2008/01/12

perception

経済アレルギーの私が(苦笑)
目下「資本主義は超越不可能なものか?」というプレゼンに取り組んでいるのですが、
(といっても一応政治思想の授業枠なので、経済に対する政治の優越性?とかそういう話になるわけ)

そのために本を読んでて面白かったエピソードを1つ。


まず、子どもたちに絵を描かせる。
描き終わったところで、その中からランダムに「最優秀作品」を選び、
その作者には実は賞金が用意されていることを知らせる。
ただし、最優秀に選ばれた子どもに賞金を渡す際、
「今回絵を描いた子どもの中に1人病気を患っている子がおり、賞金を使えば手術をしてその子を助けることができる」と教える。

次に同じように子どもたちに絵を描かせるが、今度は予めその中から最優秀に選ばれた作者には賞金が与えられることを知らせておく。
描き終わったところで、やはりランダムで「最優秀作品」を選び、
作者に賞金を渡す際に同じことを伝える。

2つの場合において、賞金を手術のために、といって渡す割合は大きく異なるらしい。
最初の子どもは、突然手に入った利益を何の問題もなく譲ることができるのに対し、
2番目の子どもは、多くの場合、自分の努力で得たと思っている利益を他人に渡すことを拒む。


同じ事象に直面した2人の子どもの見る世界は違っていて、子どもたちは自分の捉えた世界と同じように世界と接する。
突然恵みを受けて世界の寛大さを享受した最初の子は、今度は自身が周囲に寛大になることを惜しまないし、競争の中に生きている2番目の子は、自分の利益に執着するのだ。

市場原理が全体主義的な支配を確立しつつある社会を批判した本の中のエピソードなのだけど、
どうも自分が2番目の子どもな気がしてなりません。
しかも、「自分の努力で得たと思っている利益」というのがポイント。

そういえば、「偶然享受している教育環境を世界(の中で偶然教育環境にアクセスを持たずに生まれてきた子どもたち)に還元する」というのが大学入学時に決めたことなのでした。

6 件のコメント:

nari さんのコメント...

olpc、one lap top per childっていうプロジェクトがxoっていうコンピュータを400ドルくらいで売ってるんだけど、じつは200ドルくらいで、1台買うと自動的に発展途上国の子供にもう1台送られる仕組みになっているらしい。なんか、そういうことを思い出した。

petit.printemps さんのコメント...

>nari
そうなんだーそれ、内訳を知った人が「そんなコンセプトだったのかーそれならまたこれを買おう」って思うか、「200ドルも余計に払ってたのか、損した!」って思うか、割合が気になるとこだわ。
でもラップトップが使える子どもっていうのは、つまり電気が整備されてて、文字が読めて、っていう環境にいる子だよね。。。

nari さんのコメント...

 その内訳を知った上で買っていいことした気分になるっていう。
 今時大体どこにでも電気通ってる、というかたいがいどこにでもネットカフェがあるし、そのコンピュータで文字勉強すればいいし、それなりに意味のあるプロジェクトだと思うけど。
 電気が通ってないところに関しては、また別の次元における「援助」が必要な気がする。ただ通せば良いってもんでもないしね。

petit.printemps さんのコメント...

>nari
そんなもんかなーまぁそうだね。
人を助けていると言われて悪い気がする人はいなそうだし、賢いプロジェクトかもね。
どっちにしろ万人を救うようなオールマイティな援助なんて存在しないんだし。
にしてもそのパソコン安くない?

Unknown さんのコメント...

これたしかに考えさせるね~!どうしよ~w

「自分の努力で得たと思っている利益」か。

「努力できる」ということも、
多くは育った環境のおかげだったりするからね。

でも1番目の子供のいる世界って、じゃぁどんな世界なんだろうね。

petit.printemps さんのコメント...

>Emeline
そう、努力できる環境っていうのはあるよねー。私は自分が努力しなかったとは思わないけど、すごく努力しやすい環境にあったと思ってるし、だからなおさら努力しなきゃって思うんだよね。
一番目の子のいる世界ねー、私の周りにはときどきこの人は2番目の子の世界を知らない、その存在すら疑っていないんだなって思うような人がいて、そういう人って心底寛大なんだよね。本当は1番目の子も2番目の子も同じ世界にいるのにねー。