2012/03/21

printemps

・・・そして、パリへ戻ってきてみたら、もう春が訪れていました♪



わかるかな?近所の公園では桜が満開。

春って五感を全部呼び覚ましてくれる気がするのよね。
春の光、春の風、鳥のさえずり。

感覚が解放されるということは、多少の緊張が解けていくということで、
ちょっとしたアンラッキーを受け容れやすくなる。(気がする・・・)

今年度こちらへ来てから半年。
新しい環境にも慣れてきたということでしょうか。

2012/03/07

Aix en Provence

私の今通ってる学校は授業が11月に始まったので、
前期と後期の間は休みなく連続して授業が行われる・・・という説明に納得していたのは、
やはり日本の概念に囲まれて生きてきた証拠でした(笑)

そんなわけで特に説得的な理由はないような気をよそに、
授業のない空白の期間が突如として出現したので、
その機会を利用して南仏はエクサンプロヴァンスまで、調査旅行に行ってきました。

Aixというのは水の街、水源があるので石畳の小道のあちこちに噴水があって、
地中海の香りのするきれいな街ですが、
植民地関係の行政文書を保管している史料館のある場所でもあり・・・
後者の理由で訪れたわけです。

  

アーカイブっていうのは集中して連日通う場所なの。
だから係のひともいつも「また明日」って言う。
それで時期が重なったひととは顔見知りになる。
だいたいエクスのような小さい街で、しかも中心街は徒歩圏外だったりすると、
お昼を食べる場所までみんな一緒だったりして(笑)
今朝は収穫なしだよ・・・なんて友だちと話してると
隣の席に座ってた先輩研究者が、あるある、って同意してくれたりするのだ。

アーカイブという特殊な空間に篭って一次史料とにらめっこって
歴史家のもっとも地味な作業の象徴という感じなのだけど
その分こういう交流はとてもありがたかったりする。

そして今回は同じ西アフリカ研究の友だちと日程を合わせて同行、
着いてみたら偶然(というか上記の理由に鑑みるとある程度当然)同じ学校の別の学生ももう1人来ていたので、いちいちフィードバックができて、
留学したての私にとっては、ようやく自分の立ち位置を少しずつ実感できる体験でもあり、
そういう意味でもとてもいい滞在となったのでした。

2012/02/21

Merci



誕生日はいつも入試だったり、今年は論文の中間発表だったり・・・
でもそれは好きなことを追求しつづけることができているということで、
とても幸せなことだなぁとふと思うのです。

この世に生まれてきたということは、
家族をはじめ、友人たち、あるいはそれ以外の世界のいろんなひとの人生と
私の人生が交差していくということ。

交差、つまり掛け算である分、
足し算以上の効果があるといいなと思う。

いろんなひとに思いを馳せる2月。

2012/02/12

raclette

少し間があいてしまったのは、
論文が佳境に入ってきて引き篭もってたから・・・などではなく(笑)

論文が佳境に入ってきたからこそ、積極的に気分転換をしようと決めたから。

酸素をいっぱい取り込んだほうが、燃料の勢いがよくなる。
少なくともパリの学生生活はそういうリズムで動いていて、
そういう環境に身をおくのだから、やっぱりそのリズムに乗ってしまったほうが調子がいいのだ。

映画もコンサートも展覧会も、あるいは講演会もサイクルになっていて、
一度行きだすとどんどんいい情報が入ってくるけど、その逆も然り。
これだけ文化的に豊かな環境を与えられているのに、やっぱりそのなかに身をゆだねないのはもったいないものね。

―――

さて、そんなわけで、この間は高校のときのお友だちと食事に出かけました。
もうほとんどが就職してる同級生たちの大半は地元ブルゴーニュに残ってるのだけど、
パリや近郊に住んでる子も何人かいるので。

日本で冬といえばお鍋だよねーという感じだとしたら、
フランスで冬の間に食べたい料理のひとつにラクレットというメニューがあります。
もともとスイスと、スイスに近いフランスのサヴォア地方の料理で、
溶かしたチーズをじゃがいもやハムにかけて食べる・・・といえばアルプスの山小屋のイメージがわくかしら。

実際私たちが行ったお店もこんな感じで山小屋を模した内装。

  

チーズはこんな風に電熱をあてて溶かして、表面を削ってかけます。
  
ラクレットというのは削り取るという動詞raclerの名詞形なのです。

ちなみにお腹がふくれちゃうから、一緒に飲むのはお水じゃなくて絶対に白ワインよ!
と昔スイス人のお友だちが教えてくれたのを思い出します。。。

まあそれでもお腹ふくれましたけど(笑)
楽しい冬のひとときに身も心も満たされたのでした。

2012/01/23

dimanche parisienne

親友がパリに戻ってくるというので1日お出かけ。

彼女とは、シアンスポ時代によく一緒に美術館めぐりをした思い出があって、
久しぶりに文化的なことしなきゃね、といって
改修したばかりのオルセー美術館に行ってきました。



色彩、空間、配置で、作品の印象はだいぶ変わるんだな、というか
久しぶりに訪れたということもあってか、今までとは違う作品が目にとまることが多くて、
常設展が充実してるフランスの美術館の醍醐味を思い出しつつ、
学生特権のあるうちにもっと来ようと改めて思ったのでした。

帰り際に喫茶店によって、絶えないお喋りに花をさかせ続けているうちに、
去年フランスで大ヒットした映画の話に。
"Intouchables"という映画、『最強のふたり』という邦題で実は東京国際映画祭のグランプリにも輝いてるみたいですが、とにかく笑える!という評判とは裏腹に、
「郊外に暮らす黒人青年が介護することになる全身不随の白人富豪との交流」といういわば陳腐な設定が、「黒人奴隷が白人の主人を笑わせる」という古典的な人種差別のテーマ系におさまってしまうといった指摘もあって、評価が二分されているのです。

私も最初はその設定ゆえに素通りしてたのだけど、
異例のヒットで、あまりにも「お勧め」されるので、気になり出していたこの映画。
やっぱり自分の目で確かめなきゃ、ということで、そのままカフェをあとにし、映画館へ。

結論からいうと、個人的には気になるところもありつつも、それなりに楽しめました。
たとえば「人種」の設定は、たしかに演出のひとつにはなっているけど、それは舞台装置にすぎないと感じられる程度に背景におさまっていたからかな。
でも本当に考えるべきなのは、映画そのものよりも、この映画が大ヒットして、フランスで暮らす人びとが「大いに笑った」という事実のほうだと思う。
私は背景におさまっていると感じた、つまり別の装置でも同じように目立たないものであれば違和感はないだろうと思うのだけど、
本当は装置は前景にあるのに、自分のイメージのなかにある装置と一致しているために意識されなかったということだとしたら・・・
しかも大衆受けするということ、それもコメディとして、というのは後者の可能性が高い。

経済危機にもかかわらず、あるいはそれゆえに(?)
去年フランスでは映画館、美術館ともに観客数が大幅に増加したという事実と併せてちょっと考えさせられる現象かも。

もしかしたら自分もその現象に乗りつつ、
それも含めて文化的なパリを旧友とともに1日満喫できたいい休日でした☆

2012/01/19

en paix avec soi

こっちに来てからずっと気になってる表現に"être en paix avec soi"というのがある。
paixは英語のpeaceに相当するので、直訳すると自分自身と平和な関係にある、ということ。あるいは、自分と仲良くする、といった感じでしょうか。

要するにありのままの自分を受け容れるということなのだろうけど、
これがフランスではとても大事な価値基準になっている気がします。
個人主義の国といわれる所以だけど、
この価値観を体現している友だちの生き方はけっこう説得力がある。

社会的評価に左右されるべきではない、なんてよく言うけど、
実際は他人の目というのはある程度内在化されているもので、
だから自分のなかで葛藤が起きたりするわけだ。

フランスにだってもちろん一定の風潮を生み出す「社会」というのがある。
それでもいろんな人がそれぞれに堂々と生きているように見えるのは、
みながどこかで「好きにすればいい」と思ってるからのような気がする。
社会が寛容で多様な生き方を受け容れているというよりは、
個人個人が自己の生き方を受け容れることで
それぞれが勝手に社会に自分の場所を確保していっているのだ。

こういう生き方に接するのは、まあ疲れることもあるけど、人生を楽しむヒントを得られたりもする。

葛藤を乗り越える、あるいは無効化するという発想、
つまり現実から理想に向かって進んでいけばいいのであって、
理想と現実とのギャップに悩まされる必要はないということだ。
これって単なる視点の転換なのだけど、研究生活においても大事なことなのよね。

2012/01/04

resolution

日本から友だちが鏡餅を持ってきてくれて、パリの部屋にもお正月が訪れました。ありがとう!

とはいえ、大晦日も元旦も、なんというか、同じ365分の1にすぎないと思うのだけど、それでも新しい年が始まるという意識を持つことになにか意味があるとすれば、それはひとつの区切りや契機になりうるからでしょうか。

友だちの表現を借りるなら「ひとつの扉を閉めて、新しい戸を開ける」ということ。

過去がなければ現在には至れないのだから、
どんなことがあっても、過去を否定する必要はないと思うけど、
ときが来たら扉を閉めて、区切りをつけることも大事だ。

(という私はどちらかというと過去が好きなのだけどね
・・・別にだから歴史をやってるというわけではありません

新年の決意をフランス語ではrésolutionというのだけど、
この単語、数学の「解」と同じ語で、動詞にしても解きほぐすという意味がある。
日本語の決という字にも決断、のように切るという意味があるのと似てるのかしら。

絡まっていたものをほぐして「解決」するということは、
つまり答えにつながる紐をひっぱり出して、
そのほかのものと引き離すということかな。

昨年はいろいろな意味で変動の大きな年だったといえるに違いない。
その過去を否定するのでも忘れるのでもなく、そっと扉を閉じられるだろうか。
あたらしい環境のなかで歩いていけるように、私も小さなrésolutionをしてみよう。


ところで・・・
新年早々、ユッスー・ンドゥールがセネガルの大統領選に立候補するというニュースが入ってきたのだけど、うーん。