2012/12/03

administrations

日本大使館から電話がかかってきた。
2ヶ月前に申請した在外投票のための選挙人登録が完了したという知らせだった。

「通常ですと、こちらの負担で、書留で選挙人証をお送りすることができるのですが、
今回は、数日後に衆議院選挙が公示となりまして、翌日から在外投票がはじまります。
もし大使館にお越しいただいて投票なさるということでしたら、こちらで選挙人証をお預かりしまして、
お越しいただいた際にお受け渡しと、その後の投票の手続きをそのまま続けて行うことも可能ですが、いかがいたしましょうか。」

その丁寧さと、行き届いた配慮に感心してしまった(笑)

フランスにあっても日本大使館は間違いなく日本である。

フランスだったらたぶん機械的に郵送にまわされ、郵送に時間がかかり、届いたころには在外投票は締め切られていて、もっと早く申請しないあなたがわるい、ということになるだろう。
あるいは届かないから連絡したら、できてたのに、取りに来ないあなたがわるい、というところだろうか・・・

顧客=私のタイミングに合わせようという発想。
二度手間をさせないという配慮。

行くたびに新しい要求を持ち出して、
前の担当者には要求されなかったというと、前の担当者は私ではないといい、
電話で確認しようとすると、窓口の担当者がなんて言うかは知らないけどね、といい、
おかげでかれこれ5回も滞在許可証の更新手続きのために通っているフランス警察庁にはどちらも完全に欠如しています。

ビザ発行条件のひとつに違いないこの忠誠心審査 クリアまであと1回くらいかな、というところで、「次回は○○と××と証明写真を3枚持ってきなさい。」と言われた。

更新手続きに必要な書類のリストのなかには、証明写真3枚とある。

しかし、すでに3枚提出したうちの1枚は受取証という滞在許可証発行までの間の仮証明のような書類に貼って、残りの2枚を返却されたばかりだった。

そうか、もう1枚用意しなきゃいけないのか。

幸いもう1枚証明写真が手元に残っていたので、あわせて3枚にして、他の書類と共に次の回に持っていったら、案の定、というべきか、その1枚は返却された

つまり2枚しかいらなかったので、もう1枚追加する必要などなかったのだ。
前回受取証に使用した1枚とあわせて合計3枚。必要書類リストの通りである。

さて、このブログの読者なら、ここまで読んで、フランス生活あるあるだなと思ったに違いない。
ええ、私もそう思いました。

必要書類リストには証明写真3枚。
受取証を発行した人には残り2枚。

こんなことマニュアル化してしまえば済む話じゃん。

そこで私はふと気づいたのです。マニュアル化、しないのがフランスなのもしれない、と

前の担当者は私じゃない(から知らない、責任とらない、私は悪くない・・・)というくらいだから
文字通り人によって対応はさまざま。

でもたしかに対応しているのは人なのだ。
顧客を前に、対応者が制度の背後に存在を消すということはフランスではまずありえない。
だからこそ、これでもかというくらいに、等身大の個人が存在している。

それは暑苦しく、労力のいる社会である。
そりゃそうだ、制度というのは、未知なものを既知化していくためのルールなのだから、
未知の世界は刺激が多く、消耗するものである。

でも制度化が過度に進行すると、それは息苦しい。
行き場がないから、結局存在を消すことになる。
制度化が進行すると自律的行動能力が低下するというのはそういうことだ。

しかもたとえば日本の場合、制度化のために仕事量が増えてる。
サービスのクオリティは圧倒的に高が、犠牲も少なくない。

この、自分を犠牲にする、姿を消す、という発想はフランス社会には乏しい。

サービスのクオリティは低くても、仕事量を抑える。
そして何よりも自由を謳歌するのだ
    
フランスが誇りに誇っている人権宣言のうち、唯一辛うじて達成されたと思われるのが
この自由かもしれない。

この国に生活するひとたちが幸福であるかどうか、は別として、
この国のひとは自分の幸福を追求する自由を固持している。

等身大の個人、というのがミソで、
これは前にも触れた「ありのままの自分を受け容れる」ことに価値を見出す生き方にも通ずるものがある。 それぞれが勝手に社会に自分の場所を確保していっている、と書いたけど、
つまりそれは、勝手に自分の幸福を追求している、ということでもあるのだ。

その勝手さには、まあ呆れる。
でもこの国にいると、一生懸命幸せになろう、という気にもなる。

そして願わくば、私の投じた一票が、幸せを追求する自由を奪おうとする暴力に少しでも歯止めをかけるものとなってほしいもの・・・ 

2012/11/10

culture cosmopolite

ふとした思いつきで図書館の帰りに友だち4人で
エチオピア料理を食べに行ってきました。

エチオピア料理といえば、
昔ケニアに住んでいた友だちが、
アフリカ料理のなかでもエチオピア料理は洗練されていておいしい!と言っていたのが印象的でしたが、未体験の各国料理に誘われて私が乗らないわけないよね。

しかもいろんな国の本格的な料理が食べられることこそ、コスモポリタンなパリの魅力。
フランスに住んでるっていうと、
 o○*:.。..。.。o○*:.。 *~○☆○~* フランス料理、グルメ *~○☆○~**~ ○。~*:._.:*~。○o..。.o○*
 みたいなイメージを持たれるみたいだけど、

フランス人って普段何食べてるの?といわれると
その辺のカフェのメニューといえば、ステーキ+フライド・ポテト(フレンチ・フライというやつ)
とかだいたい茹ですぎ気味のタリアテッレとかであって、
決して洗練されてるわけではない。

もちろんフランスの家庭料理は幸せ度満点だし、
よそ行きであればビストロとかおいしいお店もたくさんある。

でもパリで気軽に外食するなら、だんぜん移民たちの経営する各国料理がおいしい。

西アフリカだけでもこれまでパリで、セネガル、コートジボワール、 カメルーン料理のお店に行きましたが、今回東アフリカ進出

というわけで、みんなでおすすめの定番メニューを注文しました。

セネガルに行ったときもそうだったけど、
エチオピア料理は基本的には大きなお皿をみんなで囲んで、手で食べます。

インジェラというクレープのようなものが主食で
これに野菜や肉を包んで食べるという感じ。

だけど熱くてなかなか難しい
  
でもエチオピアは野菜の種類が豊富で、
それをいろんな香辛料を使って調理してあって、 友だちの言っていた「洗練されている」の意味がわかった気がしました。

以前レユニオン料理を食べたときにも使ってあって、おいしかったの小さな唐辛子。
小さいけれど、小さいからこそ、辛味が強くておいしいやつ。
ちょっと沖縄の島唐辛子に似ているような。

似ているといえば、
このお店にかかっていた音楽は、エチオピアの音楽でしたが、
これがなんと演歌にそっくり
上にリンクを貼ったお店のサイトでも聞けるけど、音階が同じ。
そんなわけで、エチオピアで流行った演歌もあるとか。

ルーツは諸説ありそうですが、文化圏の重なりかた気になるところです。

2012/10/08

conservatoire

前にも触れたとおり、史料収集のために何度も訪れている南仏の町、エクサンプロヴァンス。
何度行っても、平日はだいたい滞在先と史料館を往復するだけなので、
今回は少し街を歩いてみることに。

すると、とある建築計画にぶつかりました。
設計はなんと、隈研吾氏。

大学院の友だちと旅行で訪れた長崎の街を歩いていて、
やはり偶然、とても惹かれた建物が隈氏設計の長崎県美術館。
空間のつくりかた、風通しのよさに、私は中を通り抜けずにはいられなかったのでした。

エクサンプロヴァンスでは音楽・ダンスのコンセルヴァトワール を新しく建設する計画みたい。
2013年度竣工予定とあったので、建造物はまだ見えなかったけど、
その代わり、隈氏の建築理念を説明した文章が掲載されていました。

いわく、氏の建築法の本質は、「光に満ち、開かれた空間をつくり出す」こと。

これはまさに私が長崎県美術館を見て受けた印象と同じでした。

既存の空間を使って、建造物を設置するのではなく、
建築そのものが新しい空間を作り出しているという感覚。

さらに面白いなと思ったのが、素材についてのくだり。
素材は「閉ざされた塊」(masse fermée)では活かされないが、
ひとたび粒子として捉えられれば、それは動きに満ち、光や見るひとの小さな変化に応じて、
さまざまな表情を見せうるのだという。

この開放的かつ動的という空間のコンセプトが好きだ。

エクスはとても「きれい」な街だけど、なにかチャームに欠けるものがあるという気がしていたのだけど、友だちにこれは「美術館のような街だ」といわれてそれがわかった。

美しいけれど、動いていないのだ。

新しいコンセルヴァトワールは、他のさまざまな施設と併せて新たな文化活動の拠点となることを目指しているらしい。

コンセルヴァトワールって、文化遺産を保存(conserver)するための機関 という意味を持ちながら、
実質的には、新しい芸術家を育てる教育機関という機能を果たしているわけで、まさに文化の本質はここにあると思う。

つまり、新しい風をとりこむことで、文化は変化を重ねながら生き続けることができるのだ。

だからこのコンセルヴァトワールは、「開かれて」「動きに満ちた」空間であってほしいと思う。

近くにはやはり建築と芸術活動を融合させる試みとして、ヴァザルリ財団もあったりして、
実際ここには、文化活動で町おこしをしているナントのような、ポテンシャルがあるのではないかと私はひそかに注目しているのです。

ちなみに滞在中、このヴァザルリ財団で、"un ange à ma table"という劇をやるというので、まさかニュージーランド作家ジャネット・フレイムの小説『エンジェル・アト・マイ・テーブル』かしらと思って観に行ったら全然違いました。

2012/09/05

La Bastille

そんなわけで訪れたのがグルノーブル。

個人的には昔チューターした子たちが2人ともこの街から来ていたので機会があれば行ってみたいとずっと思っていたのです。

グルノーブルの名所といえばバスティーユの丘。
「バルーン」とあだ名のついた、丘にあがるための
まーるいケーブルカーが写真にうつってるのがわかるでしょうか。

ところでバスティーユというのはもともと城塞という意味の普通名詞ですが、定冠詞のついた大文字の固有名詞ラ・バスティーユといえばパリのバスティーユ広場を想起するひとも多いはず。ここも牢獄になる前はもともとパリの外につくられた城塞だったのよね。

でも実はグルノーブルにあるもうひとつのラ・バスティーユは革命で有名になったパリのバスティーユにちなんで名づけられたのだそうです。

というのもフランス革命の中心となった一派がグルノーブルから来ているから。

革命の起きた18世紀末のフランスは財政難で税制の改革が争点になっており、特権階級を擁護する高等法院と貴族からも徴税したい王室は対立していたのだけど、税制改革を推し進めるために高等法院の権限を大幅に制限する司法改革を王室が発表すると、特に強く反発したのがパリとグルノーブルの高等法院だったのだ。

高等法院は特権階級だけど、全国三部会の召集という点では民衆と要求は同じ。
というわけでグルノーブルに向けられた国王軍に対し、市民は屋根瓦を投げつけて撤退に追い込む。バスティーユ襲撃前年のこの「屋根瓦の日」は革命の前兆として位置づけられているというわけ。

このあとにグルノーブルのあるドーフィネ地方三部会、そして全国三部会と続いていくのですが、
そのなかにいたBarnaveやMounierといった人物の名前が革命におけるグルノーブルの中心的役割を象徴してるといえるのでしょう。

史学科の学生がこんなおおざっぱな歴史を書いたら怒られそう・・・

で、グルノーブルのバスティーユは19世紀にサヴォアからの攻撃に対する砦として建設されたのだけど、結局ナポレオン3世時代にフランス領となったために一度も砦として使われることはなかったみたいです。

2012/08/31

invitation au voyage



    
  三つの空と三つの山
  
  さて、どこでしょう??

  この夏は少し旅行をしました。

  たとえば美しい風景が画家や詩人に
  インスピレーションを与えたり、
  文化的教養が俳優や演奏家の表現に
  幅を与えたりするのと同じで、
  旅行には日常的な営みを豊かにする源があると思う。

嫌なことがあったとき、思い出すことができる美しい体験が必要だと言っていたひとがいたけれど、
旅行における非日常はその役割を果たしてくれるのかもしれない。

よく旅をするひとは行く先で出会うひとびととの違いよりも似ているところに惹かれていくもので
その土地の特徴を通して結局人間というものを見ていることに気づくという。

同じ夏空の下にそびえる三つの山を見ていたらそんなことがわかった気がしたのでした。

2012/08/07

Etat representé

以前留学していたときに習ったカリスマ・バディ先生の影響か、
国家というアクターが前面に出まくっているオリンピックを見ると、
どうも時代遅れという気がしてしまう。
特にスポーツ中継というのは、マス・メディアに支えられているどころか、
メディアを支える側に逆転させられていて、そのレトリックが見え透いているので
余計につくりあげられた感じがするのかもしれない。
(ルールまで変わっちゃってつまらないと思う私の感覚のほうが「時代遅れ」なのかしら。。。)
メディアによって国家の共同性が演出されていることは、
震災のときにやはり抵抗感を持ってはっきりと体感したばかりだ。

でも国家というのはひとつの枠組みにすぎず、
風土ごとに根付いていかなくてはならないものだとしたら、
その土地や年数によって違った価値が見出されてしかるべきかもしれない。

アフリカの国家誕生を扱っているとそんなことをよく思う。
それどころか、
外国にいると、
フランスにいると、
パリで移民として、移民と接して、
自分の周りに国境が現れては消えていくのを見ていると、
日常として国家というものの扱いを考えることになる。


当のオリンピックは旅行特権でテレビからも離れていたこともあって
ほとんど追わず追われずだったのだけど、それでもフランスの新聞で気になる記事を発見。

サウジアラビア初の女性選手のオリンピック出場
ただしスカーフをまとうという条件つき

というもの。

今年のサウジアラビア選手団の女性選手は2人。
そのうち最初に試合があってまさに史上初めてサウジを代表して国際舞台に立った女性として
柔道のWodjan Ali Seraj Abdulrahim Shaherkani選手が取り上げられていました。

彼女のことが大きく報道されたのは、たぶん彼女が史上初だったからということ以上に、
スカーフの着用と柔道という競技の性質との間に齟齬があるとして一悶着あったから。
イスラームの「スカーフ問題」はここ20年くらい、フランスをはじめヨーロッパでずっと議論を呼んでいるわけだけど、結局は同じ争点が、この報道の機会に乗って表出してきた、という感じだ。

今年はサウジ、カタール、ブルネイから女性の参加が認められたことで、参加国・地域すべての代 表団に女性が入った記念すべきオリンピックであるとされている。

でも「今回のことが女性参加の幅がひろがる機会になることが望まれる」一方で、
「女性解放の場となり得たスポーツにまで蒙昧主義が侵食してきている」と嘆く声もある。

たとえばFIFAは競技中スカーフの着用を認める方針を発表したけど、
FFF(フランスサッカー連盟)は所属選手のスカーフ着用を禁止したみたい。

公の場に出ること。
スカーフをつけた存在が個として認められること。
スカーフを外した姿を個として表現すること。

なにが解放なのだろう。
そしてそれは誰が決めるのだろう。

国際柔道連盟は当初の決定を覆してスカーフに代わるものを着用することを許可し、
サウジ女性選手初の国際試合となったのだけど、
サウジの旗を笑顔で振る報道写真を見ていると、
若干16歳の彼女の身体ひとつでは、いずれにしても
象徴させられるものがあまりにも大きすぎるように思えるのでした。

2012/07/27

IMA

1年間の「隠遁」生活の埋め合わせというわけでもないけれど、
今月は週1のペースで展覧会を訪れました。

こっちの展覧会は開催期間がけっこう長いのだけど、
「書き入れ時」という発想はないので休暇期間になると、
だいたいいろんな催しも終わってしまうので、駆け込みで。

で、実は初めて足を踏み入れたのが、アラブ世界研究所。
ジャン・ヌーベルの建築が美しいこちら↓
 










「身体」をテーマとした作品を集めた「発見された身体」展のコンセプトは
身体を覆う装いが強調されるイスラーム世界に対して極めて挑戦的にも思える。

この施設はいったい、どのように位置づけられるのだろう、と思っていたら
ちょうど現所長の退任表明がニュースになっていた。
なんでも新外務大臣のファビウス氏が「運営体制の刷新を通して、研究所の改革を図る」方針を発表したのだとか。

ということは、この機関は外務省の管轄にあるらしい。
現所長のミュズリエ氏はサルコジ時代に外務大臣も経験しているUMP党員の議員で、
政権交代の影響をもろに受けるのも納得がいく。
ちなみにマルセイユ出身のミュズリエ氏は地中海連合の推進者の1人。

外交の中に組み込まれたこの文化施設は、まさにフランス政治の一角だ。

1987年、開館にあたって当時の大統領ミッテランが行った演説はこう結ばれている。
「この研究所を通して、われわれフランスが他の民族に対して友情と愛情と敬意を示すことを任務としていることを伝えたい」

フランスとアラブ世界の交流を促進することを目的とする研究所は、
フランス政府とアラブ連盟の加盟国との連携の場として構想されたのだけど、
演説のなかでは「われわれフランス」と「あなたがたアラブ」の二分化が極めて鮮明になされているのも印象的。

フランスには「任務」があって、交流は「支援」「アラブ諸国の発展へ向けた努力への理解」という定義を与えられていたりする。


・・・研究対象で扱ってる1940、50年代の文章とトーンが同じだわ。

それもそのはず、ミッテランは1950年代の海外領土省(旧植民地省)大臣なのです。

そのあたりの連続性も掘り下げる必要がありそうですが、
選挙期間中さんざんフランソワ2世と評されたオランド政権下で研究所はどういう方針をとるのか、
11月の所長交代も注目です。