日本大使館から電話がかかってきた。
2ヶ月前に申請した在外投票のための選挙人登録が完了したという知らせだった。
「通常ですと、こちらの負担で、書留で選挙人証をお送りすることができるのですが、
今回は、数日後に衆議院選挙が公示となりまして、翌日から在外投票がはじまります。
もし大使館にお越しいただいて投票なさるということでしたら、こちらで選挙人証をお預かりしまして、
お越しいただいた際にお受け渡しと、その後の投票の手続きをそのまま続けて行うことも可能ですが、いかがいたしましょうか。」
その丁寧さと、行き届いた配慮に感心してしまった(笑)
フランスにあっても日本大使館は間違いなく日本である。
フランスだったらたぶん機械的に郵送にまわされ、郵送に時間がかかり、届いたころには在外投票は締め切られていて、もっと早く申請しないあなたがわるい、ということになるだろう。
あるいは届かないから連絡したら、できてたのに、取りに来ないあなたがわるい、というところだろうか・・・
顧客=私のタイミングに合わせようという発想。
二度手間をさせないという配慮。
行くたびに新しい要求を持ち出して、
前の担当者には要求されなかったというと、前の担当者は私ではないといい、
電話で確認しようとすると、窓口の担当者がなんて言うかは知らないけどね、といい、
おかげでかれこれ5回も滞在許可証の更新手続きのために通っているフランス警察庁にはどちらも完全に欠如しています。
ビザ発行条件のひとつに違いないこの忠誠心審査 クリアまであと1回くらいかな、というところで、「次回は○○と××と証明写真を3枚持ってきなさい。」と言われた。
更新手続きに必要な書類のリストのなかには、証明写真3枚とある。
しかし、すでに3枚提出したうちの1枚は受取証という滞在許可証発行までの間の仮証明のような書類に貼って、残りの2枚を返却されたばかりだった。
そうか、もう1枚用意しなきゃいけないのか。
幸いもう1枚証明写真が手元に残っていたので、あわせて3枚にして、他の書類と共に次の回に持っていったら、案の定、というべきか、その1枚は返却された。
つまり2枚しかいらなかったので、もう1枚追加する必要などなかったのだ。
前回受取証に使用した1枚とあわせて合計3枚。必要書類リストの通りである。
さて、このブログの読者なら、ここまで読んで、フランス生活あるあるだなと思ったに違いない。
ええ、私もそう思いました。
必要書類リストには証明写真3枚。
受取証を発行した人には残り2枚。
こんなことマニュアル化してしまえば済む話じゃん。
そこで私はふと気づいたのです。マニュアル化、しないのがフランスなのかもしれない、と。
前の担当者は私じゃない(から知らない、責任とらない、私は悪くない・・・)というくらいだから
文字通り人によって対応はさまざま。
でもたしかに対応しているのは人なのだ。
顧客を前に、対応者が制度の背後に存在を消すということはフランスではまずありえない。
だからこそ、これでもかというくらいに、等身大の個人が存在している。
それは暑苦しく、労力のいる社会である。
そりゃそうだ、制度というのは、未知なものを既知化していくためのルールなのだから、
未知の世界は刺激が多く、消耗するものである。
でも制度化が過度に進行すると、それは息苦しい。
行き場がないから、結局存在を消すことになる。
制度化が進行すると自律的行動能力が低下するというのはそういうことだ。
しかもたとえば日本の場合、制度化のために仕事量が増えている。
サービスのクオリティは圧倒的に高いが、犠牲も少なくない。
この、自分を犠牲にする、姿を消す、という発想はフランス社会には乏しい。
サービスのクオリティは低くても、仕事量を抑える。
そして何よりも自由を謳歌するのだ。
フランスが誇りに誇っている人権宣言のうち、唯一辛うじて達成されたと思われるのが
この自由かもしれない。
この国に生活するひとたちが幸福であるかどうか、は別として、
この国のひとは自分の幸福を追求する自由を固持している。
等身大の個人、というのがミソで、
これは前にも触れた「ありのままの自分を受け容れる」ことに価値を見出す生き方にも通ずるものがある。 それぞれが勝手に社会に自分の場所を確保していっている、と書いたけど、
つまりそれは、勝手に自分の幸福を追求している、ということでもあるのだ。
その勝手さには、まあ呆れる。
でもこの国にいると、一生懸命幸せになろう、という気にもなる。
そして願わくば、私の投じた一票が、幸せを追求する自由を奪おうとする暴力に少しでも歯止めをかけるものとなってほしいもの・・・
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