2008/05/31
conferences
日本にいるときよりも自由な時間があるというのもあるけれど、
学生が企画する講演も多いから、全体数も圧倒的に多い気がする。
この間はアフリカにおける言語政策についての講演をやっていたので
久しぶりに行ってきました。
“政治中立性”が気になっていたUNESCOの少数言語保護論も聞けたし
政策の思想への影響という点で卒論で考えようとしていることともつながったりして、
なかなか面白かったな。
質疑応答の時間になって、
「私はこう見えてもセネガル人です」と切り出した白人のセネガル人が
“oublier sa langue natale, c'est se déraciner"とサンゴールを引用しだすし。
(サンゴールというのはセネガルの初代大統領で詩人だった人で私は彼の政治思想を卒論で扱おうと思っているのです・・・サンゴールっていうとフランス人はだいたい知ってるけど、フランス人以外はだいたい顔に?を浮かべるんだけど、彼の知名度はどれほどなんだろう。セゼールの方が有名なのかな。)
印象に残ったのは、
(多言語教育が確立していないことによって)近代というものが外国語(旧宗主国の言語)を通して伝わることになり、近代の異質性(étrangeté)が強調されるという話。
アジアが反証として挙げられていたんですが、近代の概念が翻訳語である日本語はどうなんだろうとか考えながら聞いていたわけです。
それにしてもアジア系の学生は別に珍しいわけではないのに、
こういうトピックの講演会に行くとアジア人はだいたい私のみ。
早稲田でアフリカ研究専門の片岡先生が講演したときに、
外務省からENA(国立行政学院)に留学中(!)の先輩に会ったくらいかも。
それに加えて学部生もレアなことがけっこう多いので、
講演後よくあるビュッフェというのはいつもパスしてきたのだけど、
今回初めて、思い切ってちょっとだけ行ってみることにしました。
もう講演会に行く機会も残り少ないだろうし。
で、初対面の人たちと講演会の続きを話すことに成功。
しかも!アフリカ料理を無料で楽しみました;p (学生一人暮らしに優しい)
留学生だから、と思うと開き直れる、
最後だから、と思うと勇気がでる、
それで後悔することってあんまりないんじゃないかな。
2008/05/29
concert
BDAという、学校の芸術活動を総括している学生組織が中心になって、
いろいろな催しが行われています。
その一環で私の入ってるオーケストラのコンサートもありました。
ただこの組織(も)計画性にいろいろと問題があって、
そもそもこの芸術週間自体1ヶ月くらい前にやる予定だったのがけっこう突然キャンセルされて今月になったりしていたのですが、
コンサートの数日前になって、コンサートマスターから衝撃のメールが周りました。
「大講堂がダブル・ブッキングされているらしい。なんでもMarcel Gauchet(社会科学高等研究院EHESSの院長をしている哲学者)が講演に来るらしく、当然シアンスポはクラシックコンサートを優先するわけないよね。ってことはコンサート会場がないってこと。ちなみにBDAはこの事実を昨日知ったばかりらしい。」
本当はコンサートは学校のメイン校舎にある、一番大きな講堂でできる予定だったのが、
こうして突然一方的に使えなくなったことを知らされたわけです。
オーケストラのメンバーはBDAと関係がすごく近いわけでもなければ、完全に独立した団体でもなく、
間を取り持つ数人のグループが存在するという微妙な立場。
だからBDAはオケの活動に熱心なわけではないし、
一方でオケのBDAの企画に対する不満も伝わらない。
でも、本番の数日前に会場をキャンセルされるなんて、失礼極まりない。
コンマスのメールに対して、仲介グループのメンバーでかつオケにも所属している一人が
「今BDAで代わりの部屋(別館の講堂かどこかの教室?)を探してるから、確定するまで報告は待とうと思っていたのだけど。まぁ、大事なのはコンサートすることで、場所じゃない。個人的にはトイレでも弾くよ!」と反応していたのだけど、
2通のメールを立て続けに読んで、
それは残念、では済まないだろう、と思った私。
「コンサートをすること自体に意味はあるかもしれない。でもコンサートは観客に聴いてもらうためのものだということは忘れちゃいけないと思う。大講堂以外のところでやれば当然観客は減るし(別館なんて特に)Marcel Gauchetの講演とかぶってるならなおさらシアンスポの学生は来なくなる。BDAのことは何も知らないからなぜこんな事態が発生したのかわからないけど、演奏する1人として、今回のことを大したことないとはとても言えない。そもそも私たちは大講堂の使用権を得ていたはずで、それを講演会に譲れというなら、せめてその代償となるようなことをBDAが用意するべきじゃないか(もちろん実現可能性の問題もあるし、オケ全体がどう思うかにもよるけれど、例えば別の日に大講堂を使えるようにするとか)私はこのあと1ヶ月でこのオケからいなくなるから、みんなよりこの演奏会に思い入れがあるのかもしれないけれど―」
というような旨のメールをメンバーに思い切って送信しました。
こんなこと、このオケじゃなかったらできなかっただろうと思うけれど、
1年もいなかった留学生の身で、とか、単なる1人の意見にすぎない、とかよりも
たった20人のオケでも私はその20分の1でも占めているんだから、
思ったこと言ってみてもいいなって思えたんですよね。
そしたら、みんなちゃんと反応してくれたのでした。
結局学校の近くの教会を借りることになって無事コンサートは終わったのだけど、
何よりオケのメンバーが口々に「あのメールはよかった!」とか「まったく言う通りだよ。」とか言ってくれて、校内ですれ違うときの挨拶も心なしか距離が縮まった気がしてそれが大きな成果だと思う。
特にオーケストラに関しては、来た頃かなり悩んだ(最初は他大学と一緒のもっと大きなオケに入っていて冬頃にシアンスポのオケに変えた)だけあって、手ごたえは大きかったのかも。
「またある(revenir=re+come)とは絶対に思ってはいけない。その代わりこの瞬間を経験できたことを喜ぶべきだ。」
と指揮者が言ってたのが妙に響きます。
2008/05/26
fontainebleau
最近はやり残しがないようにと考えるようになった。
そんなわけで、週末を利用してフォンテーヌブローのお城に行ってきました♪
12世紀に建てられたお城はフランソワ1世、アンリ4世からルイ16世、ナポレオンに至るまで代々フランスの君主が住んだために改築・増築が重ねられていて、歴史の流れを読み取れるのが面白い。
ナポレオンが毒殺されるのを恐れて鍵をかけられるようにした調味料を入れる箱 (上)
ナポレオンの息子(若くして亡くなった)のためのおもちゃ(しっかりトリコロール笑) (下)
前日は予定していたピクニックが中止になるくらい、1日中雨が降っていたのだけど、
日曜は天気もよくて、お城の広い庭を散歩するのも(ヴェルサイユの庭よりも人の手が入っていない感じも加えて)気持ちよかった。
朝から行って午後は庭でのんびりしながら1日フォンテーヌブローで過ごしたのですが、
なんだか不思議な出会いもあって楽しい1日でした☆
まず朝フォンテーヌブローの駅についてお城まで行くバスに乗ろうとしていると、
中国人夫婦に話しかけられる。
「お城まで行きたいんだけど、どの道を行ったらいいかわかるかしら?」
「バスがお城まで通っているということしかわからないんですが・・・私たちもバスに乗ろうと思っていて」
「あら、あなたたちもお城まで行くの?じゃ、私たちもついていくわ。」
ということで、お城まで一緒だったわけですが、彼女がかなり積極的。
「私たちフランス語わからないから、道を聞いても大変なのよね。どこって何て言うの?」
「右は?」「左は?」「まっすぐは?」と質問攻めw
「往復チケットってあるかしら?往復の方が安かったらそれ買ったらいいわよね?」
「私たちが買うときに運転手さんに聞いてみますね」
「あ、ついでに終バスの時間も聞いてもらえる?」
という具合でかなりしっかりしていらっしゃる。バスを降りてからまず立ち寄った観光局でも彼女がバスの時刻表を頼んだあと、みんな同じものをもらってました(笑)
どうやらご夫婦ともケンブリッジのvisiting professorらしい。
「日本人なの?私たち日本にも1年いたのよ・・・日本語も少し話せます。もう大分忘れちゃいましたけど。」って十分お上手です。。。
バスの中でも、地元の人がお城まではあと2駅だよって教えてくれたあと、
「フランス語で1,2,3は?」
「4は?5は?6,7・・・10」と一気に聞かれたその好奇心に圧倒される。
実は彼女の喋り方が同じく超アクティブなタイの知り合い(Sue!)に似ていて懐かしかったり。
ちなみにご夫婦かなり時間をかけてじっくり見学されてました。
もう1つは帰りがけ。駅に戻って帰りの電車の切符を買おうと券売機(といっても1台のみ。。。)に並んでいるとどうやら故障した模様w
もう少し奥には、カードでの支払いが故障していて、コインでしか払えない機械が、誰にも使われずに立っている。(というのもパリ行きの切符は7ユーロちょっとで、5ユーロからお札が存在するため、それだけコインを持っている人というのもなかなかいないわけ)
でもバスの発着時間はパリ行きの電車の時間に合わせてあるので発車時刻まであと10分くらい。
=みんな焦る。怒る。文句を言う。
そんな中、後ろに並んでいた紳士と会話が始まる(笑)
「日本人なの?私日本には10年住んでたんだ。松涛に住んで赤坂で働いてたんだよ。」
(!!!)
フォンテーヌブローで松涛という単語を聞くとは思わなかったw
彼はメリルリンチにお勤めらしいです。
私たちが切符を買い終えてホームに行くともう電車は来ていて、なんとか間に合ったのだけど、どうも彼はタッチの差で間に合わなかったのではないかと思われてフランスのインフラの弱さと効率を追求しない姿勢(笑)がちょっと悔やまれたのでした。
2008/05/23
hierarchie
その中で1937年にパリで開かれた万博について触れたのを機に、
先生が「各国のパビリオンが集まっていたトロカデロ広場に行って感じたことを発表しなさい」という変わった宿題を出されました。
実はトロカデロ広場ってエッフェル塔が一番よく見える場所な気がするんですが、
クラスの1人がエッフェル塔はフランス社会のヒエラルキーを象徴していると発言。
それに対してフランス人学生がすかさず反論、
「私はフランス社会が階級性だとは思わない。私たちの社会はむしろ平等主義だ」
と言うと、クラス中の留学生たちが(特にこのクラスは偶然にもけっこう留学生が多い)いっせいに
リアクションを始め、フランス人学生 vs 留学生という議論が始まったのです。
こっちの授業でディスカッションがあっても、こんなにクラスみんなが争って発言しようとすることなんて実はかなり珍しいこと。
つい先日大家さんと立ち話をしていて、マダムのお父様はシアンスポ出身の国務院勤務(=政治家)で、シアンスポの目の前に住み、
家には「女中」がいて何から何までやってくれていたのでマダムは結婚するまで卵のゆで方すら知らなかったという。そんなマダムの結婚相手はやはりシアンスポ出の貴族。友だちも16区に住む貴族。。。
そんな話を聞いたばかりだったから余計に、
「フランス社会は平等主義」
はないだろう、と思ったけれど、
というか、フランス人学生が本気で平等主義と信じていることに私はちょっと耳を疑いましたが、
同時にグラン・ゼコールのエリート再生産システムを真に垣間見た感じがしました。彼女の育った世界は、ものすごく均質な、“平等”な世界なわけで。。。
確かにシアンスポは優先学区と提携した特別入試を実施したりしていて、
これは実質アファーマティブアクションと言われているくらいだから不平等是正の努力をしている方なのだろうけれど、本当はこの制度うまく根付いていないと私は思う。
シアンスポ側は、「これはレベルに達していなくても定数を設けて特定のカテゴリーの人の入学を許可するといったアファーマティブアクションのシステムではなく、入学生の多様化を図る政策だ」としているのに、実際「正規」の試験を受けて競争を勝ち抜いてきた優等生たちの中には、
この特別入試合格者を極端に言えば「自分より能力が低いのに楽して入ってきた」というような見方が残っているし、理解を示さない先生もいる。
そして結局シアンスポ側もせっかく入学生の多様化を図っても、それを均質化する教育に熱心で、
皮肉な言い方をすれば、まるで「かわいそうに郊外に育ってしまったけれどここへくれば大丈夫、16区出身みたいに見えるようになるから」とでも言いたいような、それじゃまったく多様性を認めてないじゃんという感じなのだ。
とはいえ、この制度導入に踏み切ることができただけでも大きな変化ではある。
メンタリティーが変化するのはきっとものすごく時間のかかることだから。
先生が“la bataille n'est pas encore gagné, mais elle n'est pas perdue non plus."
(闘いは終わっていないけれど、まだ勝つ余地はある)と仰っていた通り、まだ闘いは続くのです。
2008/05/20
nuit des musees
2008/05/17
Amartya Sen
学校から1通のメールが来ている・・・開封してみると小さな案内。
明日の講演会のお知らせ。14時45分からAmartya Sen教授による特別講演会。
!!!
一瞬目を疑いましたが、ノーベル経済学者、コンテンポラリーの偉大な哲学者、Amartya Senが講演に来る!という突然のお知らせw
テーマはtheories of justice.
テーマからも連想されるジョン・ロールズの著書"A Theory of Justice"やカントに見られる
倫理的判断における正義の中心性、さらにその単一性の批判というのがメインポイント。
なかなか消化するのに時間がかかっていますが、
一番印象に残っているのはright decisionというのは必ずしもbest decisionではないという話。
でも何かを正しいと判断することは、他のものを正しくないと切り捨てることになるわけで、
正義っていうのは自己主張の盾にすぎないのではないかってちょっと疑問。
そういえばセンはbelieveという単語を使っていたけれど、正義は信仰なのだ。
2008/05/14
presse
といっても試験を除けば授業ももうあと1ヶ月なんだなぁ。
休講が続いたりしたために、ちょっと課題が重なっているのですが、
最近は偶然にも、時事問題を扱う発表が3連続。
revue de presseというこの種の課題、この学校では10分exposé(プレゼン)に続いてよく与えられます。授業や先生によって違うのだけど、概ね担当の週にあった出来事を、複数の情報源をもとに分析するというもの。
政治学院の学生たる者、世界情勢は常に追いなさい、というのと、
メディアに対して批判的な視点を持ち、1つの出来事を複眼的に捉える癖をつけなさい、という学校方針を実践するのにぴったりな課題というわけです。
実際、ソースはかなり充実してるんだよね。
まず朝早く(1限の終わる10時までに)学校に行くと、エントランスに複数の新聞が山積みになっていて、自由に持ち帰ることができる。
私はだいたいここで、ル・モンド(中道左派?)リベラシオン(左派)フィガロ(右派)の3種類をゲット。
ちなみにル・モンドが一番早くなくなります。(但したぶん置いてる量はフィガロが一番多い)
他にもfinancial timesとかもあったり。
さらに図書館の1室がニュースルームになっていて、そこには雑誌や、以前に書いたテーマごとに記事をまとめたファイル、さらに各国の新聞が蓄積されていて自由に閲覧できるようになっている。
こっちは新聞を「定期購読」するという習慣が日本に比べて少ないのですが、
この2つのシステムのお陰でシアンスポの学生はばっちりサポートされてるのです。
そもそもこっちの新聞は(テレビも!)少なくとも当日はほとんどの部分をネットで入手できるのも学生一人暮らしにはありがたいところ。
そういえば日本でも最近3社の記事を比べるサイトができたお陰でかなり見られるようになりましたが。
それにしても、そうやって読み比べていると、記事にいかに新聞社の色が出ているかに改めて驚かされたりもします。右派左派の読み比べもそうだけど、例えば同じヨーロッパ内でも国の立場によって捉え方はかなり変わるわけで。
アフリカの時事問題を発表するにあたって、ル・モンドで『ジブチ/エリトリア 国境紛争の危機』というような記事をみつけたので、他の情報源を探していたら、
なんとAFP通信の出した「事実」とされる内容自体を否定する情報もあることが判明。
エリトリアが国境を越えてジブチに侵入したとして、ジブチがエリトリアを非難するところから始まるのですが、エリトリア側は侵入の事実すら否認しているのです。
実際エリトリアがジブチに侵入するインセンティブはあまりない。
というわけで、これはジブチの策略だ、という話も挙がっているわけなのですが、
フランスはジブチの旧宗主国で、ジブチに基地も持っているため、この対立では恐らくジブチ側。
AFP通信とはいえ、決してニュートラルではなく、ジブチ側の情報源をもとにしていること自体が既にフランスという国の立場をとっていることになるのでした。
相対化って難しい。。。
2008/05/11
Linnea in Monet's garden
とはいえ学期も後半に入り、課題も増えてきたため、連休!というわけにはいかなかったのですが、
パリから日帰りできる位置にあると知って、今回の滞在中に行きたいところリストに真っ先に載ったのでした。
4月中旬までの長かった冬が嘘のように、最近は夏のように晴れ渡っているので、お昼は木陰でピクニックというのも気持ちいい。
2008/05/08
Joyeux anniversaire
2008/05/04
apres-midi a la française
5年前に私の気に入ったのは、フランスの小さな町(注:≠田舎w)の
このリズム、この生き方だった。
そんな様子が垣間見れる、ある午後の過ごし方を紹介します。
その日は、高校の担任(国語の先生)と再会することになっていました。
お昼ご飯に連れて行ってくれるというので、高校の駐車場で再会すると、
「夫も合流していいかしら。もう長いことあなたの噂を耳にしてるものだから。」
とおっしゃる。
こうやって夫婦やカップルを始め、友だち同士でも、
「友だちの友だちは友だち」といった具合に「紹介」することはこっちではよくあること。
この、人の距離感が私はけっこう好き。
そんなわけで、先生夫婦とレストランでお食事。
食事のあと何をするか、という話になる。
「どこか行きたいところはない?」
ホストファミリーのところに行ってもそうだけど、午後は何する、という話になると、
だいたい、どこかへ行く、という発想になる。
ヴァカンスでも地元を離れて、遠くへ行くことで完全なる非日常を満喫するという傾向にあるのと
共通しているのかわからないけれど、
違う町へ行ってみて散歩するというのはちょっとした空き時間の過ごし方みたい。
しかし、そんなわけだからこの町の近郊はけっこう行きつくしているんですよね。
ご夫婦で挙げてくれた候補が次々と却下されていき
すでに3時をまわっていてちょっと遠いかしら、でもせっかくだから、
と、修道院の有名な、クリュニーに連れて行ってくださることになりました。
そんな決定を下したときは、朝からの悪天候も和らいで、日も差していたのです・・・
が、車を走らせているうちに、どう見ても進行方向に黒い雲が待っている。。
と、案の定大粒の雨が降り出し、
到着するころには土砂降り。仕舞いにはj雷は鳴るわ、あられまで振り出す始末。
ずぶぬれになりに外に出て行くのも馬鹿げた話だから、としばらく車内で雨宿りすることに。
そんな車内の会話はいつの間にか日本の話に。
「私たち日本語を勉強する努力はまだしてないけど、ちょっとした基礎はあると思うんだ。」
といって、知ってる日本語を1つずつ挙げていくご夫婦(笑)
さようなら、ありがとう、から始まって、
「タタミ!」
「フトン!」
「キモノ!」
「オビ!」
「ブシドー!」
「カミカゼ(苦笑)」
「あーあれ、なんだっけ、あの紙折るの・・・オリガミ!」
「イケバナ!」
とけっこう出てくる。
フランス語を始めて習ったときにやった「どれがフランス語でしょうクイズ」を
思い出したのだけど、日本語に輸入されているフランス語(ア・ラ・カルトとかカフェオレとか)と同じくらいフランス語化された日本語もあるのかもしれない。
待つこと15分くらい。少し雨足も弱まったので、傘を手に外へ行ってみることに。
16時43分修道院着。
「受付は終了したわよ。」
「・・・だって修道院18時まで開いてるんじゃ。。。」
「1周1時間以上かかるから、受付は16時40分で終わり、書いてあるでしょ?」
所要時間1時間15分と書いてある。?!それなら、16時45分でいいじゃん。今45分じゃん。入れてよ。
微妙な5分の空白。これも、フランスらしい。。。
しかし、ここで引き下がらない先生も、やはりフランス。
「急いで5分前に入った人に追いつくから、大丈夫でしょう?ここにいる子は日本からわざわざ(嘘)来たのよ!お願い、入れてちょうだいよ。」
「申し訳ないけど、レジはもう閉めちゃったから無理です。」(帰宅時間は一刻を争うw)
仕方ないので、外側からだけでも見ながら雨のあがりつつある町を散歩することに。
と、歩いているうちに、修院の出口を発見。
なんと、出口から中に侵入できてしまいました。。
まーすぐに係員が注意しに来たのですが、先生再び、
「受付で、たった5分のために拒否されちゃったんだけど、この子東京からわざわざ来てるからどうしてもどうしても見せたいのよ。」
と誇張した訴えをなさる(笑)
「お気持ちはわかりますけど、規則なんです。」
「東京よ、こんなに遠くから来たのに、もったいないでしょ?彼女明日には帰っちゃうんだから。」(せ、せんせいw)
「じゃーこの1部屋だけ見たら、戻ってきてくださいよ。」
と、訴えが見事成功して、恐らく一番見応えのある、柱頭の残っている部屋を見学できることに。
(この柱頭の周りを巡礼者が祈りながらまわったとか。屋根は船と同じ仕組みで建ててあり、当時としては画期的な建築だったよう)「許可してもらったんだから、しっかり見なきゃね」
ということで見学したあと、修院の一部を使っている美術学校の中庭へ。
(嘘のように晴れた空、でもよく見ると水溜りが。。。)ここから学校の中を通って外に出られるんじゃないかと、歩きまわっていると、
見学路の続きを発見w
そこから“もぐり”見学が始まりました。。。全て進路を逆行しながら、全過程を見事見学。
「私たち、68年時代の産物だから反抗的なの(笑)」とご夫婦。
お陰で忘れられない午後となったのでした。
2008/05/01
muguet

でも気になる。
ケルト暦の新年だったり・・・。
そんな春のお祝いで、あるとき幸運をもたらすというスズランを贈られたシャルル9世が、
翌年から宮廷の女性たちにも同様にスズランを贈るようにしたのが始まりだとか。
ただし今日のような広がりを見せたのはやはりメーデーができてから。
財政難の労組が、この習慣を使ってスズランを売ることで乗り切ったことで、毎年恒例行事になっていったみたい。
自分で摘んできたものだったら誰でも売っていいので、
この日は小さい子が道端で花束を売ってる姿もみかけます。
ちなみに、スズランって原産国は日本なんだよね。





