2011/11/22

africanistes

前回の留学のときもそうだったけど、
こっちにいるとよく講演会の案内を目にする。

私の専門に関係ある講演会はQuai Branly美術館で行われることが多い。
アフリカ・オセアニア地域がコレクションの中心になっているこの美術館の
「教育的役割」を考えれば不思議はないのだけど、
旧植民地美術館とでもいうべきこの美術館が、
この地域の理解を促進するための良質の講演会を多く開催し続けていることは注記に値するかもしれない。

この前はここでフランス・アフリカ学会があったので顔を出してみました。

このアフリカ学会、正確にはSociété des africanistes(アフリカ研究者協会)といって、
このアフリカニストという表現は大会中にも少し話題になっていたのだけど、
誰がどのような目的で「アフリカ研究」を行うのか、
学会の歴史を辿ってみると、それはアフリカ研究そのものの歴史を反映している。

学会の創設は1930年、アフリカにおける最初の民族調査「ダカール・ジブチ調査団」(1931-1933年)の前夜にあたる。
この調査がフランス人類学の誕生のきっかけになったわけだけど、
調査団の一員だったマルセル・グリオールはのちに会長に就任しているし、
学会の創設メンバーをみれば、
マルセル・モース、ポール・リヴェ、リュシアン・レヴィ=ブルリュなど
数年前に民族学研究所を設立して、まさにフランス人類学を築きあげようとしていた面々なのです。

学会の本部も同じ。
まずは自然史博物館から始まって、
調査団の「成果」を展示することが当初から想定されていた人類博物館が完成すると、そこへ移動。
「アフリカ研究」は自然史(形質人類学)から民族・人類学という新しい学問へと移行していったというわけ。
人類博物館がQuai Branly美術館に吸収されたので学会の本部は今はここにある。

文化人類学がその後植民地主義と決別していく過程は省略するけど、
人類博物館はパリ万博の施設の跡地につくられたこと、
もうひとつの博覧会、「植民地博覧会」の会場となった植民地もとい海外領土美術館のコレクションの移転先がQuai Branly美術館であること
(植民地博の会場自体は現在移民博物館になっている経緯については昔の記事に)
を考えると、「アフリカ研究」はしっかりとその歴史を背負っているといえそう。

ちなみに戦後の人類学の巨頭といえば、マルセル・モースの後継者といわれるレヴィ=ストロースと
まったく学風を異にする(2人は犬猿の仲だったという)ジョルジュ・バランディエで、
私の学校のアフリカ研究所の創設者がバランディエです。。。

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