だけでなく、一人の女性の生き方としてちょっと気になる件なのです。
・Mgabeの再選。
2~3ヶ月前の日記にはジンバブエの政権交代!って書いたのに、
結局対立候補辞退で迎えられてしまった決選投票。
洞爺湖サミットでもアフリカが話題になっているけれど、“グッド・ガバナンス”どうなんでしょう。。。
・本
やっと卒論資料のコピー@パリが終わりました。
はっきり言ってかなり使いにくいここの図書館とも1年かけて大分仲良くなったかなぁw
夏休みの学校ってやっぱりガランとしているけど、図書館にはちらほら人がいて、
毎回見かける人が同じなのも、それぞれなんとなくお気に入りの席があるのも、万国共通(笑)
ちなみに図書館の隣のシアンスポ本屋さんとはもっと仲良いです。。。
私が面白そうな本の数々にわくわくしながら、しかし帰国時の重量制限との葛藤を思って購入を躊躇しながら何度も通ってたので、恐らく顔を覚えられているんですね。
で、卒論の資料探しをしていたときもすごく親切に、
私の探していた本が絶版になっている可能性が高いこと、再版されているとしたらパリで唯一アフリカ関係をかなり総合的に扱っているPresence Africaineだけだと言って住所と電話番号までメモしてくれて、感動でした☆(まぁ結局ここにもなくて、全部コピーしましたが。。。)
・手続き
そんなこんなでちょっとした親切が身に沁みるパリ。
というのも理不尽に怒られちゃったりもするからなんですね。
今日は楽器の返却日だったので、楽器を背負ってメトロに乗らなくてはだったのだけど・・・
パリの改札はチェロが通れないので、いつも乳母車やトランクなどのためについている大きなドアを
駅員さんに開けてもらっているのが、今日はたまたま窓口に人がいなかったので、呼び出しボタンを押したわけ。(ちなみに駅の窓口が無人状態なのはやっぱりパリではまぁあることなので、ボタン押したのも全然初めてではない)
それでも応答がないなーと思っていたらアラームが鳴り出したw
で、実は駅員はすぐ側の券売機のところにいて、人に囲まれていて私には見えなかったのですが
アラームを止めにやってくるものの、彼にはとめられなかったらしい。
で、私に向かってなんで、ボタン押したんだ、と怒ってくる。
見るからに改札通れないからでしょw
窓口に誰もいなかったので、というと、
俺はすぐここにいたのに、何で押したんだ、アラーム鳴っちゃったじゃないか、
とさらに怒ってくる。
いや、このボタン駅員と通話してドアを開けてもらうためのものじゃないんですか?
と言っても、ボタン押しちゃダメだったのにーの一点張り。
なんか説明の筋がまったく通ってなかったのでよくわからなかったのだけど、
どうやらそこのシステムが故障していて(笑)呼び出しボタンがうまく作用しない(?)らしい。
そんなこと私の知ったことではありません。
フランス人風に私のせいじゃないわよって言ってやろうかとも思ったけど(笑)
もっと怒らせても面倒なだけなので、
それは知りませんで失礼いたしました、とだけ言っておきました。
だから押しちゃダメだったんだ、セキュリティが来ちゃうんだぞ、と駅員さんはまだ文句を言い続けていましたが、改札は通してもらったので、そのまま楽器屋さんへ行きました。。。
楽器屋さんはいい人だからよかったw
1つの手続きにつき少なくとも1つはトラブルがあるといっても過言ではないくらいだけど、
その分うまくいったときの喜びはひとしおです(笑)事務手続き1つ済むだけで相当な達成感w
これは日本で幸せに暮らしていけそう。。。
・明日はホストマザーがパリに来る♪楽しみ~♪
2008/07/06
vacances
それぞれシアンスポの友人のご実家にお世話になって、
ChamberyというLyonの南東110km、Grenobleの北55kmにある小さな街と
さらに南下してMarseilleの北30kmのAix en Provenceへ。
Chamberyはサヴォワ王国の首都だった中世都市の街並みも好きだったし、
少し高地にあるので一面に広がるブドウ畑がきれいだったり、
近くの湖に泳ぎにいったりもして、なんだかChalonを思い出させるようなところ。
Aix en Provenceはその名の通りプロヴァンス地方にあるのですが、
海に面しているわけではなく、むしろセザンヌの描いたSte.Victoire山に象徴されるような
カラッとした風景の広がるところ。
こっちはローマ帝国時代の街で、Aixというのは水という意味で、当時は公衆浴場がたくさんあったらしい。ちなみに今も噴水が100こ以上あるという水の都です。
着いたらとにかくセミの声がいかにも夏!という感じで(パリでは聞かないので)印象的。
植物も濃い紅色の花とかが南らしかったり、
お家にはエアコンもあって、南に来たんだなーという感じ。
セザンヌの生家には行けなかったのですが、Granet美術館でセザンヌの作品もいくつか(ジャコメッティも)見ることができました。
3泊4日だけど、ゆったりフランスらしい夏休み。
戻ってみたら、心なしかパリはヴァカンスに出かけてしまって人口が減ってる気がします。
2008/07/02
finishing...
パリでしかできないことをできるだけできるような活動を心がけています。
手続きも最後の闘い(笑)
卒論の資料をコピーしに図書館にも行くのだけど、
わりと大量なので数日にわけようと思っていたら、1日目と2日目でコピー機が同じように動いてくれなかったり。。。
電車も最近またストをしたり、ダイヤが乱れ気味だし、
今日は乗ったバスに道が通行止めになってるから(?)といって迂回を宣言された後、
結局途中で降ろされたし(苦笑)
最後の最後まで、フランスらしさを存分に発揮してくれて微笑ましいような。。。
昨日はようやく船便で送る荷物をクロネコヤマトに管理人室まで取りに来てもらうために、
はじめてこのマンションのエレベータを使ったのだけど、2階から1階に荷物を下ろすだけで15分はかかった気がする・・・。
まず2階でエレベータを呼んだところ、上の方から降りてきたものの通り過ぎて1階まで行ってしまう。
もう一度呼んでもびくともしない。
仕方ないから荷物を2階に残して、階段で1階に降りて、エレベータに乗って自ら2階まで上げました(笑)
しかもドアが2重になっていて非常に重い。外側は開きにくく閉まりにくいドア。内側はバネが強くすぐ閉まるドア。というわけで一生懸命外側を開けても内側を押さえながら荷物を入れるのに一苦労。
一緒に乗ったもののやはりびくともしないエレベータ。
どうやら外側のドアがしっかり閉まっていないと動かないということが判明。
でもなぜか外側のドアをロックするバーは向こう側についていて、エレベータの中から閉めるのにさらに
苦労。(これって外から閉めてもう一度下から呼べってこと?w)
でもなんとかドアを2つ閉めることに成功し、荷物を降ろしたのでした。
事前に了承を得ていたのに、いざ持って行くと乗り気でない管理人さん。
「で、あなたはいないの?」「マダムのインターホン鳴らせば?」とかいろいろ言われる。
でもあんなに苦労してたった今降ろしてきたばかりの荷物をもう一度部屋まで戻すのとか無理!と思って丁寧にお願いし続けるw
多分予想以上に大きかったのが嫌だったみたいなのだけどなんとか預かってもらえました。
部屋が少しガランとしてきたところで、
明日から3泊4日、ChamberyとAix-en-Provenceに小旅行に行ってきます☆
2008/06/30
pic-nic
特にヨーロッパの学生はヴァカンスはまさに非日常を満喫するもの、というわけで、
たいてい家族と長期旅行にのんびりと出かけるという人が多いよう。
そんなわけで学期が終わるとフランス人学生はいそいそと実家へ帰り、
留学生もさっさと帰国・・・というケースが多くて、試験期間中からフェアウェルパーティーの連続です。
シアンスポは3年目に全員留学することが義務づけられている(大学への交換留学か大使館などでのインターン)ので、今年一緒だった人は、正規の学生も留学生もだいたいパリを離れ来年度は世界中のあちこちにいることになるから、みんながみんなとバイバイなのです。
ホームパーティーとか、バーに飲みに行くとか、いろいろあるけれど
やっぱり天気もよく日も長いこの時期はピクニックをする、というのも恒例行事。
そういえば、パリに着いたばかりのころ、オリエンテーションのプログラムでみんなでピクニックをしたっけ。
そのときは道端?とちょっとびっくりしたのだけれど、pont des artsは歩行者専用の橋なので、
パリの学生はこの時期よく橋の上でピクニックをするのです。
他にも国際学生都市という大学寮の集まったところの中庭や
シテ島のセーヌ岸、エッフェル塔の下のchamp de mars、アンヴァリッドの前の芝生などなど
パリにはちょっと集まれるところがいっぱい。
みんなでバゲット・チーズ・ワインを持ち寄ればあっという間にパリ風ピクニックができるというわけ。
日本でピクニックというとお昼におにぎりを持って、というイメージがあるけれど、
この時期のパリは22時まで明るいから夕飯代わりにやることの方が多いかも。
夕方のセーヌの景色は最高にきれい。
パリのこういうところがきっと懐かしくなるんだろうな。
日曜日は2年生と留学生、シアンスポのまるまる1学年分くらいを集めて
「最後にもう一度さようならを」という大規模なピクニックだったのだけど、
いくらこれは単なる“auREVOIR=また会うときまで”だと言い聞かせても、
仲良かった友だちと、1年を振り返りながら一緒に過ごせてよかった、なんて言い合っていると
予想以上にグッとくるもので、本当に忘れ難いひとときでした。
でもきっとみんなと再会するのはやっぱりまたパリな気がする。
パリは今も昔もそんな街なんでしょう。
2008/06/27
Union europeenne
振り返ってみるといくつもの課題を乗り越えてきた気もするけど、
何よりもあっという間で、もう何もないのかと思うとものすごく不思議な感じ。
そんな最後の試験はEUについてでした。
フランスでのEU憲法否決以来危機に陥ったEU。
2008年下半期、フランスが議長国になるのを機にEUを危機から脱することができるか・・・
改正案のリスボン条約がいかに重要かが強調されてきただけに、
授業の最終回直前にアイルランドの国民投票で条約が否決されて、この授業で学んだことは水の泡?!と混乱気味でしたが(笑)
3時間以内に4問中3問選択で小論文を書くという試験。
1)ユーロは成功策か。
2)国家はEU建設の唯一のエンジンか。
3)EUはパワーか。
4)フランスはEU議長国として成功できるか。
シアンスポ風の答案はこれらの問いに対してYes and Noと答えるのが通例(笑)
私が選んだのは2~4.
まず題目をよーく眺めて一つ一つの単語を研究します。
例えば(2)だったら、国家のほかにはどんなアクターがあるかな、EU建設を代表するステップは何だろう、加盟国イニティアティブだったかな、国家はエンジンだろうけど唯一ではないな、エンジンでもあるけどブレーキでもある、などなどブレインストーミングをしていくわけ。
そうしてでてきた論からパラドックスを組み立てる。例えばこの場合はEUは国家の集合、つまり27個の異物を足してできるわけだけど、同時に1つの連合帯なわけで、そこには"intergouvernemental"と"federal"の対立があるとかね。
このパラドックスに基づいて構成(イントロ(題目定義)・第一章(1)(2)第二章(1)(2)・結論)を練ります。
まず国家がいかにEU建設において重要な役割を占めてきたかを証明したあとで、しかし国家のエゴはまさにEU憲法のNONに見られるようにEU建設のブレーキにもなりうることに触れ、国家以外のアクターもエンジンとなりうること、超国家性を強調したEU委員会は立法・行政において大きな力を持っているし、EU市民が一体となって選ぶEU議会もまた、EUの民主制を尊重するうえで重要であることを述べる。よって国家はEU建設の重要なアクターではあるが、唯一のアクターであってはならないという結論に至る。といった感じかな。こうしてシアンスポ風の答案ができるわけ。
ただし今回の試験はかなり時間が足りないことは(というか4時間試験でも足りなくなりうる。。。)
前回中間で2時間で2問回答しなくてはならなかったときに経験済みなので、
ひたすら答案を仕上げることに集中してなんとか3問解きあげることに成功。ふぅ。
7月1日からついにフランスは議長国になります。
どうやらエッフェル塔はEU色に青く点灯するようになるらしい。
先生によると議長国成功の鍵は「パートナーの尊重」「謙虚さ」(←これ完全にサルコジへの嫌味な気がw)「模範となること」だそうですが、EU建て直しへ、要注目です。
2008/06/24
Lutetia
創立100年近くになる歴史あるホテルで、
マティス、ピカソやアンドレ・ジッドなども常連だった、左岸の知識人の拠点と言われるところ。
最近では“Chaos”(邦題:女はみんな生きている)という映画のクライマックスの舞台にもなっているのですが、第二次大戦時は、フランスを占領したナチスの拠点となったのもこのホテル。
強制収容所が解放されて、生き残った人々が家族の迎えを待ったのもこのホテルらしい。
先学期はこの前を通って入る校舎での授業があったので、毎週前を通りながら、
クリスマス頃にはきれいなデコレーションをいつも見ていたのですが、
先日ついにその中に入る機会に恵まれました!
数ヶ月前の投稿で恐らく書いたゼミの夕食会"diner de conf"、大抵は近くの手軽なレストランに行ったり、あるいは授業内容にちなんで例えば私の取っていたアフリカ関係の授業ではアフリカ料理を食べに行ったり、時間がなければ近くのバーで軽くアペタイザーという感じなのですが、
文化政策の授業ではなんと、先生がクラスみんなをこのホテルLutetia付属のバーに招待してくださったのです。

一人ひとりにはちょっと大きすぎるくらいのゆったりとしたソファーに腰かけ、
一生に食べた中で最もおいしいオリーブをつまみ(大げさに聞こえるけど、私普段は別にオリーブって特に好きなわけではないのですが、ここで食べたのは積極的においしかったw)
シャンパンをごちそうになるという、なんとも贅沢な打ち上げになったのでした。
この授業なにかと異彩を放っていて面白かった。
他の授業と違って個人の感じたこと(≠考えたこと)を表現することをよく求められたというのもそう。
メンバーも4分の1が南半球(オーストラリア、ニュージーランド、アルゼンチン)から来ていたり、
極東出身の私もきっと“heterogeneity"を増していたに違いない。
先生はそれをとても喜んでいて、よく私の意見を求められました。
こうやって新しさを取り入れていこうとする風潮はパリ全体に見られて、
それはすごくよいことだと思う。(と、コンテンポラリー作品を積極的に上演する劇場やオペラ座を例に最終面接でも答えました)
でももう1つ。私の生まれ育った環境は、そんなに異質なものではない。
フランス人が想像するよりもずっと、似たところはいっぱいあるんだよっていうことも伝えたかった。
違いを見つけて面白がるのは簡単だけれど、ときには共通点を見つけることの方が大切なこともあるのです。
2008/06/21
musique♪
2008/06/18
Chartre
2008/06/16
amitié
留学した高校の始業の日に一番に話しかけてきてくれたチャーミングな子。
街まで遊びに行こう(田舎なので中心街/その他に別れてる)って誘ってくれたり、
隣に座ってノートを写させてくれたりして、
身長も同じくらい、いつも一緒、という感じでいつの間にかいろんなことを話す仲になっていたのです。
でも本当は性格はまったく違うし、私の友だちにはいないタイプで、
いつの間に仲良くなったのかちょっと不思議なのだけど(笑)
もう6年も続いているわけです。
で、今年も私が「里帰り」したときにも再会したし、彼女も何度かパリに遊びに来てくれたのでした。
月曜あたりに彼女から留守電が入っていました。
「今週の土曜パリに行こうかと思うんだけど、いい?」
しかしこの土・日は授業もほぼ終わり、かつ試験まで少し間がある、ということで
前々からパリ近郊の小旅行を企画していたのです。。。
「土曜日は17時過ぎの電車でパリを出ちゃうから、せっかく来ても短くなっちゃう」
と言うと、
「でも私来週からはバイトだからパリに来る機会があるかわからないんだよね。
やっぱり帰る前にぜったい会いたいし、17時まででもいいから行ってもいい?」
ということで会いに来てくれたのでした。
課題にうなされて眠い目をこすりながら9時に駅に迎えに行って、
リヨン駅の側のカフェで朝ごはんを食べ♪
クリニャンクールの蚤の市を周り、
彼女はショールとパンプスをGET(計なんと11ユーロ!)
その後パリの日本食が食べたい!(彼女の勉強しているディジョンでは寿司1巻5ユーロという衝撃の高さらしい)というのでオペラへ。
お腹いっぱいになったところで、夏のセールに備えて下見!というわけで
シャトレへ。
「何このお店~大きなサイズしかないじゃなーい」
とちびっこ二人が文句をいいながら、あの店この店と寄ってみる。
その後les Hallesまでお散歩。ここは昔大きな市場があったところらしく、その景観を残しつつ
地上は再開発されていて、教会とそれを囲むように植物園の散歩コースのようなものができていて
すごく気持ちいいスペースだということを今さら発見しました。。。
私の電車はモンパルナス発だったので、その時間に合うように先に彼女をリヨン駅まで送るまで、
ノンストップで楽しいひと時を過ごしたのでした★
と、同時にこれだけ「終わり」が迫って感じられたのも初めてだったかもしれない。。。
一通り別れを述べて、彼女をホームに残して駅の階段を下りていると、携帯にメッセージが届きました。
彼女から一言、
“Tu me manqueras...” (I'll miss you...)
この短いメッセージに想いがすごく伝わってきてなんだか無性に感動したのでした。
2008/06/10
victoire
といっても、
授業が終わった、皆勤賞!というわけでもなければ(まだあと1週間+試験)
課題を全部出し終わったーというわけでもないのですが。
返金してもらったのです(笑)
というのも、オリエンテーションは語学の部と方法論の部に分かれているのですが、
私は両方に参加申し込みをしていました。
(ただし語学の方は免除になる資格レベルというのがあって、私はそれを持っていたのですが、
それでも学ぶことはあるだろう、ということで敢えて申し込んだのです。)
ところがいざオリエンテーション初日になってみると、
「あなたは資格を持っているから語学の部は来なくていい」と言われる。
「来てもいいんですか?」(というかこれ、実は日本から国際電話をかけて確認したはず。。。)
「うーん、ダメ!でもちゃんと返金するから!」
ということで参加を拒否され代わりに差額の返金の約束を取り付けたのでした。
しかし待つこと○○ヶ月・・・(その間何度も確認しに行ってその度に何月になったら取りかかる、だとか、あとどれくらいでできる、だとかいろんなことを言われて待たされたのでした。)
でもやはりくれるといった連絡は来るはずもなく、4月になってさすがにこのままでは帰国に間に合わない勢いだと思い、事務所に直接訴えに行ったところ、
「方針が変わって返金はしなくなった」
「経営陣の方針だから文句があるなら学長に言って」
という意味不明の通達を受け・・・どう考えても納得できなかったので、
「どう考えてもおかしいと思うので説明してください。学長に説明する前にこの不当な処置が解消されることを切に願います。」
みたいな脅迫メールを丁寧に送りつけさせていただいたところ、
半年以上も待たせた事務所から速効で
「こちらの手違いでした、なるべく早く返金いたします。」
という返事が来たのでした(笑)
で、そこから実際に小切手を受け取るまでさらに1ヶ月半くらいかかったのだけど、
「この前事務所に伺ったときあと2週間と言われてから1ヶ月近くが経ちますが、問題がおありでしたらなるべく早くお知らせいただけますか。」
と言ったらやはり即日で
「小切手の用意ができましたので取りにいらしてください。郵送も可能ですのでその場合はお知らせください。」
という返事が来てやっと取りに行ってきたわけです。(郵送してもらったらもっと届かないかもw)
全9ヶ月くらい・・・この返金には倍の価値を感じてしまう。
それにしても、何もしないと損をし、怒ると急にことが進むという構図が面白いくらいにはっきりあらわれた交渉でしたw2008/06/07
gala
パリにあるというのも理由の1つ、まず会場が豪華・・・毎年有名ホテルのホールを貸し切っているらしい。今年はWestinホテルでした☆
パーティーは2部に分かれていて、第一部は卒業学年の5年生のためのディナーで、
2008/06/04
complet
明日は月の第一日曜日だよ!といつもの友だちに声をかけられました。
うわぁーバタバタしてしまって、ついにすっかり忘れていました。
でも美術館めぐりももう最後かもしれないし、朝から行けばちょうどいい気分転換。
ということで、ギメ美術館というトロカデロにあるアジアコレクションで知られる美術館に行って来たのですが、予想以上によかった!
インドや東南アジアの仏像コレクションから始まって
東アジアの陶器、屏風に至るまで充実ぶりはこの分野ではヨーロッパ一だとか。
企画展でやっていた北斎の展示に行くのを断念するほどたっぷり見学しました。
実はこの美術館を以て、私たちはパリ内の国立博物館を制覇したことになります。。。
こんな日が来るとは・・・感慨深い(笑)
2008/05/31
conferences
日本にいるときよりも自由な時間があるというのもあるけれど、
学生が企画する講演も多いから、全体数も圧倒的に多い気がする。
この間はアフリカにおける言語政策についての講演をやっていたので
久しぶりに行ってきました。
“政治中立性”が気になっていたUNESCOの少数言語保護論も聞けたし
政策の思想への影響という点で卒論で考えようとしていることともつながったりして、
なかなか面白かったな。
質疑応答の時間になって、
「私はこう見えてもセネガル人です」と切り出した白人のセネガル人が
“oublier sa langue natale, c'est se déraciner"とサンゴールを引用しだすし。
(サンゴールというのはセネガルの初代大統領で詩人だった人で私は彼の政治思想を卒論で扱おうと思っているのです・・・サンゴールっていうとフランス人はだいたい知ってるけど、フランス人以外はだいたい顔に?を浮かべるんだけど、彼の知名度はどれほどなんだろう。セゼールの方が有名なのかな。)
印象に残ったのは、
(多言語教育が確立していないことによって)近代というものが外国語(旧宗主国の言語)を通して伝わることになり、近代の異質性(étrangeté)が強調されるという話。
アジアが反証として挙げられていたんですが、近代の概念が翻訳語である日本語はどうなんだろうとか考えながら聞いていたわけです。
それにしてもアジア系の学生は別に珍しいわけではないのに、
こういうトピックの講演会に行くとアジア人はだいたい私のみ。
早稲田でアフリカ研究専門の片岡先生が講演したときに、
外務省からENA(国立行政学院)に留学中(!)の先輩に会ったくらいかも。
それに加えて学部生もレアなことがけっこう多いので、
講演後よくあるビュッフェというのはいつもパスしてきたのだけど、
今回初めて、思い切ってちょっとだけ行ってみることにしました。
もう講演会に行く機会も残り少ないだろうし。
で、初対面の人たちと講演会の続きを話すことに成功。
しかも!アフリカ料理を無料で楽しみました;p (学生一人暮らしに優しい)
留学生だから、と思うと開き直れる、
最後だから、と思うと勇気がでる、
それで後悔することってあんまりないんじゃないかな。
2008/05/29
concert
BDAという、学校の芸術活動を総括している学生組織が中心になって、
いろいろな催しが行われています。
その一環で私の入ってるオーケストラのコンサートもありました。
ただこの組織(も)計画性にいろいろと問題があって、
そもそもこの芸術週間自体1ヶ月くらい前にやる予定だったのがけっこう突然キャンセルされて今月になったりしていたのですが、
コンサートの数日前になって、コンサートマスターから衝撃のメールが周りました。
「大講堂がダブル・ブッキングされているらしい。なんでもMarcel Gauchet(社会科学高等研究院EHESSの院長をしている哲学者)が講演に来るらしく、当然シアンスポはクラシックコンサートを優先するわけないよね。ってことはコンサート会場がないってこと。ちなみにBDAはこの事実を昨日知ったばかりらしい。」
本当はコンサートは学校のメイン校舎にある、一番大きな講堂でできる予定だったのが、
こうして突然一方的に使えなくなったことを知らされたわけです。
オーケストラのメンバーはBDAと関係がすごく近いわけでもなければ、完全に独立した団体でもなく、
間を取り持つ数人のグループが存在するという微妙な立場。
だからBDAはオケの活動に熱心なわけではないし、
一方でオケのBDAの企画に対する不満も伝わらない。
でも、本番の数日前に会場をキャンセルされるなんて、失礼極まりない。
コンマスのメールに対して、仲介グループのメンバーでかつオケにも所属している一人が
「今BDAで代わりの部屋(別館の講堂かどこかの教室?)を探してるから、確定するまで報告は待とうと思っていたのだけど。まぁ、大事なのはコンサートすることで、場所じゃない。個人的にはトイレでも弾くよ!」と反応していたのだけど、
2通のメールを立て続けに読んで、
それは残念、では済まないだろう、と思った私。
「コンサートをすること自体に意味はあるかもしれない。でもコンサートは観客に聴いてもらうためのものだということは忘れちゃいけないと思う。大講堂以外のところでやれば当然観客は減るし(別館なんて特に)Marcel Gauchetの講演とかぶってるならなおさらシアンスポの学生は来なくなる。BDAのことは何も知らないからなぜこんな事態が発生したのかわからないけど、演奏する1人として、今回のことを大したことないとはとても言えない。そもそも私たちは大講堂の使用権を得ていたはずで、それを講演会に譲れというなら、せめてその代償となるようなことをBDAが用意するべきじゃないか(もちろん実現可能性の問題もあるし、オケ全体がどう思うかにもよるけれど、例えば別の日に大講堂を使えるようにするとか)私はこのあと1ヶ月でこのオケからいなくなるから、みんなよりこの演奏会に思い入れがあるのかもしれないけれど―」
というような旨のメールをメンバーに思い切って送信しました。
こんなこと、このオケじゃなかったらできなかっただろうと思うけれど、
1年もいなかった留学生の身で、とか、単なる1人の意見にすぎない、とかよりも
たった20人のオケでも私はその20分の1でも占めているんだから、
思ったこと言ってみてもいいなって思えたんですよね。
そしたら、みんなちゃんと反応してくれたのでした。
結局学校の近くの教会を借りることになって無事コンサートは終わったのだけど、
何よりオケのメンバーが口々に「あのメールはよかった!」とか「まったく言う通りだよ。」とか言ってくれて、校内ですれ違うときの挨拶も心なしか距離が縮まった気がしてそれが大きな成果だと思う。
特にオーケストラに関しては、来た頃かなり悩んだ(最初は他大学と一緒のもっと大きなオケに入っていて冬頃にシアンスポのオケに変えた)だけあって、手ごたえは大きかったのかも。
「またある(revenir=re+come)とは絶対に思ってはいけない。その代わりこの瞬間を経験できたことを喜ぶべきだ。」
と指揮者が言ってたのが妙に響きます。
2008/05/26
fontainebleau
最近はやり残しがないようにと考えるようになった。
そんなわけで、週末を利用してフォンテーヌブローのお城に行ってきました♪
12世紀に建てられたお城はフランソワ1世、アンリ4世からルイ16世、ナポレオンに至るまで代々フランスの君主が住んだために改築・増築が重ねられていて、歴史の流れを読み取れるのが面白い。
ナポレオンが毒殺されるのを恐れて鍵をかけられるようにした調味料を入れる箱 (上)
ナポレオンの息子(若くして亡くなった)のためのおもちゃ(しっかりトリコロール笑) (下)
前日は予定していたピクニックが中止になるくらい、1日中雨が降っていたのだけど、
日曜は天気もよくて、お城の広い庭を散歩するのも(ヴェルサイユの庭よりも人の手が入っていない感じも加えて)気持ちよかった。
朝から行って午後は庭でのんびりしながら1日フォンテーヌブローで過ごしたのですが、
なんだか不思議な出会いもあって楽しい1日でした☆
まず朝フォンテーヌブローの駅についてお城まで行くバスに乗ろうとしていると、
中国人夫婦に話しかけられる。
「お城まで行きたいんだけど、どの道を行ったらいいかわかるかしら?」
「バスがお城まで通っているということしかわからないんですが・・・私たちもバスに乗ろうと思っていて」
「あら、あなたたちもお城まで行くの?じゃ、私たちもついていくわ。」
ということで、お城まで一緒だったわけですが、彼女がかなり積極的。
「私たちフランス語わからないから、道を聞いても大変なのよね。どこって何て言うの?」
「右は?」「左は?」「まっすぐは?」と質問攻めw
「往復チケットってあるかしら?往復の方が安かったらそれ買ったらいいわよね?」
「私たちが買うときに運転手さんに聞いてみますね」
「あ、ついでに終バスの時間も聞いてもらえる?」
という具合でかなりしっかりしていらっしゃる。バスを降りてからまず立ち寄った観光局でも彼女がバスの時刻表を頼んだあと、みんな同じものをもらってました(笑)
どうやらご夫婦ともケンブリッジのvisiting professorらしい。
「日本人なの?私たち日本にも1年いたのよ・・・日本語も少し話せます。もう大分忘れちゃいましたけど。」って十分お上手です。。。
バスの中でも、地元の人がお城まではあと2駅だよって教えてくれたあと、
「フランス語で1,2,3は?」
「4は?5は?6,7・・・10」と一気に聞かれたその好奇心に圧倒される。
実は彼女の喋り方が同じく超アクティブなタイの知り合い(Sue!)に似ていて懐かしかったり。
ちなみにご夫婦かなり時間をかけてじっくり見学されてました。
もう1つは帰りがけ。駅に戻って帰りの電車の切符を買おうと券売機(といっても1台のみ。。。)に並んでいるとどうやら故障した模様w
もう少し奥には、カードでの支払いが故障していて、コインでしか払えない機械が、誰にも使われずに立っている。(というのもパリ行きの切符は7ユーロちょっとで、5ユーロからお札が存在するため、それだけコインを持っている人というのもなかなかいないわけ)
でもバスの発着時間はパリ行きの電車の時間に合わせてあるので発車時刻まであと10分くらい。
=みんな焦る。怒る。文句を言う。
そんな中、後ろに並んでいた紳士と会話が始まる(笑)
「日本人なの?私日本には10年住んでたんだ。松涛に住んで赤坂で働いてたんだよ。」
(!!!)
フォンテーヌブローで松涛という単語を聞くとは思わなかったw
彼はメリルリンチにお勤めらしいです。
私たちが切符を買い終えてホームに行くともう電車は来ていて、なんとか間に合ったのだけど、どうも彼はタッチの差で間に合わなかったのではないかと思われてフランスのインフラの弱さと効率を追求しない姿勢(笑)がちょっと悔やまれたのでした。
2008/05/23
hierarchie
その中で1937年にパリで開かれた万博について触れたのを機に、
先生が「各国のパビリオンが集まっていたトロカデロ広場に行って感じたことを発表しなさい」という変わった宿題を出されました。
実はトロカデロ広場ってエッフェル塔が一番よく見える場所な気がするんですが、
クラスの1人がエッフェル塔はフランス社会のヒエラルキーを象徴していると発言。
それに対してフランス人学生がすかさず反論、
「私はフランス社会が階級性だとは思わない。私たちの社会はむしろ平等主義だ」
と言うと、クラス中の留学生たちが(特にこのクラスは偶然にもけっこう留学生が多い)いっせいに
リアクションを始め、フランス人学生 vs 留学生という議論が始まったのです。
こっちの授業でディスカッションがあっても、こんなにクラスみんなが争って発言しようとすることなんて実はかなり珍しいこと。
つい先日大家さんと立ち話をしていて、マダムのお父様はシアンスポ出身の国務院勤務(=政治家)で、シアンスポの目の前に住み、
家には「女中」がいて何から何までやってくれていたのでマダムは結婚するまで卵のゆで方すら知らなかったという。そんなマダムの結婚相手はやはりシアンスポ出の貴族。友だちも16区に住む貴族。。。
そんな話を聞いたばかりだったから余計に、
「フランス社会は平等主義」
はないだろう、と思ったけれど、
というか、フランス人学生が本気で平等主義と信じていることに私はちょっと耳を疑いましたが、
同時にグラン・ゼコールのエリート再生産システムを真に垣間見た感じがしました。彼女の育った世界は、ものすごく均質な、“平等”な世界なわけで。。。
確かにシアンスポは優先学区と提携した特別入試を実施したりしていて、
これは実質アファーマティブアクションと言われているくらいだから不平等是正の努力をしている方なのだろうけれど、本当はこの制度うまく根付いていないと私は思う。
シアンスポ側は、「これはレベルに達していなくても定数を設けて特定のカテゴリーの人の入学を許可するといったアファーマティブアクションのシステムではなく、入学生の多様化を図る政策だ」としているのに、実際「正規」の試験を受けて競争を勝ち抜いてきた優等生たちの中には、
この特別入試合格者を極端に言えば「自分より能力が低いのに楽して入ってきた」というような見方が残っているし、理解を示さない先生もいる。
そして結局シアンスポ側もせっかく入学生の多様化を図っても、それを均質化する教育に熱心で、
皮肉な言い方をすれば、まるで「かわいそうに郊外に育ってしまったけれどここへくれば大丈夫、16区出身みたいに見えるようになるから」とでも言いたいような、それじゃまったく多様性を認めてないじゃんという感じなのだ。
とはいえ、この制度導入に踏み切ることができただけでも大きな変化ではある。
メンタリティーが変化するのはきっとものすごく時間のかかることだから。
先生が“la bataille n'est pas encore gagné, mais elle n'est pas perdue non plus."
(闘いは終わっていないけれど、まだ勝つ余地はある)と仰っていた通り、まだ闘いは続くのです。
2008/05/20
nuit des musees
2008/05/17
Amartya Sen
学校から1通のメールが来ている・・・開封してみると小さな案内。
明日の講演会のお知らせ。14時45分からAmartya Sen教授による特別講演会。
!!!
一瞬目を疑いましたが、ノーベル経済学者、コンテンポラリーの偉大な哲学者、Amartya Senが講演に来る!という突然のお知らせw
テーマはtheories of justice.
テーマからも連想されるジョン・ロールズの著書"A Theory of Justice"やカントに見られる
倫理的判断における正義の中心性、さらにその単一性の批判というのがメインポイント。
なかなか消化するのに時間がかかっていますが、
一番印象に残っているのはright decisionというのは必ずしもbest decisionではないという話。
でも何かを正しいと判断することは、他のものを正しくないと切り捨てることになるわけで、
正義っていうのは自己主張の盾にすぎないのではないかってちょっと疑問。
そういえばセンはbelieveという単語を使っていたけれど、正義は信仰なのだ。
2008/05/14
presse
といっても試験を除けば授業ももうあと1ヶ月なんだなぁ。
休講が続いたりしたために、ちょっと課題が重なっているのですが、
最近は偶然にも、時事問題を扱う発表が3連続。
revue de presseというこの種の課題、この学校では10分exposé(プレゼン)に続いてよく与えられます。授業や先生によって違うのだけど、概ね担当の週にあった出来事を、複数の情報源をもとに分析するというもの。
政治学院の学生たる者、世界情勢は常に追いなさい、というのと、
メディアに対して批判的な視点を持ち、1つの出来事を複眼的に捉える癖をつけなさい、という学校方針を実践するのにぴったりな課題というわけです。
実際、ソースはかなり充実してるんだよね。
まず朝早く(1限の終わる10時までに)学校に行くと、エントランスに複数の新聞が山積みになっていて、自由に持ち帰ることができる。
私はだいたいここで、ル・モンド(中道左派?)リベラシオン(左派)フィガロ(右派)の3種類をゲット。
ちなみにル・モンドが一番早くなくなります。(但したぶん置いてる量はフィガロが一番多い)
他にもfinancial timesとかもあったり。
さらに図書館の1室がニュースルームになっていて、そこには雑誌や、以前に書いたテーマごとに記事をまとめたファイル、さらに各国の新聞が蓄積されていて自由に閲覧できるようになっている。
こっちは新聞を「定期購読」するという習慣が日本に比べて少ないのですが、
この2つのシステムのお陰でシアンスポの学生はばっちりサポートされてるのです。
そもそもこっちの新聞は(テレビも!)少なくとも当日はほとんどの部分をネットで入手できるのも学生一人暮らしにはありがたいところ。
そういえば日本でも最近3社の記事を比べるサイトができたお陰でかなり見られるようになりましたが。
それにしても、そうやって読み比べていると、記事にいかに新聞社の色が出ているかに改めて驚かされたりもします。右派左派の読み比べもそうだけど、例えば同じヨーロッパ内でも国の立場によって捉え方はかなり変わるわけで。
アフリカの時事問題を発表するにあたって、ル・モンドで『ジブチ/エリトリア 国境紛争の危機』というような記事をみつけたので、他の情報源を探していたら、
なんとAFP通信の出した「事実」とされる内容自体を否定する情報もあることが判明。
エリトリアが国境を越えてジブチに侵入したとして、ジブチがエリトリアを非難するところから始まるのですが、エリトリア側は侵入の事実すら否認しているのです。
実際エリトリアがジブチに侵入するインセンティブはあまりない。
というわけで、これはジブチの策略だ、という話も挙がっているわけなのですが、
フランスはジブチの旧宗主国で、ジブチに基地も持っているため、この対立では恐らくジブチ側。
AFP通信とはいえ、決してニュートラルではなく、ジブチ側の情報源をもとにしていること自体が既にフランスという国の立場をとっていることになるのでした。
相対化って難しい。。。
2008/05/11
Linnea in Monet's garden
とはいえ学期も後半に入り、課題も増えてきたため、連休!というわけにはいかなかったのですが、
パリから日帰りできる位置にあると知って、今回の滞在中に行きたいところリストに真っ先に載ったのでした。
4月中旬までの長かった冬が嘘のように、最近は夏のように晴れ渡っているので、お昼は木陰でピクニックというのも気持ちいい。
2008/05/08
Joyeux anniversaire
2008/05/04
apres-midi a la française
5年前に私の気に入ったのは、フランスの小さな町(注:≠田舎w)の
このリズム、この生き方だった。
そんな様子が垣間見れる、ある午後の過ごし方を紹介します。
その日は、高校の担任(国語の先生)と再会することになっていました。
お昼ご飯に連れて行ってくれるというので、高校の駐車場で再会すると、
「夫も合流していいかしら。もう長いことあなたの噂を耳にしてるものだから。」
とおっしゃる。
こうやって夫婦やカップルを始め、友だち同士でも、
「友だちの友だちは友だち」といった具合に「紹介」することはこっちではよくあること。
この、人の距離感が私はけっこう好き。
そんなわけで、先生夫婦とレストランでお食事。
食事のあと何をするか、という話になる。
「どこか行きたいところはない?」
ホストファミリーのところに行ってもそうだけど、午後は何する、という話になると、
だいたい、どこかへ行く、という発想になる。
ヴァカンスでも地元を離れて、遠くへ行くことで完全なる非日常を満喫するという傾向にあるのと
共通しているのかわからないけれど、
違う町へ行ってみて散歩するというのはちょっとした空き時間の過ごし方みたい。
しかし、そんなわけだからこの町の近郊はけっこう行きつくしているんですよね。
ご夫婦で挙げてくれた候補が次々と却下されていき
すでに3時をまわっていてちょっと遠いかしら、でもせっかくだから、
と、修道院の有名な、クリュニーに連れて行ってくださることになりました。
そんな決定を下したときは、朝からの悪天候も和らいで、日も差していたのです・・・
が、車を走らせているうちに、どう見ても進行方向に黒い雲が待っている。。
と、案の定大粒の雨が降り出し、
到着するころには土砂降り。仕舞いにはj雷は鳴るわ、あられまで振り出す始末。
ずぶぬれになりに外に出て行くのも馬鹿げた話だから、としばらく車内で雨宿りすることに。
そんな車内の会話はいつの間にか日本の話に。
「私たち日本語を勉強する努力はまだしてないけど、ちょっとした基礎はあると思うんだ。」
といって、知ってる日本語を1つずつ挙げていくご夫婦(笑)
さようなら、ありがとう、から始まって、
「タタミ!」
「フトン!」
「キモノ!」
「オビ!」
「ブシドー!」
「カミカゼ(苦笑)」
「あーあれ、なんだっけ、あの紙折るの・・・オリガミ!」
「イケバナ!」
とけっこう出てくる。
フランス語を始めて習ったときにやった「どれがフランス語でしょうクイズ」を
思い出したのだけど、日本語に輸入されているフランス語(ア・ラ・カルトとかカフェオレとか)と同じくらいフランス語化された日本語もあるのかもしれない。
待つこと15分くらい。少し雨足も弱まったので、傘を手に外へ行ってみることに。
16時43分修道院着。
「受付は終了したわよ。」
「・・・だって修道院18時まで開いてるんじゃ。。。」
「1周1時間以上かかるから、受付は16時40分で終わり、書いてあるでしょ?」
所要時間1時間15分と書いてある。?!それなら、16時45分でいいじゃん。今45分じゃん。入れてよ。
微妙な5分の空白。これも、フランスらしい。。。
しかし、ここで引き下がらない先生も、やはりフランス。
「急いで5分前に入った人に追いつくから、大丈夫でしょう?ここにいる子は日本からわざわざ(嘘)来たのよ!お願い、入れてちょうだいよ。」
「申し訳ないけど、レジはもう閉めちゃったから無理です。」(帰宅時間は一刻を争うw)
仕方ないので、外側からだけでも見ながら雨のあがりつつある町を散歩することに。
と、歩いているうちに、修院の出口を発見。
なんと、出口から中に侵入できてしまいました。。
まーすぐに係員が注意しに来たのですが、先生再び、
「受付で、たった5分のために拒否されちゃったんだけど、この子東京からわざわざ来てるからどうしてもどうしても見せたいのよ。」
と誇張した訴えをなさる(笑)
「お気持ちはわかりますけど、規則なんです。」
「東京よ、こんなに遠くから来たのに、もったいないでしょ?彼女明日には帰っちゃうんだから。」(せ、せんせいw)
「じゃーこの1部屋だけ見たら、戻ってきてくださいよ。」
と、訴えが見事成功して、恐らく一番見応えのある、柱頭の残っている部屋を見学できることに。
(この柱頭の周りを巡礼者が祈りながらまわったとか。屋根は船と同じ仕組みで建ててあり、当時としては画期的な建築だったよう)「許可してもらったんだから、しっかり見なきゃね」
ということで見学したあと、修院の一部を使っている美術学校の中庭へ。
(嘘のように晴れた空、でもよく見ると水溜りが。。。)ここから学校の中を通って外に出られるんじゃないかと、歩きまわっていると、
見学路の続きを発見w
そこから“もぐり”見学が始まりました。。。全て進路を逆行しながら、全過程を見事見学。
「私たち、68年時代の産物だから反抗的なの(笑)」とご夫婦。
お陰で忘れられない午後となったのでした。
2008/05/01
muguet

でも気になる。
ケルト暦の新年だったり・・・。
そんな春のお祝いで、あるとき幸運をもたらすというスズランを贈られたシャルル9世が、
翌年から宮廷の女性たちにも同様にスズランを贈るようにしたのが始まりだとか。
ただし今日のような広がりを見せたのはやはりメーデーができてから。
財政難の労組が、この習慣を使ってスズランを売ることで乗り切ったことで、毎年恒例行事になっていったみたい。
自分で摘んできたものだったら誰でも売っていいので、
この日は小さい子が道端で花束を売ってる姿もみかけます。
ちなみに、スズランって原産国は日本なんだよね。
2008/04/29
relax
2008/04/24
repos
金曜の授業が休講になったので、木曜の夜から休暇を利用して
10日ばかり元ホストファミリーのもとへ里帰りしてきます☆
中間試験漬けの日に、実はホストマザーから電話が入っていたのです。
「パリもそろそろお休みの時期じゃない?帰ってきたかったらいつでも言うのよー」
という心優しいメッセージを試験の合間に聞いて元気付けられ、
今回の休みは充電に費やすことに決めました。(←単純)
長期貸し出しも利用して、休み用に本も借りだめしたし。
2008/04/22
jour J/ d-day
試験は例によってだいたいの場合4時間なので、
4月末にある1週間の休みの前後2週間くらいの土曜日を使って
授業ごとに日程が割り振られているんですが、
中間試験がない科目もあるなか、
私はなんと、同じ日に2つも試験が重なってしまった。。。
朝の9時から夜18時まで。計10ページ以上書き続けて手が疲れました。
幸い(?)朝の試験は4時間ではなく2時間だったのですが、
2時間で2つも小論を書かなきゃいけなくて、時間との闘い・・・若干敗れましたw
この科目、期末試験は3時間で3本らしい。きゃぁー。。。
朝の試験がそんなだったから、午後は逆に4時間使えることが嬉しくて(笑)
6ページ丸々埋めたのは初めてかも。
まぁ長さじゃなくて、もちろん中身、なんですが、フランス人は平均的に6枚くらいは書くんですよね。
そのくらいの長さがあったほうが、論拠が強化されるというのも確か。
やっと4時間試験にも少し慣れてきたかな。。。
そんな長い1日の締めくくりは、
別の授業のクラスで集まってDVDの上映会。
『アフリカと開発』という授業に関連して、
お父様が国連人間居住センターで働いているという子が、その事務所が制作した
ケニアのスラムについてのドキュメンタリーを特別に(DVD自体は非売品)見る企画をしてくれたのです。
スラムの外観や生活の様子はどこの地域でも不思議とかなり似ている気がする。
2008/04/18
condoleances
偶然にも、今日オーケストラの本番で、
黒い衣装に身を包んでヒンデミットの“Music of Mourning”を演奏している間のできごと。
彼をパンテオンに祀ろうという話があがっているらしいけれど、
①セゼールに面会を拒否されてマルティニク訪問のキャンセルを余儀なくされた過去を持つサルコジがこの要請を受け入れるか。
②そもそも、エメ・セゼールは、フランスの英雄としてパンテオンに入ることを望んだだろうか(要は家族がこの要請を受け入れるか。)
という問題があると思う。特に②、サンゴールもそうだけど、英雄なのか優等生なのか。
中間試験が終わったら掘り下げようっと。
En attendant, je presente toutes mes condoleances...
2008/04/16
misanthrope
2008/04/14
la vie
ようやくspring has come!といった感じで花が咲き誇っているので、
ちょっとカメラを持って出歩くことに。
春はやっぱり生命力に溢れているなぁって思います。
一方で気になるのが入院中のエメ・セゼールの容態。
「詩人としては絶対を語り、政治家としては相対を捉えようとした」人という形容をされていてちょっと感動してしまった。
フォールドフランス市民がインタビューで、彼が入院していらい怖くてニュースを聞いていないって言うくらい、本当に「愛された」人なんですね。
94歳というだけでもかなりすごいけれど、快復を祈ります。。。
2008/04/12
memoires endormies
しかも相手はアドミニはアドミニでも政府。。。
ことの始まりは1通の不吉な手紙でした・・・
フランスには住宅手当というのがあって、
申請が認められると政府が家賃を一部負担してくれることになってるのですが、
滞在許可証の発行を待って申請が終わったのが12月。
年末になってやっと最初の支払いが済んで安心していたら、
ここ数ヶ月なぜか支払いが止まっているではないか。
と、思っていた矢先の手紙でした。
中に書いてあったのはおおよそ、
「あなたは権利がない300ユーロを受け取っているので速やかに返金してください。」
(要は計算間違えて多く払いすぎちゃったから返して、ってことなんですが笑)
さらに、この手紙に対する異議申し立ては以下の方法で行うこと。①・・・と妙に法律的な文章が続く。
しかし、問題はこの300ユーロとやら、私は受け取ってないのです。
何しろ支払いがなぜか止まってるので。
それに、国が計算を間違えるってスキャンダルじゃないですか?
しかも、今さら、返す義務があるのか、シアンスポの友だちに聞こうかと思ったけど、
とりあえず、受け取ってないものは返せないので(笑)事務所に確認に行くことに。
幸い事務所は家からさほど遠くないところにありました。
入ってみると、見事に移民系ばかり。滞在許可証の申請時のよう。。。
意外にスムーズに順番が周ってきて、
事情を説明しようと思ったら、私の情報を確認した受付のおばさん、
「あなた、滞在許可証の更新を提出してないわね。滞在許可証出してちょうだい。」
あぼん?(た、滞在許可証、ですか)
「だって、あなた支払い滞ってるの気づかなかったの?」
「いや、それを確認に来たんですが」
「でしょ、滞在許可証更新してないからよ」
「更新なんて要求されてませんが」
「いちいち要求なんてしないわよーあなたが提出しにこなくっちゃ」
っていうかそもそも更新、じゃないんですが。
というわけでよくわからないけれど言われるままに滞在許可証を提出して、
「これで支払いが再開するわよ」らしい。
で、問題の手紙について聞いてみると、
「あーそれは、支払うはずだったけど、支払わなかったのよ、だから±0」
え。じゃあこの恐ろしい手紙は何。。。
「じゃあ、もう手続きはないんですか?」
「もう何もしなくていいわよ。」だそうですw
受け取っていないことを証明するために口座明細まで持ってきたけれど出番なし笑。
いろいろ面倒な法的手続きで何度も往復することになるんだろうなーと思っていたから、
思わぬ展開に拍子抜けなくらい。
気分が軽くなったところで、
久しぶりに天気のいいパリを散歩してきました♪
大通りに沿ってセーヌ岸まで行って、Bir-Hakeim橋を渡ってトロカデロ広場へ。
そういえば高校で留学中にパリに来たときもトロカデロ広場を通ったんだったことが急に思い出されました。よく考えたらそのときもちょうど春のはじめだったから、紅茶に浸したマドレーヌならぬ、春の風が思い出させてくれたのでしょう。
シャイヨ宮に刻まれたヴァレリーの詩を拝みつつ、
久しぶりの日光があまりにも気持ちいいので、広場のベンチに腰をおろして
エッフェル塔を眺めながら、しばしもの思いに耽るという至福のときを過ごしました。
家に帰ると高校留学時の友だち(現在パリでインターン中)から電話があって、
「今晩暇だったら家寄らない?」
というので、久しぶりの再会を果たしノンストップで喋り続けました☆
人口6万人の小さな町で高校時代を共にした友だちは本当に貴重です。
しかもこの子は、大学の交換留学を1年経験し、今度はパリ生活を始めたとあって、
共感することがいっぱいで楽しいひとときでした♪
2008/04/09
musees
(そしてこういうことはもちろん発表の前日とかに起こるのですが・・・w)
前後してしまいますが、この前の日曜日は月の第一日曜日!ということで、
今月も美術館(=無料)に行ってきました☆
本当は発表が迫ってたのだけど、もう第一日曜日も何回かしかないし、
せっかく天気もよくなってきたので、
逃すのはもったいない!ということで、活発な友だちにプッシュされてなんと、
①ドラクロワ美術館
②ピカソ美術館
③Cognacq-Jay美術館
の3つもハシゴしてしまいました笑。
①ドラクロワはサンジェルマン教会の裏の雰囲気のいい小さな広場に面したところにある、元アトリエで、中庭もとてもきれい。ドラクロワ自身「仕事が捗って気に入っている」と言ったアトリエらしいです。

先月は日本の春休み中で観光客が多かったのか、かなり人が多かったのですが、
(ちなみにそのため、私も友だちも知り合いにばったり会いました笑。私が会ったのはこっちで勉強している修士の先輩ですが。)
今月はなぜかここまで並ぶことなくかなりスムーズに周れたので、
近くに発見した③Cognacq-Jayという市立の、18世紀のパリの芸術品を集めた美術館にも入ってみることに。
あまり一気に周りすぎて消化できないのも嫌だったし、課題が気になって、
「帰る~!」と言っていた私も、
アンティーク調の部屋と家具に囲まれてすっかり機嫌を直し(笑)
2008/04/06
democratie
今日は学校まで行く途中で赤ちゃんを抱いて
ミルクをあげながら歩いているお父さんとすれ違う。
よく見たらDavid Pujadasでした。
といってもわからない人がほとんどだと思うけれど、
フランス2の人気メインキャスターです。
毎日20時のニュースを担当していて、私はBSを通して高校のころからお馴染みのおじさん(笑)
さて、ジンバブエ選挙。
ついに野党のTsvangirai氏が大統領選でも勝利宣言をしたらしいです。
TsvangiraiはMugabeに「新しいジンバブエはあなたの安全を保障します」と言っているらしいが、
Mugabeは亡命するのだろうか。。。
イギリスがどこまで出てくるのか気になるところ。
ケニアの後を追わずに、無事政権交代が行われるといいです。
2008/04/04
Yasukuni
日本での映画をめぐる大問題を聞いて悩ましく思っていたら、
ついにル・モンドにも記事が載りました。。。
私はネットで見たのですが、トップ記事のすぐ下だったからかなり目立つ位置。
関連する別件もけっこう丁寧に分析してあるので、ちょっと訳してみます。(フランス的な表現が面白いから直訳で・・・)けっこう長いけれどル・モンドの視点はなかなか興味深いです。
「安全のため」として東京と大阪にある5つの映画館が在日中国人の李纓監督の映画『Yasukuni』の上映を中止した。日中共同制作のこのドキュメンタリーは香港国際映画祭で入賞したばかりだ。
日本中の他の映画館もいくつか既にこの映画を上映しないと公表している。映画館が懸念しているのは、多くがやくざとつながりがあると言われている右翼団体の抗議行動の的になることだ。4月2日水曜日付けの新聞はそろってこの表現の自由の侵害を問題視していた。国旗を掲げ強力なスピーカーを備え付けた黒いトラックから、この団体は呪いの言葉をわめきちらして映画館をデシベル爆弾で攻撃する。表現の自由のもと、警察は介入できずにいるのだ。表現の自由を制限する最近のいくつかの問題に続いて、右派から「反日的」との評価を下された『Yasukuni』の上映自粛は、また1つ民主主義の根本的な自由の侵害することになる。
1869年に建設された靖国神社は、祖国のために亡くなった人を偲ぶために、奉納されている。
1970年代の終わりからは1948年に東京国際裁判で戦犯として処刑された7名も祀られている。このため、日本の高官の参拝は日本の過去の軍国主義を水に流す行為であるとして中国や韓国との間に頻繁に物議を醸している。
李纓監督は作品の中で主に過去10年を集中的に取り上げている。というのも、戦争の解釈について議論の焦点があたることになったのは、2001年から2006年にかけて小泉首相が繰り返し参拝したことがきっかけとなったからだ。映画は8月15日の敗戦記念日に旧兵士たちが軍服を着て頭には日の丸を巻き神社に祈りにやってくる様子を描いている。他にも映画には1937年の南京における民衆の虐殺の写真なども使われているが、この事件に関して右派は、中国側が公表する規模(死者20万以上)を否定し「ささいなトラブル」にすぎないとしている。歴史修正主義者の立場からすれば、こうした写真の信憑性は疑わしく、映画は事実を操作しているという。しかし監督は映画の中で戦争について様々な意見を持った人々にインタビューを行っている。「2007年の12月から翌3月までの3ヶ月間にわたって私たちは何度も日本で記者会見を行ってきました。映画館の経営者や配給会社の方々も私たちもこの映画を公開することが1つの挑戦であるという認識は持っていたはずです。右翼が抗議行動を起こすことは珍しくありませんから、今回もそうであろうことは明らかでしたが、皆が私を励ましてくれていました。私たちはお互いに支えあっていたのです。」と李纓監督は語る。
現在政権を握っている自民党の議員の一部は映画の内容に疑問を抱き、この映画が一部助成金を受けている(750万円=4万7千ユーロ)ことを理由に映画の上映会を申請し、文化庁はこの要請に応じた。稲田朋美議員は、この映画は「イデオロギー的メッセージ」を含んでおり「中立性は疑わしい」として、助成金の対象にはふさわしくないと考えている。
文部科学大臣の渡海紀三朗氏は「圧力やいやがらせがこのような状況を招いたこと」に対して遺憾の念を表明している。メディア側は中道右派の読売新聞(1300万部)ですら、助成金の問題は映画の上映とは別に扱うべき問題であるとして表現の自由の尊重をうったえる社説を掲載している。
「議員上映会以後、状況は一変しました。政治家たちがあらゆる圧力をかけているのです。多くの議論が映画の中身とは無関係なのに非常に残念です。私にとってこの映画が上映できないなんて考えられないことです。このことは日本にどれだけ保守主義が根付いているかを露呈していますし、日本社会が中国に対して、アジアに対して、そして世界のそれ以外の国々に対してどのような立場を取っているかについても問わずにはいられません。 私の目的は日本人とコミュニケーションをとって、可能な限りの手段を使ってこの映画を観てもらい、このことについてよく考え議論を交わしてもらうことなのです。」
あまりメディアではとりあげられていないが、最近、表現の自由に対する様々な圧力による問題が他にも日本で起きている。高等教育に携わる教師が20人程、2003年から義務化された国歌斉唱を自分たちの生徒に適用することを拒否したという理由で処分(10%の減給、6ヶ月の勤務禁止、非常勤の場合は契約の不更新)を受けたのだ。以来、400人もの教師がこの指令に従わなかったために処分あるいは“再教育”の対象となっている。
ゆったりとしたテンポで荘厳な日本国歌は、天皇への頌歌である:「君が代は千代に八千代に、細石の巌となりて、苔の生すまで」("Que ton règne dure mille vies, huit mille vies, jusqu'à ce que le caillou soit devenu rocher et ait été couvert de mousse.")国旗の日の丸(白地に赤い丸)と共にこの国歌は、知識人たちから軍国主義のイデオロギーに結びつくものとして抗議されながらも、1999年に国家のシンボルとして法律で認められた。これらの国家シンボルは最近ではもう議論の的とはなっていない。スポーツ競技と勝利の歓喜によって若者たちの間にはお祭りの気分が喚起され、戦前のコノテーションは切り離されたのである。
それでも国歌についてはその斉唱が強制されているのであるから、信仰の自由についての議論の中心をなしている。
2006年9月東京裁判所は卒業式での国歌斉唱を拒否していた教員の主張の正当性を認めた。判決理由として裁判所は、「教員が君が代を歌う義務はない」とし、「誰であれ斉唱を強制することは思想・信仰の自由に反する」とした。さらに東京都に対し原告の損害賠償として1200万円(8万ユーロ)の支払いを命じた。
2003年10月の条例において東京都教育委員会は教育機関の校長に対し、教員に演奏開始と共に起立し、生徒に国歌を斉唱させることを義務付けるよう通達した。この条例は違反者に対しての罰則を用意しており、400人が東京裁判所に訴えを提出していた。裁判官は、君が代の罰則を伴う義務化は政府に教育への「あらゆる過度の介入」を禁止している教育基本法に反すると主張した。
戦争とその解釈は日本において戦後ずっと大きな争点となっており、議論や裁判を呼び続けている。3月末、司法は今度は歴史上の出来事についての判決を下した。1945年3月のアメリカ上陸の際、軍隊が命じた、沖縄における民衆の集団自決である。
大阪裁判所は『沖縄ノート』(1970年)の作家であり、1994年のノーベル文学賞作家の大江健三郎氏と出版社岩波書店の主張の正当性を認めた。彼は事実を操作したとして旧軍人たちに訴えられていたのだ。裁判所は軍の司令部がこの自決に「深く関わっていた」と結論付けた。
大江健三郎氏は座間味島と渡嘉敷島の2つの島で起きた430人の自殺について触れていた。日本の領土の中で太平洋戦争の最も残忍な闘いの場(12万人の死者、うち大半は民間人であり、人口の4分の1にあたる)となった沖縄での集団自決における軍の役割は、教科書では過小評価されている。映画『Yasukuni』の上映が再開されるためにも、司法の介入が必要なのだろうか。
Philippe Pons
荒訳で申し訳ないです。本文が読みたい人は言ってくださいね。
ちなみに、一応5月から上映再会が決定したようで一安心。
2008/04/01
homme/femme politique
現フランス外相のBernard Kouchnerが大学に講演しに来たので聞いてきました!
しかもテーマは「外交における人権」
講演自体はかなり前から企画されていたのかもしれないけれど、
よくこの時期に公衆の容赦ない質問攻めに曝されうる講演を引き受けたなぁと思う。
今期シアンスポで授業を持っている元外相のHubert Vedrineも彼の姿勢を評価していたくらい。
立場上ある程度「外交的」な発言も多かったけれど、
それでも「私はサルコジには投票してない」とはっきり言ってしまったり(笑)
会場からのかなり挑戦的な質問にも「必ずしも答える必要はない」とする司会者を遮って答えていたり、
講演後も車に乗る直前までインタビューに応じていたり、
思っていたよりも肩書きに囚われず、さすがに人道主義者として第一線で活動してきたときの動機は忘れていないなという印象を受けました。
講演会に来ていた数人と話したけれど、Kouchnerは大半の中で好感度を上げた模様。
で、翌々日、今度はアフリカと日本、中国についての講演会があるというので、授業時間まで少しでも聞きに行こう、と思って講堂に入ると・・・
あれ?講演会もう始まってる?!
でも喋っているのは女の人だからメインスピーカーではないのかな?
ん?どこかで聞いたことある声だ?!
と思ったら、なんとSégolène Royalでした。
実は私が講演の教室を間違えただけなのですが、
ちゃっかり入れてしまったのでアフリカについての講演会に移る前に
彼女の話の後半だけ聞いてきました。
2008/03/30
action

2008/03/27
liberte d'expression
こちらではかなりチベットの問題が大きな争点になっています。
一応フランスは人権宣言の名においても「人権の擁護者」という意識があるらしい。
というわけで、以前に書いた人権担当大臣Rama Yadeがサルコジの訪中に付いて行かなかったときも
けっこうな批判を呼んでいたのですが、
今回聖火の点灯式で抗議の旗を掲げて割り込んだのもフランス人らしいし、
サルコジはオリンピックの開会セレモニーをボイコットする可能性を示唆したらしい。。。
点灯式の混乱中、中国では遺跡の映像が放映されていたというのだから
やはり問題がないとは思わないけれど、
なんというか、ce n'est pas à la France de lui faire la leçonという感じもする。
でもMSF時代に「介入権」を提唱したクシュネール外相は腰が重いと批判されています。
私としては単純に、各国代表が集まるとかそういうコンテクストは抜きに、
ただスポーツに長けた人たちの修練の結果を鑑賞するのはけっこう感動的で好きなんだけどなぁ。
一方レバノンではペルセポリスの公開が禁止されたらしい。
どうも禁止を発表した内務省は正式な理由を表明していないらしいのですが、
保安当局のお気に召さなかったとか。
とはいえ、レバノンでもこの決定は批判されていて、特にレバノン文化相はこの禁止が正当性に欠けるものだとして、内務省に禁止を解くように要請しているらしいのだけど。
ちなみに、レバノンには保安局による検閲というものが存在していて、その基準は
「宗派対立を招くようなもの、風紀や国家権力を毀損するもの、イスラエルのプロパガンダを助長するもの」だそうです。。。
で、この文化相は検閲自体に反対の立場を取っているらしく、今回もペルセポリスは「1つの視点を提供しているだけで、イスラームもイランも中傷されているわけではない」ということで、
この決定が覆されることに期待です。
経済的・物理的に安全が保障されていることと、表現の自由をはじめとする個人が自由に開花することが保障されていること、どちらが大切ですか?
2008/03/24
Argerich!!!
Festival de Lugano IIというのをやっていて、本当は
ミッシャ・マイスキー(vc)とマルタ・アルゲリッチ(pf)の共演
というプログラムに行こうと思ってたのですが、席がとれず、
それでもアルゲリッチ様が聴けるなら、ということで別の日の室内楽に行ってきました。
管弦はイマイチ(というか1stがあまりよくないという致命傷。。。)だったのですが、
やっぱりアルゲリッチ様は圧巻でした。(ちなみに彼女の娘がヴィオラを弾いていました。)
まずモーツァルトの4手のためのピアノソナタの2楽章あたりから、
1つ1つ丁寧に空間を埋める音を発していく彼女のタッチから音楽への愛がひしひしと伝わってきて、
ひたすら感動。
そして、1番よかったのはショスタコーヴィッチの2台ピアノのためのコンチェルティーノ。
ショスタコらしーい重厚さと輝きの曲自体も好きだったし、
彼女もかなり乗っていて見事だった。
やっぱり相当人気らしく、会場いっぱいの観客が終演と共に舞台近くまでどんどん押し寄せてきちゃってましたw
まー今回はソロじゃないし、バレンボイムのようにアンコールは弾いてくれませんでしたが。
それでもイースターイブに素敵なひとときを過ごすことができました☆
Happy Easter!!
2008/03/22
evolution
エッフェル塔の向こう側の空が大きかった。
毎日のように同じ景色を見て歩いていると、
ちょっとした気候、時間なんかの違いによっていろんな感じ方をするのが
面白くて、ついつい言葉にしてみたくなるのです。
でも、毎回エッフェル塔日記を書いても仕方ないので(笑)
最近はポストマテリアリズム(戦後生活水準がかなり高水準に達したことで先進国では価値観に変化がおきた、というような話)についての発表にはまって図書館通いをしているのですが
(というか一次文献的に扱いたかった本が図書館でしか閲覧できないw)
ふと、図書館前で先学期同じ授業を取っていた子に1ヶ月ぶりくらいに声をかけられて
放課後気分転換に出かけることに・・・エジプシャン・カフェに行ってきました♪
レストランもあるんですが、カフェの方はシーシャ(水タバコ)を提供しているので、
今年から「店内禁煙」の法律ができたために、テラス席。
といっても絨毯が敷いてあって、ちょっとテントのようになっていて、
低めの小さなテーブルを低めのイスで囲む形の、洒落た空間になっていました。
帰り道、方面が同じ友だちとメトロに乗りながら、
何かの拍子に地下鉄サリン事件の話に。。。
考えてみれば、昨日はちょうど事件から13年だったのでした。
同じく、イラク戦争からは5年。
世界の価値観は“degrade”してないだろうか。
2008/03/19
2008/03/17
opportunity
ふと、掲げてあるのが半旗であることに気づいた。
そう、第一次世界大戦フランス軍の生還者の最後の生き残りが亡くなったのです。享年110歳。
週明けには各国の軍人が参加してアンヴァリッドで告別式が行われました。
こうして第一次世界大戦はほぼ完全に「歴史の中」の出来事へと振り分けられるんだろう。
湾岸戦争は映像だけがうっすら記憶にある。
世界を意識するようになったのは9.11からだった。
そしてイラク戦争は1つ1つのステップをはっきりと覚えている。
確かに脅威は原動力になる。
でも脅威から始まることよりも本当はもっともっと考えたいことだっていっぱいある。
だから新しい時代への移行は1つの大きなチャンスなのかもしれない。
というか、チャンスであるべきなのだと思うのです。
2008/03/14
Israël

うーん、やっぱり国旗って強烈なシンボルだな。
イスラエル大統領シモン・ペレスの来仏に合わせて、
官庁街の通学路には最近イスラエル国旗がフランス国旗と共に大量に掲げてあります。
これは完璧に政治選択なんですね、だってカダフィーが来たときリビアの旗とかなかったし。。。
なにがあるのか、というと
今週末Salon du livre(謂わば書籍祭り)というけっこう大きなイベントが開催されているのですが、
なんとフランス政府は今年「建国60周年を記念して」イスラエルを名誉招待客に認定するという大胆な決断をし、シモン・ペレスもサロンに立ち寄るというのです。
これに対してアラブ系の出版社や、アルジェリア、チュニジア、レバノン、イランがボイコットを表明。
過去最大の動員数が見込まれてる今年のサロンも物議を醸しているわけ。
「イスラエル建国」を「祝う」というのは強い政治的立場の表明なわけで、
それを受け入れられない立場の人たちがボイコットという同じく強い反応を選ぶのもわかる。
ただ、せっかくユダヤ系の作家もアラブ系の作家も作品を通して表現しているのに、
せめてサロンが政治の道具ではなく、道具箱であってほしかったと思う。
リベラシオン紙には、Sayed Kashuaという「アラブ系イスラエル人」のヘブライ語作家と、
Bernard-Henri Levyという「ユダヤ系フランス人」の哲学者の対話が載っていました。
アラブ系の人が「イスラエル人」として生きヘブライ語で表現をする、というのはとても難しい。
言語って別に誰の所有物でもなくて、使用者が増えることで自分の分が減るわけじゃない、
むしろいろいろな人が使えば使うほど豊かになる可能性を秘めているのに、
正当化の必要なく好きな言語で表現するということがどうしてこれだけ受け入れられ難いことなのか
って外国語にふれる度によく思う。
政治と文化がここまで密接に関わっているのはフランスならではという気がするけれど、
ユダヤ系もアラブ系も大規模なマイノリティーを抱えている国だけに、
軽視してはならない論議なはず。
2008/03/11
Afrique
というわけで、この際英語だからーとも言ってられないので、覚悟を決めて登録したわけです。
しかーし、この授業毎回リーディングがあるんですね、4,50ページ。
もちろんin English ひぇ~。って当たり前か。いやーでも毎週フラ語で100ページっていうのとどっちが大変だろう。
まー50ページなんて1日で読めるのかもしれないけど、1日で読まなきゃいけないようなことにならないようにしたいものですw
そんなアフリカ漬けの日々ですが、先日は、日仏友好150周年に関連付けて、今年第4回が開催されるTICAD(日本政府主導のアフリカ開発会議)についての講演会を大学でやっていることを教えてもらい、聞いてきました。
前にアフリカの「開発」に関連した講演会に行ったときと共通して「アフリカの声」という立場での発言の中で疑問に感じたことが2つ。
①アフリカの可能性、を述べるときは決まって、豊富な地下資源がキーとなる。
この言説がどうしても、「資源にすがる→紛争→汚職→貧困」という単純化されすぎた公式を浮かび上がらせてしまうように思えてならない。
②ネオコロニアリズムはうんざり!と若干感情的に雄弁を振るう。
これに対して、「フランス側」の発言者、発言の調子が強ければ観客も、「中身のない感情的な発言、これだからアフリカに任せては効率が悪い」という顔をするので、対話は進まない。
もしアフリカの民衆の多くが西欧に対して条件反射的に警戒心を抱くとしたら、どのような協力ができるのだろう。
植民地主義を引きずる西欧が、アフリカ出身の独裁者をどこまで非難できるのか。特にその独裁者がアンチ・西欧を掲げて民衆の支持を得ていたら。
2008/03/08
la neige d'ete
と共同演出をしている作品『夏の雪』を観てきました。
他人の罪を被って処刑された女性の無実を証明するかのように真夏に雪が降りしきる、という中国の古典を上演する、という劇中劇。時代は文化大革命直後の中国で、劇団員の家族が同じく不当な死を遂げるに至るまで、途中から2重のストーリーラインが見事に重なって、美しい作品でした。
主演もク・ナウカの女優だったので、
行く前に見た『奥州安達河原』(これも古典を題材にしていた)を思い出しました。
情熱がなければ芸術は生まれないと思うけれど、
コンセプトのしっかりした芸術ほど共鳴するのではないかと思う。
アヴィニョン行きたいなぁー。
2008/03/05
2nd semestre
違いは、deuxiemeにはtroisieme以降が続くということ。
だから例えばフランスの第二帝政は2nd empireなのに対し、第2共和制は2eme republique.
第二次世界大戦を2ndと言う人と2emeと言う人がいるのはちょっと興味深かったり。。。
というわけで、今週から始まったのは2nd semestre...
つまり泣いても笑ってもこれが私にとってこの留学の最終学期なわけです。
既にいくつか授業があったのですが、手ごたえは充分すぎるくらいw
今学期の大講義+ゼミのセットは2つともシアンスポの得意なEUについて。
EU議員でもある社会党のPierre Moscoviciは、政治家だけあって弁がたつ。
ちなみに彼、有名なpsychologueとpsychanalysteの息子っていうすごい家庭。
私の尊敬する先生の先生の息子っていうのもちょっと気になるところです。。。
他の3コマは全て卒論関係。
実現は難しいかもしれないけれどちょっとした目標も見つかったので、
見えてきたゴールへ向かって=3
2008/03/03
semaine active
ローマ、フィレンツェ、シエナ、ピサを旅行してきました。
2泊3日と短かったので強行スケジュールだったので、
見足りないところはいろいろとあるのですが、(バチカンとかー)
予想外に長く時間を過ごすことになったシエナが一番お気に入りでした♪
ローマ以上に坂がいっぱいあって大変なのですが、城壁の中の街並みがとてもいい。
天気もよかったので、市役所のあるカンポ広場は最高に気持ちがよかった。
帰国翌日、ヴァカンス最終日は、月の第一日曜日=国立美術館はタダ、ということで
オランジュリー美術館へ行ってきました。
ジヴェルニー(モネの庭)に行く約束をしている友だちと一緒だったので、
睡蓮の有名なオランジュリーは下準備♪
360度睡蓮の2部屋も圧倒されるけれど、この美術館は地下にあるPaul Guillaumeという人のコレクションがモネ、ルノワールから、セザンヌ、ピカソ、マティス、ユトリロまで、すごく充実していて見応えたっぷりでした。
ローマでは現在イタリア留学中のフランス人の友だちと、
フィレンツェからは春休み中の大学の友だちと再会し、
美術館はシアンスポの友だちと久しぶりに集まって、
その後さらにパリに遊びにきている大学の後輩と再会、
とにかく常に積もる話が尽きず、いっぱい喋ってなんだか元気になりました。
明日から新学期・・・ちょっと緊張(笑)
2008/02/28
revoir Paris
旅行の合間に、日本から来ている友人や後輩を連れて
パリを周って、改めてパリという街の息吹を感じていました。
しかも3日間で晴れ、曇り、雨のパリを見て、
どれもなんだかすごくパリらしくて、微笑ましかったり。
Marillon Cotillardはアカデミー賞まで受賞して、フランス映画界も万々歳といった感じですが、
昨日見に行った映画“Paris”は、フランス映画らしーい、ディーテルの素敵な映画でした☆
Juliette BinocheとRomain Durisが主演なので、日本でも公開されるといいなー。
パリの雰囲気が絶妙に描かれていて、パリを知ってる人は必見です。
トルコ人は人懐っこいと書いたけれど、
パリ人はおせっかいかも(笑)
友だちを連れて入ったレストランで店員のおじさんが
「そのネックレスかわいいねー」
と褒めてくれたので、
「ありがとうございます」
と言ったら、
「いやーお世辞じゃなくて本当にいいよ。」
と笑顔なおじさん。
「でも、黒い服に合わせたらもっといいね☆」
だそうです(笑) (そのとき私は紺の服を着ていました)
その後もなんとなく会話は続き、私がシアンスポで勉強していることを知ったおじさん
「あそこは入るの大変でしょう」
と言ったあとで、
「でも、最近はバラエティが増えていいよね、アフリカ系でもアラブ系でもいろんな人が入れるようになってきた」
と。レストランのおじさんもシアンスポの“アファーマティブアクション”をちゃんと追っていました。
次の日行ったスーパーでは、新聞を売りにきたおじさんが
「サルコジがついに動いたぞー」
と言うと、側のレジにいたおばさん、
「あら、ついに?動き時だと思ってたのよねー」
と反応。
エリート主義は色濃いし、格差を目の当たりにする日々だけど、
それでも、どこへ行っても政治が身近なのが、この国なのです。
2008/02/26
allahu akbar
2008/02/20
2008/02/19
victoire!!
今週はお休み、
試験中はお休み、
と何かと閉まっていることの多いここの教務課。
メールをしても返事が来た試しがない教務課。
今日は意を決して、早起きして、
そんな問題児教務課に、闘いを挑みに行ってきました(笑)
「試験1週目に今週はお休み」という張り紙があったので、
次の週にもう一度行ったら、
今度は、「試験期間中はお休み」という張り紙に変わっていたので、(張り変えに来るなら窓口開けてくれればいいのにw)
今日行ったら「ヴァカンス中はお休み」って張ってあるんじゃないかと心配してたのですが、
とりあえず開いている模様。
というよりむしろ、来学期だけの留学生が到着したようで、人が溢れていました。
前に書いたように、ここの授業登録はオンラインの早い者勝ち。
最初の10分間、サーバーがダウンしてる間に奇跡的につながった人が登録して20人のクラスが満席になってしまう、なんてことも。
そんなわけで毎回いろんな問題が発生するわけですが、
私は、死守した授業が・・・開講とりやめになってしまったのです。
教務課からメールが送られてきて、リストの中から代わりの授業を1つ選ぶように、
とのことだったのですが、
その中に、私がどうしてもどうしても取りたかったのに、開始10分で満席になってしまっていた
「アフリカと開発」という授業があるではありませんか!!
ただし問題は、登録一番に満席になっていたので諦めて別の授業を同じ時間に入れてしまったこと。
その授業は大講義とゼミの2コマセット、だから変更となるとちょっとややこしい。
でも、本気なら、ここで引いてはダメなのがフランス。
開講とりやめになったのは向こうの責任なのだから、その損失を埋めてもらおうじゃないの!
っていうことで、教務課に説明しに行ったのが12月のこと。。。
「私たちは登録の何日も前から、授業全体のバランスを考えて時間割を何通りも組んで登録しているのに、1つの授業がキャンセルになったからって、代わりに同じ単位数のものを埋めれば済むっていう風にはできてないんです!」
とうったえる(笑)
「じゃ、とりあえずその旨をキャンセルのお知らせを送った担当者にメールで伝えておいて。彼女たち忙しいからすぐに返事はないと思うけど大丈夫よ、3月に新学期が始まるまでまだ時間はあるから!」
と、なんだか適当な窓口。。。
仕方がないので、リストの中から単純に1つの授業を選ぶだけでは済まないこと、大講義+ゼミの変更が必要な事情を説明したうえで、
「この授業は私の将来につながる非常に大切な授業で、この授業を取りに私ははるばる日本から来たんです!キャンセルになった授業もとても楽しみにしていたのに受けられないのは非常に残念ですが、せめてこの授業だけでも受講できることを強く願っております。私がどれだけ一生懸命時間割を組んだか、お察しいただければ幸いです。」
みたいな、めちゃめちゃな、熱ーいメールを送ってみました。
1月中旬のある日、
珍しく教務課からメールが届く。
「あなたの選んだ授業は、既にあなたが登録している別の授業と同じ時間にあるため登録できません」
だーかーらー(苦笑)
再び事情説明、前のメールで大講義の変更が必要なことを説明した旨を書いて返信。
以来、教務課からは一切音沙汰なし。
このままでは面倒な手続きはうやむやになってしまううえ、授業も1つ足りないまま。。。
もう、これは直接乗り込むしかないw
ということで闘いを決意した2月始め。
2週間ほどの閉室に出端をくじかれたものの、
今日やっとのことで、対面が実現したのでした。
「履修登録でちょっと問題があって、メールしたんですけど返事がないんですが・・・」
というと教務課のお姉さん苦笑い。
気を取り直してもう一度事情説明。
すると、
「そうですねー、もう大講義とセットのゼミはほとんど残ってないですよー」
といいつつも、法、社会学・・・と挙げてくれて、結局6限(しかも翌日は1限)というハードな時間割になったものの無事大講義+ゼミを1つ選ぶことに成功。
教務課:「それで、その登録したいっていう授業は何でしたっけ」
私:「アフリカと開発、です」
教務課:「あら、その授業はもう満席ですよ」
な、何のために大講義一生懸命変更したんだ・・・
私:「そうなんですか?!でも私がもらったリストには入ってたんですけど」(返事くれなかったのはあなたがたです、その間になくなったとは言わせません!)
教務課:「うーん。。。ちょっと確認してきます」
奥の部屋で事情を説明するお姉さん。数人が何やらコメントしている模様。
しばらくして、戻ってくると、
「同僚の人があなたのために、努力して、なんとかしてくれるって」
というわけで、なんとか、してもらいました!
さっき確認のメールももらって、大満足です。っていうか努力すれば満席の授業に空きができるんですね笑
この国では、交渉無しには何事も進みませんが、交渉次第でかなりのことが可能になるということです。
2008/02/16
maitre du temps
前半はゆっくりしたかったのであまり予定を入れず。
それでも1日30分くらいは歩かないと、せっかく日も長くなったことだし、
というわけで本を片手にふっと散歩に出て、カフェによってエスプレッソ1杯で1時間くらい読書して帰る、という贅沢な暮らしをしています♪
でも私学校大好き子なんだよねー(笑)
フランスは生き急がない感じが好き、と書いたけれど、
こう、時間に対して自分があまりにも中心的に、主語となるのは不慣れで。
とはいえ旅行中はまた時間に追われることになるだろうな。
でもヨーロッパはどこに行くのもわりと近いのがいい。
私の夢は世界一周ですが(笑)
旅行といえば、先日2年前にシアンスポに留学していた先輩と会ってきました。
卒業前に大旅行をしていて、ギリシアあたりからヨーロッパをずっと北西に進んでアイスランドまで行った後、日本に冬服を置いて南半球に行くそう。。。
ちなみに5年前の先輩はENAに留学中でパリにいて、みんなで会ったのですが、
ここに留学していた先輩方はみんな活発。
私も見習おうっとエネルギーをもらいました☆
2008/02/14
St.Valentine
朝から天気もよく、
マレ地区に行った帰りにふらっと立ち寄った教会で、
遠く離れた人たちに思いを馳せてきました。
22年間近くや遠くで私を支えてきてくれた人たち。
そして地球の反対側で、まだ出会っていないたくさんの人たちに。
22年目の感謝が一人ひとりの小さな幸せとなって届きますように。
そして私は1年の重みをしっかり受け止められるように、また一歩踏み出します。
日本ではよく誕生日特権で女の子の友だちが一番に手作りのチョコレート菓子をくれましたが、
こっちでは、男の子の友だちがバラを買ってくれました!
仲のいい友だちにサプライズパーティーまでしてもらって
家に帰ると・・・お隣さんの玄関先にこんなものが。
2008/02/11
petit printemps♪
2008/02/10
partiel
私は試験は終わったのですが、partiel(後者の方)に行ってきたわけです。
学校自体はまだ試験期間中だったこともあり、ほぼソロ状態w
というわけで、指揮者としっかりインタラクションのできる充実した練習となりました♪
ヒンデミット(20世紀のドイツの作曲家)の曲をやっているのですが、
不協和音が美しい。
ジョージ5世の追悼のために作られた曲とかで、
「感情と思考の間」を表現した、エネルギッシュなピアニッシモが見事。
まぁその分難しいのだけど、勉強しがいがあります。
夜は試験勉強の気分転換(って私だけ一足先にヴァカンスでしたがw)を兼ねて












