といっても、市内からメトロで一本なのだけど、終点近くまで行くと、
そこはサン・ドニ。
パリというのは行政単位としては県にあたるもので、
パリのあるイル・ド・フランス地方は、
パリを囲む3県の近郊と、さらに外側の4県、併せて8つの県から構成されていて、
サン・ドニはその近郊のひとつ、セーヌ・サン・ドニ県のなかでも一番大きな町。
パリ第八大学もここにあります。
・・・でも今日は大学じゃなくて、教会に行ってきました。
聖ドニというのは、例の、斬首されたモンマルトルから自分の首を持って歩き続けたという逸話の聖人で、その彼が息絶えた地に建てられたというのがサン・ドニ大聖堂。
メロヴィング朝のダゴベルト王の庇護を受けて以降、
併設された修道院も、特に中世の間はベネディクト派の有力な修道会として名声をあげたり、
フランス歴代の王が埋葬されていたり、(ルイ14世の心臓まで展示されていました・・・)
政治的にかなりの要所といえるようです。
建築的には、というかこれも政治的といえるのかもしれないけど、
12世紀に院長となったシュジェールが大改築を行って、初代ゴシック様式といわれる
技術をたくさん取り入れたことでも知られています。
なかでもやはり光の殿堂を築いたといわれるだけあって、
バラ窓をはじめとするステンドグラスは圧巻。

ちなみにシュジェールはルイ7世の摂政もつとめていて、パリのノートルダム大聖堂の改築も手がけたらしいので、初期のゴシックを定着させた人物といえるのでしょうか。
教会って政治と宗教の結びつきをまさに具現化したような場なんだなぁと感じる空間でした。
そしてもちろん、歴史も。
シュジェール自身、歴史家という肩書きも持っていることからもわかるように、
「公定フランス史」というのは修道院から出てくるわけだし。
でも、それだけではなくて、たとえば時代ごとの埋葬の仕方の変遷をたどっていくだけでも
その時代のいろんなことがもっと見えてくるのではないかという気がしました。
そうそう、14世紀ごろの墓石にはよく動物(だいたい犬、獅子みたいなのも)が
死者の横臥彫像(gisant)の側に置かれている(あるいは死者が足をのせている)のだけど、
どういう意味があるのか、誰かご存知の方、教えてください。
それにしても、これだけのところだから当然、フランス革命の標的になって、
大分破壊されてしまうのですが、
19世紀には修復されていて、個人的にはルイ16世とマリー・アントワネットの拝跪彫像(priant)まで復興(?)されていたのが印象的でした。
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