今日は授業納め。年内に、と先生に面談していただく。
論文の下書きを先生に見せて、ダメだししてもらうとやる気がでるもの。
というわけで、先生方、先輩方からのアドバイスと自分の実感から、
執筆の道標を記録しておくことにします。
・行き詰まったら、初心に帰って、一次資料にあたる。
さらには、もっと根本の情熱を再認するのも原動力になる。
・読んだ量がけっこうものをいう。
やっぱり急がば回れで、いかに着実に蓄積できるかが論の厚みになる。
何をしていいかわからなかったら、とにかく読むこと。
・もやもやしてきたら、とりあえずブレイン・ストーミング。
・ある程度形になってきたら、一度突き放す。
客観的に何が足りないかをどんどん挙げていく。
・最後にキーワードで流れを追えるような縦のラインをつなぐと筋が通った論文になる。
論文書くのって料理をつくるのに似てると思うのだけど、
料理器具の質も多少は出来に関係してくる。
私の使ってる器具はあまりいいものではないかもしれない。
とはいえ、器具の質も高すぎると私には使いこなせないものもある。
材料はちょっと足りないものもあるけど、比較的いいものを揃えられたかなという感じ。
あとは私の腕次第。
今あるもので可能な最高の出来を目指さなくては。
細かいところをどこまで丁寧に扱えるか、が勝負ですかね。
☆☆☆
久しぶりに近くの教会でクリスマスのミサに預かって、
いつも私のために祈ってくれる人のために祈ってきました。
私は信者ではないけれど、カトリックだった中高で習った印象的な話があります。
“『足あと』のプリント”と私たちは呼んでいたもので、苦しいときに思い出しなさい、と言われていました。
人生を振り返ったときに2種類の足あとが刻まれている、
1つは自分の歩んできたもの、もう1つは神さまのもの。
ところが足あとが1種類しかない時期がある。思えばそれは自分が一番苦しかったときである。
そこで「なぜあんなに苦しかったときに、あなたは私の側にいてくれなかったのか」と神さまに聞くと、
その足あとは、苦しい自分を背負って歩いていた神さまのものだという答えが返ってくるという話。
つまり、苦しいときもあなたは決して一人じゃありませんということ。
すごくキリスト教的だけど、救いに満ちてるなあと思うのだ。
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