訓練していないと感覚はすぐに鈍ってしまう。
という法則はいろんなことに当てはまると思うけど、最近これをよく痛感します。
たとえば言語なんかはその最たる例ですね。
というわけで、ちょっとご無沙汰してたrfi(radio france internationale)にアクセスして
ニュースを聞くことにする。
ところが、なぜかリアルタイムでも収録でもニュースの代わりに音楽ばかり流れてくる。
ニュースのフランス語を頭に注入したかったのに。
とてもじゃないけど、ポップミュージック聞く気分じゃないのに。
ってことで必死に他のサイトを漁る。たとえばfrance culture.
で、耳に飛び込んできたのは、フランス国営テレビとラジオ局のストライキのニュース。
国営といってもNHKと違って広告のスポンサーを受けてるのだけど、
それを廃止するという法案に反対してのこと。
そういえば、この件に関しては私がフランスにいたころから随分問題になってました。
で、もうピンと来た人もいると思うけど、rfiは国営ラジオ局。
だからストライキでニュースの枠に音楽を流していたのだと思われます。
日本にいながらにして、ちょっとだけフランス恒例(笑)ストの雰囲気を久しぶりに味わった気分。
さて、慣れってこわいのもう1つはガラっと変わって同時多発テロのこと。
テロという言葉を耳にする回数は9.11以降圧倒的に増えたんじゃないだろうか。
9.11の衝撃は大きかった。
でも以後なんというか、テロという言葉が蔓延してるような気すらする。
明らかに、今日聞いた同時多発テロという響きは、7年前に聞いたのとは違う響きを持っていた。
ある言葉が普及、あるいは蔓延して、やがて潮流が生まれる。
これはちょっとこわいことでもある。
言葉は潮流の中で飲み込まれてしまうかもしれないし、
あるいは潮流に押されて本来以上の力を持つこともあるかもしれない。
①今回のムンバイでのテロと7年前の9.11のテロはまったく違う性質のものかもしれないということ。
②しかし一方で、人々の死傷という事実に変わりはないということ。
③いずれにせよ、比較しえない。
この③がけっこう重要で、何人しか死んでないとか、さらには「いい人だったのにかわいそう」とか、
そういう発言はものすごくひっかかるのです。
規模がどのくらいであろうが、亡くなったのがどんな悪人だろうが、
1つの死は1つの死で絶対的なものであり、それは決して比較という行為の対象たりえないものだと思う。
世界といちいち向き合うためにも
感覚を常に鍛えておかなくては。
2 件のコメント:
france cultureは時々聞いてるわ
公共放送改革法案はびっくりだよね
そんな手もあるのか・・・という感じだけど
あまり詳しく分かってないので解説Quivonneです。笑
>1つの死は1つの死で絶対的なものであり、それは決して比較という行為の対象たりえないものだと思う。
というのはすごく同感。
テロという言葉の蔓延はそれを忘れるためにあるような気さえしてしまう。
テロという言葉は、それだけで敵対するものに対する暴力を正当化する言葉だから怖いよね
高橋源一郎も『ニッポンの小説 百年の孤独』の冒頭で「テロ」と「言葉」の関係について論じていて
文学者はやはりすごいなあと思った。まだ立ち読み斜め読みなんですが。
>ikuさん
コメント遅くなっちゃってごめんなさい!公共放送改革法案については実は私もあんまり詳しくないんですが、一応「脱視聴率追求主義」を意図してるということなので、「文化は市場原理の適用外だ」という"exception culturelle"の理念に則るということなんでしょうかね。公共放送の広告を廃止することによる民放への広告の呼び込みが狙い(サルコジと民放との癒着?)という批判があるみたいですが。実際改革に際して民放では、今まで映画放送中には1回しか認められなかったCM中断が2回できるようになったりもするらしいですし。っていうか今まで1回しか中断してなかったのか、さすが文化大国、とか私は思っちゃいますけど、政府による文化の擁護ってすごくフランス的ですよね。この法案の中で個人的にもっとも懸念すべきは、公共放送フランス・テレビジョンの社長の任命権を政府が得る点だと思いますが。。。
…長くなりました。
「テロ」という言葉も、「テロとの戦い」という表現も、こわいですね。。
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